私はサッカーボール。蹴られて飛ばされて、時には受け止められたり磨かれたりする存在――――



君の傍で



 昔、ある学生に買われて以来、雷門中サッカー部にいる。
 一時期、円堂くんくらいしか使われていなかったけれど、人数が揃ってからは毎日のように外に出してもらっている。
 円堂くんはサッカー部のキャプテン。ゴッドハンドを使う円堂くんの手はとても温かくて優しい。サッカーが大好きな円堂くんを私も好きだ。
 今日は朝からグラウンドを転げまわっていた。ベンチにいるマネージャーの木野さん、音無さんはいつも丁寧に私を磨いてくれる。もう一人のマネージャーの夏未さんは、泥まみれの私に触るのを嫌がっていた。でも本当は私に障りたくて仕方がないのはお見通し。素直になってくれるのを気長に待っている。
「豪炎寺さん、行きますよ!」
 宍戸くんが私を蹴って豪炎寺くんにパスした。
 ひいい!やめて!
 私は高く飛ばされて、豪炎寺くんが足に炎を巻き起こしながら飛び上がって追いついてくる。いやあ来ないで!
 豪炎寺くんはエースストライカー。サッカーの才能に溢れた少年だ。
 しかし、豪炎寺くんの技は強すぎて私は黒焦げにされたり、破裂されかけたりする。貴方が必殺技を使う時、私が死に掛けているのを彼は知っているのだろうか。いいえ……所詮、私は消耗品。使われるだけ使われて、使えなくなったら捨てられるだけ。
「ファイアトルネード!」
 痛い!超痛い!貴方は所詮、私の身体が目当てなんでしょ!お腹には大事な空気が入っているのに!
 超高速でゴールへまっしぐらな私を、円堂くんは大きな手――――ゴッドハンドで受け止めて……
「熱血パンチ!」
 ひぎい!酷い!転げまわるくらい痛い!踏んだり蹴ったりだ。力なく落ちる私を他の子が受け止めて、休む間もなく蹴られる私。乱暴で容赦ない子供たちだけれど、私はそんな貴方たちが愛おしい。
 もう何年、私は使われているんだっけ。いつまで、私はこの子たちと一緒に走れるんだろう。涙なんて流れない、だって私はサッカーボールだもの。


 練習が終われば、私は部室のボール籠に放り込まれる。最近、目に付くのは新入りたち。よくもまあこれだけ増えたもの。私だけ傷が目立って恥ずかしい。でもこれは誇りでもある。ドラゴントルネードを受けた時は、一躍皆のスターになれた。
 放課後まで暇になるから私は一息吐いて、休みに入った。悲劇の足音なんて、ちっとも知らないで。


 昼休み。部室の鍵が開く音を私は聞いた。入って来たのは風丸くんだ。足の速さが自慢の元陸上部らしい。円堂くんをとても慕っているのは、貴方の蹴りを受ければわかる。
「これか……」
 呟いて、風丸くんは私を手に取った。なんだか寒気がする。なんでだろう……。
「木野の言った通り、ボロボロだな」
 私を手の中で転がして、まじまじと眺めてきた。
 嘘だ。木野さんがそんな事言うなんて。ただのボールだと思っているんだ。当たり前か。
「おいお前。古いからもう捨てるって」
 一人きりを良い事に、風丸くんは声をかけてきた。
「本当は木野の役目だったけれど、俺が代わったんだ。すげえ使い込まれているよな。なんか、お前を見ていると腹立ってくるんだよ」
 何を言うのこの子。私はただのサッカーボールなのに。
「どうせ捨てるなら、潰しても良いよな」
 私を見下ろす風丸くんの目がすっと細くなった。冷たい、残酷なものに変わる。
 風丸くんは私を抱えて、道具棚からカッターナイフを取り出した。
 チキチキチキ……硬いプラスチックの音を立てて刃物が姿を現す。やめてよ……円堂くんが見たら凄く悲しむよ。
「どれだけ円堂に愛されたんだか。穴が空いたら、修復できないよな」
 カチッ。刃が突き立てられる。やめて、やめて、やめて……。
 尖った箇所が食い込み、そこから傷を広げていく。隙間からシューッと、空気が勢い良く抜けていった。ああ……意識が朦朧とする……誰か……お願い……円堂くん……助けて……。


 遠くから、聞き慣れた足音が聞こえる。この音を、私はよく覚えている。
「おーい」
 円堂くんが来てくれた。やっぱり、君は来てくれたんだ。
「木野ぉ。あれ?風丸か」
「よお円堂。木野と代わったんだよ」
 風丸くんは素早くカッターを抜いて、ポケットに仕舞いこんだ。この人、殺ボールしようとしました!
 ……そんな事、叫べる元気も無い。私は空気を抜かれて凹んでしまっていた。
「あ、空気抜けてる。どっかやっちゃったかな」
 円堂くんは私を覗き込んで、残念そうな顔をしてくれる。カッターで故意に傷付けられたなんて分かりはしないだろうけど。そんな傷も見えないくらい、私は使い込まれて擦り傷だらけなのだ。
「木野がコイツ替えるっていうからさ。世話になったし、最後まで見届けようって思って」
 え、円堂くん!嬉しい!雷門中に来て良かった!
「楽しかったぜ。有難うな」
 私に触れて、撫でてくれた。もう捨てられるだけだけど、悔いはない。
「それで円堂。あれは?」
「ああそうそう。これだよ」
 風丸くんに言われて、円堂くんは思い出したように腕に下げていたものを持ってみせる。
 それは新しいサッカーボールだった。私とは比べ物にならない、黒と白のコントラストがはっきりとしている。眩しい。


『あら、随分と古いボールだこと』
 そいつは上から目線で、ボール同士にしか通じない声を送ってきた。
『ご苦労さま。これからは私に任せなさい』
 何様だ。円堂くん、騙されちゃ駄目。捻くれたボールじゃ良いシュート撃てないよ。
『私がこの子たちをフットボールフロンティアの頂点まで導いてあげる』
 ふんぞり返って新ボールは言い放つ。
 そうだ……私……この子たちの大会の結果を知らないで捨てられるんだ……。身体が凹めば、気持ちまで凹んで戻れない。
「じゃ、ゴミ捨て場に行こうぜ」
 追い討ちをかけるように風丸くんが私を摘まんで顔の前で揺らす。
「いや、待ってくれ」
 円堂くんが私を風丸くんからさらう。
「使えなくても、置かせてくれないか。せめて、大会が終わるまでは」
「まあ、円堂がそういうなら……」
 口ごもりながら了承する風丸くん。新ボールの舌打ちが聞こえたけれど、気にしない。
 私はもう少しだけ、ここにいられるんだ。こんなに嬉しい事はない。


 それから、カッターの入っていた棚の上で私は他のボールから分けられて置かれるようになった。
 凹んでいた身体は風丸くんがこっそり傷を塞いで空気を詰めてくれた。こっそり謝られたのもちゃんと聞いている。わかっているよ。君だってサッカーが好きなんだもの。あれは気の迷いだったに違いない。
 私は待っている。隣にフットボールフロンティアの優勝トロフィーが並ぶのを。きっと、円堂くんたちなら出来るって信じているから。
 そうそう、あの時の新ボールは部員にとても可愛がられている。特に引き抜きで加わった御影専農の下鶴くんのシュートを一身に受けていた。パトリオットシュートっての?あのお尻から火が出る技。超恥ずかしいんですけど。







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