全部、夢だったらいいのに。
 そう思わない?



夢うつつ



 走る。どこまでも走る。
 びゅんびゅん速くなって、風になる。
「アツヤ!こっちだよ!」
「おう!」
 士郎の声にアツヤは元気に応え、ボールを蹴った。
 受け止めた士郎はアツヤと並び、ゴールへ向かって駆ける。
「へへっ……」
「ははは」
 自然と二人の口元は弧を描いて微笑んだ。
 このスピード、このパワー、この笑顔。
 最高だった。
 本当に最高だった。


 だが、ある日を境に変わってしまった。


「吹雪くん!行くよー!」
 チームメイトがボールをパスしてくれる。
 ボールはアツヤとは比べものにならない程、弱くて軽い。腫れ物を扱うように、思い切りやってくれないのだ。
 士郎と士郎の家族は雪原で事故に遭い、士郎だけが生き残った。
 あの日から、チームメイトは“士郎くん”ではなく“吹雪くん”と呼ぶようになった。
 友達の関係は変わらないけれど、労わる気遣いは関係を遠くさせた。
 もう二度と、あの最高の気分は味わえないのだろう。
 しかしサッカーは嫌いになれなかったし、サッカーはアツヤとの絆、家族と最後まで交わしていた話題もサッカーだった。


 アツヤと追いかけていたゴールはどこまで続くのか。
 どこまで走り続ければいいのか。
 早く辿り着いて、楽になりたい。
 もうそろそろ、疲れそうなんだ。


 士郎――吹雪はあてのないゴールを目指し、走り続ける。探して迷って、来た道さえもあやふやになった、そんな時だった。


「おい吹雪!どこ見てやがる!」
「へ」
 気付いた頃にはもう遅い。振り返れば不運だった。
 勢いよく飛んできたボールが吹雪の顔を直撃し、彼はひっくり返って倒れる。
「もう!なにやってるのよ!」
「サイテー!」
 マネージャー・夏未が声を上げ、彼女の反応に便乗して木暮が茶化す。
「おい、大丈夫か」
 キャプテンの円堂が真っ先に駆けつけて吹雪を抱き起こした。吹雪の顔は丸い形に薄っすら色付く。
「あ、……大丈夫……うん……」
 のんびりとした声で薄く笑い、視線を、ボールをぶつけた張本人・染岡へ向ける。
「すまねえ。いや、余所見すんなよっ」
 染岡は詫びてから自己正当を主張した。
「染岡くんは悪くないよ。ちょっと、考え事しちゃって……それにしても、痛ったいなあ」
 はは。あははははは。吹雪は声を上げて笑い出す。彼は普段から微笑んでいる穏やかな人物だが、ここまで大きく笑うのを見るのは初めてで、周りの雷門メンバーはぽかんとしていた。
「おい吹雪。打ち所悪かったか?」
「ううん、正常。染岡くん、気にしないで。この調子でお願い」
「お、おう。わかった」
 笑いが治まらず、腹を押さえながら吹雪は起き上がった。


 あんな強いボールが味方から容赦無しにぶつかってきたのは、本当に久しぶりだった。
 吹雪はエイリア学園と戦う為に雷門イレブンに加わった。そこで出会った染岡というFWは、不器用だからか曲がり道を知らない。いつだって真っ直ぐにぶつかってくる。
 口にしたら本人はむくれるだろうが、吹雪は気に入っていた。
 仲良くなりたい。そう、純粋に思える人物だった。
 もう少し頑張ってみよう。そう思えるきっかけになった。






 日は暮れて、夜になる。雷門イレブンを乗せるキャラバンは山中で停車した。
 ところが休もうとなった時、仲間の目金が熱を出して水が必要という事態に陥る。
 地図によれば池があるらしいので、誰が汲みに行くか相談が始まった。
「私が行って来るよ」
 運転手の古株が名乗りを上げる。
「いいえ、古株さんに離れられたら困るわ。私が行きましょう」
 軽く挙手する瞳子。
「女の人に夜道は危ないよ。僕が行く」
「子供にだって行かせられない」
 意見する吹雪に瞳子が返す。
「なら、俺も行く。二人なら良いだろ」
 染岡が一歩前に出た。
「二人だからって……言っても聞かないでしょうね。わかったわ、貴方たち二人に任せる」
「何かあったら、すぐに連絡しろよ」
 瞳子が折れ、円堂が横になっている目金の傍で言う。
 彼は不安がる壁山に羽交い絞めにされており、動けずにいた。


