この手は、何を求めて彷徨う。
砂の血
耳の中を止む事のない風の音が吹き続ける。
幼い少年――――吹雪士郎は真っ白な雪の中に倒れ、足が不自然に絡んでいた。まるでどこからか落ちてきたように、不自然な方向へ投げ出されているのだ。
「………………っ…………は…………は………」
開けられた唇は、ただ呼吸を取り込むのみ。喉がひくつき、掠れた音を発する。
瞳は虚ろに広がる景色だけを映していた。命を自然に任せるかのように、他人事のように見詰めているのだ。
「は」
ときどき身体を震わせ、雪に頬を擦りつける。
やがて白い雪が色を染め出す。薄いピンクは赤くなり、赤はより鮮明な赤になって白へ浸食していく。
ああ、これはどこの血だ。
瞳は前を映したまま、腕を動かす。
目の前で手を広げて見せる。
「………………………………」
ぽっかりと口を開け、息を吐いた。
手は土で汚れ、血が付着していた。
自分の血か、それとも誰かの血か。よくわからない。
そもそもさっきから、痛みを全く感じないのだ。
寒ささえ、感じていない。
寒いどころか、熱くてたまらない。
恐らく、体温が気温を下回ってきたのだろう。
確か、父が雪山で遭難した被害者たちは裸の人が多い、と聞いたことがある。
本当は衣服を脱いでしまいたいが、そんな気力も無い。
何もかも、気力が無い。
僕、死んじゃうの?
ぼんやりとした頭の中で“死”という単語が浮かぶ。
あまりにも遅すぎる自覚。
問いかけても、誰も答えてはくれない。
お父さん。
お母さん。
アツヤ。
心の内で家族を呼んだ。
ここはとっても寂しいよ。
お願い、誰か来て。
お願い、一人は嫌だよ。
「……あ…………………」
手を伸ばし、何かを求めるように足掻く。
力の限り前へ向けようとした指先が震えた。
感覚など何も無い。指先から凍って砕けてしまいそうだった。
死にたくないよ。
置いていかないで。
瞼が重くなり、何度も瞬きを繰り返す。
やがて力を失い、開かなくなった。
「は」
吹雪は自分の声に反応して目を覚ます。
びくんと全身を震わせ、夢を見ていたのだと我に返った。
ここはイナズマキャラバンの中。時刻は夜、皆寝袋に入ってよく眠っている。
「…………はぁ」
寝袋のチャックを軽く開けて手を出し、額に手を当てた。
汗だくであった。次に髪の中へ手を入れても濡れている。
まだ朝は遠く、このままでは二度寝は気持ちが悪い。チャックをさらに下げて寝袋から出ようとすると、隣で眠っていた染岡が起きてしまう。
「起こしちゃってごめんね」
目を擦る染岡に小さく詫びる。
「吹雪お前、汗だくじゃねえか」
「あー……うん。だから、ちょっと外で涼んでくるよ」
苦笑いを浮かべて床に足を置いて立ち上がる。
「待て」
「えっ?」
「俺も行く」
きょとんとした目で吹雪が見下ろす中、染岡は寝袋のチャックを下ろした。
二人でキャラバンの外へ出ると、ほぼ同じタイミングで両腕を上げて伸びをする。
「涼しい〜」
抑えていた音量を戻し、吹雪は言う。
「お前はさっさと汗を拭けよ」
染岡が吹雪の首に巻かれたマフラーを持って額に押し付ける。
「風邪ひくぞ」
「うん……。砂漠にいた夢を見ていたよ」
はは。吹雪は微笑んで見せるが、染岡の表情は硬い。
「砂漠?砂漠なら良いけどな」
息を吐き、ぎこちない笑みを浮かべた。
「なんかよ、寒そうにしてたぜ」
「見てたの?」
吹雪がさっとマフラーで顔を隠す。
「たまたまちょっと見えただけだって。吹雪があんまり寝袋に深く入ろうとするから、何やってんだコイツって思ったんだよ」
「僕、人に寝顔見られるの好きじゃない……」
ふるふると首を横に振った。
「俺だって好きじゃねえよ。けどよ吹雪、あんな風に眠るとその内、服の中に塩が出来るぞ」
「えー……染岡くんみたいに汗臭くなる」
「俺限定にすんなよっ」
染岡が小突くと、吹雪はマフラーから顔を出して破顔する。
「まぁ苦手同士ならお互い様って事で隠すのはやめよう」
軽く咳払いして吹雪を見やる染岡。吹雪はじっと染岡を見据えるのみ。
「………………………………」
「そんなに嫌か?」
「…………わかった。良いよ」
二人はキャラバンに戻り、向き合うようにして寝袋に入る。
律儀にそう見せなくても、と思いながら吹雪は染岡に付き合う。
「おやすみ」
先に眼を瞑る吹雪。気配で、染岡も眠るのを悟る。
染岡がああまで言うから、顔を見せて眠った。
本当に、人に寝顔を見せるのは好きじゃないのだ。
吹雪は幼い頃、事故に遭って両親と弟を亡くした。それから親戚の家に引き取られたのだが、夜眠る頃に彼らが吹雪の様子を伺う気配に感付いていた。
哀れみと同情の視線。気遣いは有難かったのだが、自分は本当に一人になってしまったのだと思い知らされもする。受け入れも、否定も出来ず、いつからか背を向ける事を覚えていた。
染岡は吹雪の事は何も知らない。お互い様だというだけで顔を向けてくれた。
理由はよくわからないが、彼になら向けても良いか、などと思えた。
それは彼が何も知らないから。何度も自分に言い聞かせて吹雪は夢の中へ沈んだ。
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