「なあ、風丸」
 不意に円堂が風丸に声をかけた。
「お前……まだ、悩んでないか」
 漆黒の瞳が風丸を射抜く。
 悩み――――そう言われてすぐに思い浮かぶものがある。白恋中で円堂に“エイリアの対抗策として神のアクアが欲しい”と願った事を“自分の力で勝たなきゃ駄目だ”と諭された時だ。
 風丸はぎくっとしたように、円堂の問いに答えられないで硬直した。
「風丸。今日の夜さ、キャラバンの上に来いよ」
 な?円堂は微笑む。
 彼の笑顔に引き寄せられるように風丸は"わかった"と呟くように言った。



髪のアクア



 夜。キャラバンは地元の中学校に停めてさせてもらい、メンバーは校舎の中で休んだ。風丸は円堂との約束通りにキャラバンの上へ上がった。
「よ、風丸」
 先に来ていた円堂はあぐらをかいて待っていた。ニッと笑って見える歯さえ、風丸には眩しく映る。隣に座ると、身体を揺らしながら円堂は語りだす。
「エイリアの奴、マジで強すぎだよな。ジャミニストームを倒せたと思えば次にはイプシロン。上には上がいた。もっと上がいたりして、努力じゃどうにも出来ないかもしれない。風丸が言うように、神のアクアが本当に必要になるかもしれない」
「…………円堂……」
 円堂だって悩んでいる。風丸にはそれが聞けただけでも沈む気持ちが一気に軽くなった。
「でもさ、もうちょっと待っていて欲しい。まだ俺たちには出来る事があるはずだ」
「ああ……ああ……円堂……」
 風丸は何度も頷きながら口元を綻ばせる。


「で、ここからが本題だ」
 ずいっ。円堂は床に手をついて風丸に迫った。
「こいつを見てくれ」
 顔を引っ込めて、一本のペットボトルを置いた。
「これは?」
「神のアクアだ」
「…………………………い、いやっ!ただの水じゃねーか!」
 やや間を空けて風丸は円堂に突っ込んだ。これはコンビニでよく見かける美味しい水である。
「いーや、神のアクアなんだ」
「なに言ってんだよ!どうしちまった円堂!」
「神のアクアと、思え!」
 漸く、円堂がなにを言いたいのか理解した。
「風丸が神のアクアの力を信じるなら、このただの水も神のアクアと思えば強くなれる!」
「……なるほど……、まずは気持ちからって事か」
 無意識に円堂と風丸はペットボトルを挟んで正座で向き合う。
 ペットボトルへ手を伸ばそうとした風丸を円堂が制した。
「待て」
 円堂は二つの紙コップを取り出して、風丸に持たせる。
「一緒に強くなろうぜ、風丸」
「円堂……」
 風丸は円堂の優しさに感動し、目を潤ませた。
「けどな、俺あんまり神のアクアって信じられないんだ。だからもっと元気のつくものを想像しながら飲もうと思う」
「例えば?」
「風丸の髪を洗った水とか」
「やめろ!」
「なにを思おうと俺の勝手だ。壁山の汗だろうが染岡の涙だろうが俺の勝手だろうが!」
 ゴゴゴゴゴ……。熱弁をふるう円堂の背後に魔人が見えた。
 お前やっぱすげえよ!風丸はなんだか円堂が大きい人間に見えてくる。
 もはや“思い込んだもん勝ち”の雰囲気を二人で作り出していた。
「よっしゃ、飲むか!」
「おう!」
 ペットボトルの封を開け、互いのコップに注ぐ。
 コップを握り締めて水に念をかける。
「これは神のアクア、神のアクア、神のアクアなんだ……」
「風丸の髪を洗った水、風丸のつやっつやの髪をガシガシ洗った水……」
「円堂、黙ろう。な?」
「わかった」
 たっぷり念をこめて、二人は水を飲む。
 ぐっ、ぐっ……喉を鳴らして飲み干した。
「どうだ?強くなれた感じはするか?」
「んー……力はただの水だからついていないけれど、自信は湧いた気がするよ」
「続けていけば、本当に強くなれるんじゃないか」
「そうだなぁ……」
 風丸は両手を顔の前に持っていき、それぞれに目をやって手を開閉させる。


「風丸。自信がついたなら、新しい特訓をやってみないか」
「え?」
 今、丁度頑張れそうな気がしていたので、あまりにもしっくりくる円堂の提案に驚いた。
「風丸はやっぱり速くなりたいだろ?俺さあ、いつもGKの特訓をする時はタイヤを背負ったりするけれど、速さの時にもそういうの使えないかな?」
「……重石みたいなものか?」
「そう、そんな感じ。風丸用に特訓強制ギプスを用意したんだ。見てくれるか」
「ああ!」
 円堂――俺のために――――。風丸は心底、円堂に感謝をする。
「これ……なんだけど」
 風丸から死角になっていた円堂が側に置いていた袋を、よく見える位置に出して中身を漁った。
 出てきたのは真っ黒でギラリと煌くエナメル製のボンテージスーツ。円堂は恥らいながら俯き、風丸に差し出す。
「それ……どうしたんだ…………」
 風丸の理性が腕を持ち上げるのを拒否し、声を震わせながら問う。
「いやその、インターネットで特訓とか、締め付けとか、拘束とかを探したら出てきてさ」
「俺たちさ、未成年だろ?こんなものを」
「瞳子監督の名前を借りて……」
「円堂お前にそんな真似が」
「……目金に」
 ああ。風丸は引き攣った顔で納得した。
「だけどな、それ女の人向けじゃないか」
「それは大丈夫!」
 キラッ!円堂は素早く顔を上げ、煌く笑顔で問題がないのを表す。
「お前向けに改造したから」
「工作得意だったっけ?」
「気合いだ!」
「…………そ、そう」
「着れると思うよ。俺が自分でちゃんと確かめたし」
 円堂着用済みか。知りたくなかった現実に、余計にボンテージが生々しく感じた。
「風丸!」
 ボンテージを風丸に押し付け、彼ごと円堂は抱き締める。
「……え、円堂っ……」
 どきん。風丸は胸の高鳴りに身を竦ませた。
「一緒にエイリアをぶっ倒して未来を生きよう!」
 ビシッ!円堂が指を差す先に一際輝く星がある。
「わかった!俺頑張るよ!」
 ビシッ!風丸も円堂と同じ星を指で示した。






 翌日。円堂と風丸の決意を知らないチームメイトの財前が、挨拶がてらに風丸の背を叩く。
「おはようっ!」
「ぐふっ」
 風丸が大げさに屈みこむ。
「えっ?どうしたんだ?」
「いや、なんでも、ない」
 ははは。笑って誤魔化す風丸の顔色はあまり良くない。
 彼のジャージの下には昨夜円堂より受け取った強制ギプスがはめられているのだ。ギプスが身体の節々をしめつけ、特に胸の圧迫が呼吸さえ困難にさせる。ちなみに気になるのはジャージを脱いだ時にボンテージがユニフォームに透けてしまいはしないだろうか、という事だ。
 試練に耐え抜こうとしている風丸を、円堂は静かに見守り、そっと拳を握ってエールを送る。
 もしもこれで効果がでたのなら、他の仲間にもすすめてみるつもりでいた。


 風丸の頑張りの結末が、雷門イレブンの行く末を揺るがす――――。







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