それは部室で着替えていた最中の出来事であった。
赤
「あ」
頭の後ろで音がしたと察した時には既に遅い。
ぷつっ。
風丸本人にしか聞こえない微かな音をたて、長い髪をまとめていたゴムが切れた。
ユニフォームの上着を被る格好で、髪が流れる。
「あーあ……」
隣で着替えていた半田がぽっかりと口を開けて、風丸の小さな不幸を眺めていた。
「これじゃ鬱陶しくて練習に集中出来ないな…………俺は」
影野の伸びた髪に隠れた視線を感じ、そっと個人的主観を付け加える。
「マネージャーならゴム持っているんじゃないか?」
半田の助言に風丸はゴムを拾いながら同意した。
女子なら髪留めの一つ二つ持っているに違いない。ただの偏見ではあるが、まず手近な人物に頼ってみる事にした。
着替えを終え、髪を落ち着かないように弄り、風丸は部室を出る。
「おっ」
ドアを開けた途端、マネージャーの木野と音無がおり、風丸はつい声を上げた。
「あれ?風丸くんイメチェン?」
二人は顔を見合わせ、風丸の下ろされた髪にすぐ気付く。
「実は」
風丸は事情を説明し、ゴムかその代わりになるものが無いかを問う。
「ゴムは無いですね」
「ピンなら私のを貸すけど」
自分のピンの触る木野だが、風丸の髪をまとめるのは無理そうだ。
「そうだ。こんなのあります」
音無がジャージのポケットに手を入れ、何かを取り出して木野と風丸に見せる。
色とりどりの艶やかな――――リボンであった。
「どうしたのこれ」
「美術の時間で使ったんです。思ったより余ってしまって、何かに使えないかと持ってきちゃいました」
「風丸くん、良いじゃない。ピンじゃ纏めきれないし」
「そ、そうだな」
多少抵抗はあるが形振りを構ってはいられない。風丸は素直に好意を受け取った。
「何色が良いですか〜」
手の上で並べる音無。赤、青、黄、緑、白……見れば見るほどカラフルである。
「じゃあこれ貸してくれ」
「良いですよ、差し上げます。余り物ですし」
風丸は赤を選んだ。
「結んであげるね」
「いや、それは」
断るより早く、木野の手が肩を掴み、身体の向きを変えられた。
きゃー。長〜い。綺麗〜。面白〜い。
後ろで女子特有の明るく楽しそうな声がする。聞いている分には良いのだが、巻き込まれるのは御免であった。完全に遊ばれてしまっている。風丸の身体の正面にあるのはサッカー部部室。出て来て欲しくない願いも空しく、準備を終えた仲間たちが扉を開ける。
「風丸〜、どうだっ……」
事情を知っている半田の口が途中でひん曲がる。笑いと突っ込みたい衝動の入り混じった、絶妙な角度を形作っていた。彼は言いかけたままで行ってしまう。大笑いされた方がマシである。
「おー似合ってる似合ってる」
ほぼ棒読み感想の染岡。
「いやーモテモテでやんすねえ」
明らかに他人事の栗松。
「アフロおすすめしておきます」
自らの髪をもふもふとさせる宍戸。
皆、通るついでに一言ずつ感想を置いて言ってくれる。風丸は一人頬を染め、練習が終わったらゴムを買い直す事ばかりを頭の中に巡らせた。
先にグラウンドへ行っているキャプテンの円堂は何と言うだろう。考えるだけで、さらなる羞恥で身体が焼けそうになる。
「はいお待たせー」
「良くお似合いですよ」
木野が軽く肩を叩き、音無が素早く風丸に手鏡を渡す。
「有難う……」
鏡には隠れた前髪をも纏め上げ、リボン結びされた自分が映っていた。
もはや三つ編みなどされずに助かったと思うべきなのだろう。
すっかり上機嫌のマネージャーに見送られて、風丸はグラウンドへ向かった。
「すまん待たせた」
一言詫びを入れ、風丸はグラウンドへ入る。
何かを自ら言わないと、落ち着かない気分だったのだ。
「………………………」
円堂と共にグラウンドに行っていた豪炎寺は、風丸の髪を素早い瞬きで見詰めている。その後、人差し指と親指で目元を数回擦った。目の錯覚とでも処理したいのか。
風丸が一番気にしていた円堂はというと。
「おー風丸、どうした」
正直すぎる反応であった。
「ゴムが切れて、マネージャーに代わりのリボンで結んでもらったんだ」
「………………………」
「練習終わったら、替えのゴム買うつもり」
周りから“もったいない”などのからかいが入り、妙な緊張で視線が忙しなく彷徨うが、正直に告げる。
「そっか。俺も買いたい物あるし、終わったら一緒に行こう」
「あ、ああ」
「じゃ、サッカーしようぜ」
円堂がニッと笑い、足元のサッカーボールを拾い上げ、練習が始まった。
そうして日が傾いた夕方。練習を終えた円堂と風丸は二人で雑貨の店へ向かう。
制服に着替えるついでに髪をいつもの結びに戻すが、リボンはやはり浮いてしまう気がした。
歩きながら雑談を交わす中、風丸の脳裏には円堂に問いかけたい一つの質問が離れない。
あの髪型、どう思った?
他愛の無いものなのに、考える度に緊張する。別にマネージャーが勝手にした行為なので、自分の趣味ではない。なのに、なぜか、気になる。
「あのさあ」
「ん?」
円堂が声をかけ、さりげない振りをして彼を見た。
「風丸って赤、好きなのか?」
「え?」
「ゴムもリボンも赤だったし」
「そうだなあ……ほら、赤って気合入るだろ」
円堂のバンダナの位置を示すように、風丸は己の額を指で突く。
「だな!」
円堂は納得したように笑う。
そんな彼を見ていたら、自然に頭に張り付いていた疑問は剥がれ落ちた。
確かに円堂に答えた通り、赤は好きであった。
最初から好きで、円堂のバンダナを見てさらに好きになったのか。
それとも円堂のバンダナを見て赤が好きになったのか。
良く思い出せない。今更理由など意味はなさないのに、後者の可能性は風丸には恥ずかしすぎた。
角を曲がれば、雑貨屋が見える。
夕日が照らす世界は、美しい赤に染まっていた。
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