玄関で靴を履く豪炎寺を、母が呼び止めた。
「修也。病院へ行くんでしょ」
 振り向き、頷く。
「じゃあこれ、夕香の部屋に届けてくれないかしら」
 封筒を渡される。硬い感触がして、手紙以外に何かが入っているのを悟る。
「これは?」
「夕香のお友達からよ。一緒に撮ったお写真も入っているの。お駄賃あげるから、写真立てを買って飾ってあげて」
 封筒は既に封が開けられており、覗くと写真が入っているのが見えた。
「わかった」
 上着のポケットに封筒を入れ、豪炎寺は家を出る。



いつでも、待っている



「夕香。入るぞ」
 病院の夕香の病室へ入った。
 眠ったままの夕香の横で、豪炎寺は語り続ける。
「友達からの手紙を頂いたぞ。良かったな」
 封筒から写真を取り出して眺めた。
 夕香と友達が仲良く笑って写っている。数枚入っており、中にはいつか夕香がサッカーの試合を観に行った時のものもあった。夕香と豪炎寺、夕香の友達、前の学校の仲間たちが揃っている良い写真だ。
「……………………………」
 写真の中の夕香から眠る夕香に視線を移す。
 あんなにコロコロと楽しそうに笑う彼女が、今は静かに目を閉じている。
 目覚めたら、この写真のように笑ってくれるのだろうか。
「夕香」
 願いを込めて笑いかけようとした顔が強張った。
 握った写真に視線を落とす。写真の中の夕香が笑うように、写真の中の豪炎寺も笑っていた。
 俺はどんな顔で笑っているんだろう。ちゃんと、笑えているのだろうか。
 ふとそんな疑問が過った。


 写真を飾った後、洗面所の鏡の前で豪炎寺は自分の顔を写す。
 鏡の中には無表情で佇む豪炎寺がいる。
 事故で意識不明の寝たきりになった夕香に、彼女が目覚めるまで彼女が信じていたサッカーの強さで勝ち続けようと決めた。強さだけじゃない、表情だってあの写真のような笑顔で迎えてやるべきではないか。
「……………………………」
 口元を綻ばせると、鏡の中の豪炎寺も笑う。
 しかし、これはあくまで形作ったものに過ぎない。実際、どんな顔で笑えているかなんてわからないのだ。
 鏡の中の豪炎寺が不安そうな顔をした。






 翌日。昼食は中庭で円堂と風丸と取った。
「おいおい大丈夫かよ円堂」
「なんとかなるんじゃないか。そういえば昨日な……」
「……あ、それ観たよ。でさ」
「マジか」
 豪炎寺の前で、円堂と風丸は弁当を食べながら談笑している。話題に応じて表情はコロコロと変わった。相槌を打ちながら、豪炎寺も話題に混じっている。
 昨日の事があるせいか、つい自分の表情を意識して、逆に硬くなってしまう。
「……………………豪炎寺」
「…………………どうした」
 円堂と風丸は目をパチクリさせて豪炎寺を見る。
「別に。なんでも……。それより」
 話題を逸らそうとすればジト目になる二人。
「なんでもなくはないな」
「あーそうだ。絶対にそうだ」
「なぜだ」
 問うと、二人は見合わせ“わかってないね”というジェスチャーをするものだから、少しイラついた。
「そりゃあ、それなりの付き合いもあるし」
「お前の事は、わかってきているつもりさ」
 優しさがくすぐったい。はにかむ豪炎寺。
 雷門に転校して、しばらく経つ。サッカーを捨てて入ったのに、再び始めたのはここであった。取り戻したものだけではない、手に入れたものもある。例えば、目の前にいる二人とかだ。
「実は……昨日、な」
 簡単に先日の出来事を話した。
 妹の夕香の友達から写真を受け取った事。
 そこには自分や前の学校の仲間も入った写真もあった事。
 夕香が目覚めた時、笑顔で迎えたいと――――
「なるほどな。目覚めた時、笑ってサッカーを続けていてくれたら誇らしいと思うぜ」
「ああ」
 円堂の言葉に豪炎寺の表情が柔らかくなった。
「写真、か。豪炎寺がここでサッカーやっているって、写真に撮ってみたらどうだ」
 風丸が閃いたとばかりに指を立てる。
「そうすれば、眠っていた間に豪炎寺が何していたのかわかるもんな。雷門サッカー部のメンバーがせっかく揃ってフットボールフロンティアに行けるようになったのに、記念も何も無かったから良い機会かも」
「そうと決まれば」
 風丸が円堂を見る。
「やるか」
 力強く頷く円堂。
「円堂。風丸。…………」
 豪炎寺は名を呼ぶが、後に続く言葉が詰まってしまう。
 そんな彼の肩に円堂は手を置き、風丸は手を引いてくれた。


