目覚まし時計が鳴って、布団から腕を出して止める。
「んん…………」
 低く呻いてベッドから身を起こし、欠伸を一つ。
 カーテンから差し込む朝日が眩しい。
「一郎太、朝よ」
「はーい」
 母の声に返事をして、風丸の一日が始まった。



振り返れば君がいる



 運動部の朝は早い。支度を整えた風丸はまだ人通りの少ない歩道を進む。
 鳥がどこかで鳴いて、横を通る自転車のベルがチリンと音を立てた。
 いつもと同じ風景ではあるが、それは決して当たり前のものではない。風丸はおもむろに空を見上げ、運命の日を思い起こす。
 それは突然だった。突然飛来したエイリア学園と名乗る宇宙人。サッカーという秩序のもとにボールで学校は破壊され、試合で仲間は傷つき、日常を滅茶苦茶にされた。風丸の所属する雷門中はフットボールフロンティアで優勝した全国一の学校だったはずなのにだ。
 道を進んで行けばやがて学校が見えてくる。建物は綺麗に建て直され、惨状の影もない。まるで夢や幻のように。あれほど、人々の心の中にも闇が息衝いていたというのに。風丸の心の中にもだ。
 エイリアの侵攻を食い止めるべく雷門中はキャラバンに乗って旅立った。風丸も同行し、エイリアと戦ってきたが、試合や新たな人間関係に風丸は乱され、自我を傷つけられた。その行き着く結果として、自分たちなしで活躍をした新生雷門への復讐の刃――――ダークエンペラーズと化し、対峙した。
 だがその影も今では薄らいでいる。雷門の他にも破壊された学校、傷つけられ、洗脳された人々がおり、ダークエンペラーズの抱えていた闇は全国各地にも密やかに芽生えていたらしく、彼らと新生雷門との和解に人々のわだかまりも払われた。
 今の日本は傷を癒しあい、当たり前だった平和への幸福を実感しながら再生しようとしている。
 風丸も、このただの登校さえも、幸福を感じていた。
 そんな彼を後ろから追いかけ、肩を叩いて過ぎ去るサッカー部員がいる。
「よっ!風丸」
 軽く手を上げ、半田が走り去っていく。挨拶を返す間もなく、距離を離され小さくなっていった。
「元気な奴だなぁ」
 呟きに風丸の口元は綻ぶ。半田の足取りは軽く、怪我の後遺症は見えない。彼もまたダークエンペラーズの一員だったが、挨拶をしてくれた顔は爽やかで眩しかった。
 雷門中に着けば、もう既に何人かがユニフォームに着替えてグラウンド出ているのが見える。風丸も妙に気分が急かされ、小走りで部室に入った。
「皆、おはよう」
 入るなり、さらに数人が準備を整えて部室を出て行く。
「皆、はりきりすぎだ」
 肩から鞄を下ろし、投げ込むようにロッカーへ入れる。


「お待たせーっ」
「おせーぞ」
 風丸がグラウンドに向かえば、打てば響くように染岡が言う。
「まだ時間前だぞ」
「まぁまぁ、お二人とも落ち着いて」
 後輩の少林寺が仲裁に入った。
「風丸、おはよう」
 キャプテンの円堂がボールを抱えてやって来る。
「おはよう。今日はサッカー日和だな」
「ああ、そうだ」
 ニッと白い歯を見せて笑う円堂に、風丸も笑顔になった。
 風丸は思う。こうして平和が戻り、こうして皆と仲良くサッカーが出来るのも、円堂のおかげかもしれないと。けれどもそんな事、彼は気にしていないだろう。彼にとってはただサッカーを愛し、サッカーで通じ合った仲間を信じ貫いただけに過ぎないのだから。
 屈託のない笑顔が、全てを物語っていた。
「円堂。お前さ」
「ん?」
「あ、いや」
「えっ?」
 つい漏れてしまった呟きに、風丸は手をぱたぱたと振る。
「ちょっと、さ。今日の昼休み、屋上に行ってみないか」
「いいぜ」
 躊躇わずに円堂は頷く。
 こうして練習をして、午前の授業をして、昼食を終えた後、円堂と風丸は屋上へ上がった。


「はー、いっぱい食ったー」
 大きく腕を上げ、円堂は床に寝そべる。風丸は隣に腰掛け、膝を抱えた。
「飯が最近楽しみだよ。授業とか、机にぴっちり座って大勢と学ぶって、退屈でさ」
「わかる。キャラバンの時は結構皆自由だったもんな」
「でも俺たちは中学生なんだし、あれが普通なんだよ」
「普通、かぁ」
 円堂は空を流れる雲をぼんやりと眺める。
「円堂……俺さあ……ここが、好きだな」
「俺もだよ」
「そうか?お前はもっと遠くを見ている気がする」
「それもあるけど、それとこれとは別だよ」
「別?意外だ」
 風丸がくすくすと笑い、円堂はばつが悪そうに起き上がった。
「円堂、でもさ、ここは建て直したばっかりの学校なんだよな。本当に俺たちが馴染んでいた雷門じゃない」
 足を伸ばして頭を後ろへ倒すように空を見上げる風丸。
「俺はここをまた、もう一度壊そうとした」
 ――――だけど。風丸は続けた。
「俺は、ここにいる……。今でも、ときどき信じられなくなるんだよ。あの日から、今日みたいな日を送れるなんて」
「風丸、紛れもなく、これは夢なんかじゃない」
「お前が言うと、信じられる気がする。なんでかな」
 顔を円堂へ向けて、目を細める。
「なんでだと……思う?」
「なんでと言われても」
「知ってるだろ?言ってくれよ、円堂」
 円堂は横目で風丸を見る。そっと覗くつもりだったのが離せないで視線が交差した。
「風丸が」
「うん」
「俺を……」
「うん」
「サッカー…………」
「うん?」
「馬鹿、だと思ってる……から?」
「ん…………?」
 徐々に風丸の首が傾いていき、ばたんと倒れる。
「ないとは言わないが、もっと、あるだろ?」
「もっと?」
 円堂は目を瞬きして、丸い瞳で風丸を見下ろす。
「もっと?風丸もサッカー馬鹿なんだろ?」
「……っふ」
 風丸は力を抜いて床に身を任せ、声を出して笑った。
「はは、あはははは。いいや、それで。そうだな、俺もサッカー馬鹿なんだよ。お前のせいでさっ」
「俺の、せいかあ。謝んねーよ!」
「承知だ。後悔してない!」
 円堂も一緒に笑った。
 二人の笑い声につられて、他の仲間たちも屋上に上がってくる。人数が一通り揃えば、誰かがボールを持ってきて、軽いサッカーが始まった。







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