 こうして吹雪と染岡はキャラバンを出て、木野から受け取ったペットボトルを持って地図を頼りに池を探す。夜の森は都会のような明かりはなく、本当に暗い。覆い茂る木が空を隠して月明かりを遮断している。電灯をかざしても数歩先しか見えない。
「気をつけてね」
「わかってら」
 離れないように二人はくっついて進む。
「っつ……」
「どうした?」
「枝が髪に引っ掛かっただけ」
 吹雪は己の髪を撫で、頭についた葉を落とした。
 しばらく進むと道が明るくなる。木が少ない場所のようだ。ほんの少し、安堵した。そのほんの僅かな気の緩みが油断を招く。
「うわっ」
 踏み出そうとした足が滑り、染岡が均衡を崩す。明るい道のすぐ横は急斜面になっていたのだ。
「染岡くん!」
 吹雪は染岡を庇うようにしてしがみつき、二人共々斜面を転がっていく。危うく谷底へ落ちそうになったものの、木に止められて助かった。
「危ねぇ……」
 染岡が低く呻き、上に乗った吹雪の身体をやんわりとどかして身を起こす。幸いどこも痛くは無い。
 木の先の絶壁を見て肝を冷やし、吹雪に声をかけた。
「吹雪」
「………………………………」
「おい、吹雪」
「………………………………」
「吹雪……?」
「………………………………」
「吹雪!」
 吹雪を抱き起こし、揺らす。吹雪は力なく目を瞑っていた。
「吹雪……しっかりしろ……!吹雪……!」
 一見、身体に外傷は無い。頭を強く打ったのだろうかと後ろ頭を撫でる。傷やこぶの感触は無い。
 手の甲で軽く頬をぺちぺち叩いて、心臓へあてて心音を確かめる。ジャージ越しでよくわからない。
「……くそっ……!」
 染岡の表情が焦りから恐怖へと色を変えていく。
 脈を診ようと手首を掴むと、吹雪の瞼が震えた。唇が薄く開いて喉を鳴らす。
「……う…………」
「吹雪!」
 吹雪が瞼を開いた先には、染岡の笑顔があった。
「そめおか、くん……」
「心配させやがって」
「染岡くんも、無事でなにより…………」
 目を細める吹雪。普段の彼のこと、きっと笑っているんだと染岡は思いたかったが、なぜだか悲しそうに映った。
「このまま……眠りたかったな。……なんてね」
「吹雪?」
「このまま……目覚めないで…………全部、夢だったらいいのに」
「お前、なにを言ってるんだ?」
 吹雪を揺らす染岡。しかし、彼の表情は凍りついたように変わらない。
「ねえ、染岡くんも思わない?夢だったら、君の学校も無事だし、君の友達も元気だし」
「お前はなにを言っているんだと言っている!」
 声を荒げた染岡に、吹雪は吃驚して目を丸くさせた。そうしてまた、目をとろんと垂れさせる。
「ごめん。変な事言って」
 染岡の胸を軽く押し、吹雪は身を起こして頭を振るう。
「ごめん」
「一度でいい」
 もう一度詫びる吹雪に、ぴしゃりと返す。
「歩けるか?行くぞ」
「うん」
 池を目指し、再び歩き出す二人。染岡が先頭になり、吹雪と顔を合わせようとしない。
「なあ吹雪」
 振り返らずに染岡が呼ぶ。
「もしも、これが夢だとしよう」
「………………………………」
「俺は嫌だぜ。夢だろうが学校を破壊されて、仲間が傷付けられたら許せねえ。お前を寝たままにするのも夢見が悪ぃ」
「………………………………」
「吹雪、昼に大笑いしたよな。それも、夢が良かったのか。そうだった……俺のせいだったな……」
 これは聞かなかった事にしてくれ。染岡はそっと付け足す。


 しばらく歩いた先に池は見つかった。月明かりが二人を照らして、転んだせいでジャージが砂だらけだと気付く。染岡と吹雪は並んで顔を見合わせた。
「まずいな。何かあったって疑われる」
「困ったね」
「洗うか!」
「え?」
 染岡はジャージのファスナーを下ろして脱ぎ、しゃがんで池の水に浸した。
「ち、ちょっと染岡くんっ。どうやって乾かすのっ?」
「あ」
「もっと早く言えよ」
「そんなぁ」
 眉を下げる吹雪に、染岡はくすくすと笑う。彼の笑顔を見て、吹雪はホッとした。
「染岡くん。さっきは本当にごめんね。君が怒るのも当然だよ」
「一度でいいって言ったろ?それに俺は怒ってねえ」
「でも」
「あれが普通だ」
「…………………………うん」
 吹雪は穏やかに微笑み、頷いた。
「よし。染岡くんだけ濡れていたらおかしいもんね」
 決意したように彼は胸の前で両手を握る。
「そーれ!」
 ざっぱーん。吹雪は小さく助走をつけて池へ飛び込んだ。
「これでアリバイはバッチリだねっ」
「変な奴」
 呆れたように言って、染岡も飛び込んだ。
 池の水は冷たいのに、身体の内側はほかほかと温まる。


 キャラバンへ戻った二人は、瞳子にこってり搾られた。







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