 写真を撮るには、まずカメラを借りなければならない。
 マネージャーの音無を訪ねると、快く貸してくれた。
「カメラですか。ありますよ。部室にあるので一緒に取りに行きましょう」
 部室へ行くと、偶然夏未に出会う。
「あらカメラ?記念写真を撮るの?だったら特別なのを貸してあげるわ」
 次は理事長室に入って、高そうなカメラを貸してもらう。
 試し撮りをしに教室へ行くと、二年生のサッカー部の仲間がいた。
「それどうしたんだよ」
 カメラに逸早く気付く染岡。
「ほお、写真ですか。仕方ない、僕が撮ってあげましょう」
 カメラマンを立候補する目金。
「どうしよう。髪を切ってないや……」
「!?」
 影野の謎の発言に、横でギョッとする半田。
「こっちこっち」
 円堂と風丸が豪炎寺を挟む形で中央に立つ。
「豪炎寺くん、もうちょっと右」
 木野が位置を調整してくれる。
 人数がそれなりに揃っていたせいか、試し撮りなのに大掛かりになってしまう。
「あれ?何してんの」
 偶然通りかかった土門が目金、つまりカメラの前を横断した。
 パシャ。不運にもシャッターが押される。飛び交うブーイングの嵐。
 次に通ろうとしていた松野が胸に手を置いて安堵の息を吐いていた。
「はいはい。本番は放課後だから、宜しくな」
 円堂が強引に場をまとめた。
「あー、君君」
 目金が豪炎寺に手招きをする。
「ちょっと表情が硬いよ。気をつけてくれたまえ」
 カメラを丁寧に置きながら、指摘をした。
「硬い……」
 やはりあの頃のように笑えていないのだろうか。
 午後の授業は机に肘を突く振りをして、頬の筋肉を気にしていた。


 放課後、部室で写真の話を聞いた一年生は騒ぎだす。
「写真でやんすか。今日じゃお洒落も出来ないやんす」
「サッカー部も賑やかになったし、頃合かもね」
 栗松と宍戸は話をしながら、手で軽く身だしなみを整える。
「前の方にだしてもらおう」
「後ろだろうなぁ」
 少林と壁山は位置が気になるようだ。
「なあ、豪炎寺知らないか」
 風丸が部室に顔を覗かせて問う。
「こっちにはいませんよ」
「そっか。わかった」
 扉が閉められる。


 豪炎寺はというと、彼は洗面所の鏡の前にいた。隣には影野もおり、二人して鏡の前で睨めっこをしている。一人ではないので笑顔の練習はしないが、しきりに表情を気にする豪炎寺。
 そんな彼に、そっと影野は独り言のように声をかける。
「久しぶりだな……皆で写真なんて……」
「そうなのか」
 鏡で影野を見れば、髪で目は隠れていても彼の嬉しそうな様子は読み取れる。
「欠席の奴の方が目立てるんだよな……丸で囲まれちゃってさ……なまじ健康体が運の尽きさ」
「心配するなよ。ちゃんと写るさ」
 自分にも聞かせるように言った。
「俺は行っているね。君も、心配しないで」
 影野は行ってしまう。緊張は悟られていたようだ。
 彼が去ってすぐ、入れ替わるように円堂と風丸が入って来た。
「おー、いたいた。捜したぞ」
「皆待っているぞ。行こう」
「……ああ、うん」
 返事をするが、動けないでいた。
「どうした?」
「……俺、笑えるかな」
 ぽつりと呟く。
 写真という形にして、昔のものと比べるのに不安が残るのだ。
「無理に意識するもんじゃないぜ。お前がここにいて、どう思っているかが大事さ」
「風丸……」
「俺たちは思いっきり笑うからさ、それをお前なりに応えてくれれば良いさ」
「円……っ」
 言いかけて、正面から思い切り円堂に頬を挟まれ、ぐにぐにと揉まれる。
「顔面マッサージ完了。じゃ、行くぞ」
「おー」
 風丸が豪炎寺を後ろから押す。
 部室の前に来ると、皆が迎えてくれた。


「遅ぇぞ。早く来い!」
「ねえ、本当にこの前で撮るの……」
 大音量で手を振る染岡の前で、夏未は部室前が気に入らないらしくそわそわしている。
「僕の腕の見せ所です」
 カメラを構える目金に、夏未の執事・場寅が囁く。
「わたくしが撮りますので、貴方もそちらへ行ってください」
「そうですか?ではお言葉に甘えます」
 小走りでサッカー部の元へ向かい、前を陣取る。
「さ、皆さん準備は良いですか」
「はいっ!」
 声が揃う。
「ではいきますよ……」
 カメラの前のサッカー部一同が、それぞれ個性的な笑顔を形作る。
 皆の笑顔に囲まれ、真ん中の豪炎寺も微笑んだ。






 夕日が差し込む病院の夕香の部屋。
 夕香の友達の写真の隣に、現像したばかりの雷門サッカー部の写真を置く。
「夕香」
 ベッドの隣に椅子を引き寄せて座る。
「転校した先でも、俺はサッカーをしている。夕香が目覚めるまで、絶対に勝ち続ける。辛くなんかない。俺は……ほら……」
 写真を見上げた。そこには、ぎこちなくはあるものの幸せそうに笑う豪炎寺が仲間たちと写っている。
「友達も出来たんだ。円堂と、風丸って……」
 控え目なノックに語りを中断した。
「はい?」
 扉を開けると、円堂と風丸が軽く手を上げる。
「急にごめん。写真、飾ったって聞いたから」
「お見舞いに来させてもらった」
「そうか。今、二人の話をしていたんだ。入ってくれ」
 招き入れる豪炎寺。
「二人のおかげで良い写真が飾れたよ。有難う」
 穏やかな声で、自然と笑いかけた。
「へえ、良いじゃないか」
「あ、そうだ。これどうぞ」
 写真を覗きこむ円堂の後ろで風丸が持ってきた花を渡す。
「夕香。円堂と風丸が来てくれたよ」
 夕香の額に触れ、前髪を撫でた。
 そして、そっと心の内で囁きかける。


 いつでも、待っている。







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