会えない



「西垣」
 呼ぶ声に、西垣は瞼を薄っすらと開く。
「眠っているところ、すまない」
 声の主・二階堂が見下ろして詫びていた。
 息を吸えば、医療器具特有の匂いが鼻孔をくすぐる。
 ここは木戸川にある病院。木戸川清修はエイリア学園の襲撃を受け、生徒の大半が入院した。幸い続々と退院していくが、西垣はまだ出られないでいた。
 二階堂は時間の許す限り、こうして見舞いに来てくれる。
「西垣に、知らせたい事があるんだ。どうしても、すぐに」
「なんです?」
 興味を示す西垣に、二階堂は微笑みながら語った。
「今度な、木戸川にイナズマキャラバンが来るそうなんだ」
 イナズマキャラバン――――エイリア学園と戦う為に全国を回る、雷門中を中心に編成された日本最強のチーム。その中には西垣がアメリカにいた頃からの友人、一之瀬、土門、木野が乗っている。
「一之瀬たちが……」
「ああ、そうだよ。病院に許可を取るから、会いに行け」
「行きたくないです」
 二階堂の言葉を遮り、西垣はきっぱりと放つ。
 二階堂の笑顔が固まり、困惑を浮かべた。
「西、垣?」
「俺は、会いたくないです。入院している事はあいつらには伝えていますが、病院の場所は教えないでください」
「西垣、どうして」
「こんな姿、見せたくないんです」
 本心を述べる西垣に、二階堂は受け止めざるをえない。
「そうか、わかった。でも許可は取っておくよ。お前の気が変わったらすぐに会いに行けるように」
「変わらないと思います」
 声は大きくはないものの、はっきりとしすぎた口調に、西垣は呟くように“ごめんなさい”と詫びる。退院できない苛立ちが二階堂に八つ当たりをしている気分になったのだ。
「西垣、先生もお前の気持ちを考えなくて悪かったな。そうだ、これは女川からの差し入れのファッション雑誌だ」
「有り難うございます。女川にも伝えてください」
「ああ、わかったよ」
 二人は雑談をかわし、あっという間に時間は過ぎて二階堂の帰る時間となる。
「じゃあ先生、そろそろ帰るよ。また来るから」
「はい」
 軽く手を上げて、二階堂は病室を出た。
 一人きりになると、西垣は一之瀬たちの事を思い浮かべる。落ち着かずにベッドの上で上半身を起こして膝を抱えた。雷門の活躍はテレビやラジオ、新聞や雑誌、様々な媒体で入院中の西垣にも届いている。喜びたい気持ちとは一方で、身動きの出来ない現状に惨めさを感じている。
 アメリカにいた頃はなにも疑いもなく、当たり前のように共にいた記憶があった。けれども、一之瀬を襲った事故、学校に襲来したエイリア学園――――破壊に絆を引き離され続けていた。
「情けないよな」
 己に語りかけるように言う。
「この脚、身動きも取れなかったよ」
 リハビリが必要な足を手で摩った。
 一之瀬はどんな気持ちで人知れず療養をしていたのだろうか。彼が乗り越えられただけに、己の弱さが本当に嫌になった。






 数日後、木戸川清修に新生雷門を乗せたイナズマキャラバンが到着した。木戸川の監督・二階堂と選手たちは校門で彼らを歓迎する。まずは監督の瞳子が降り、二階堂と話をする中、他のメンバーが降りていく。
「よっと」
 地面に足をつけた一之瀬は土門と共に西垣を捜す。きょろきょろと見回す二人に木野もやって来て三人で捜した。けれども見つからない。
「ダーリン、どうしたん?」
 不審に思った浦部が問う。
「ほら、話しただろう、西垣の事」
 一之瀬はキャラバンの移動中、浦部に西垣の事を語っていた。
「おらんの?」
「そうなんだよ」
「私、二階堂監督に聞いて来ようか。あっ、二階堂監督!」
 木野が二階堂に手を振って呼び寄せる。
「どうしたんだい」
「あの、西垣が見当たらないのですが」
「……ああ、西垣は病院にいて、今日は体調が悪くて来られなかったんだよ。すまないな、先に言っておくべきだったね」
 二階堂は罪悪感を抱きながらもごまかす。
「病院……」
 一之瀬は己の事故を思い出し、胸が短い痛みを発した。
「あの、お見舞いに行ってもいいですか」
「すまない。先生も断られているんだよ。西垣も会いたがっていたのに、残念だ」
「…………………西垣に宜しく伝えておいてください」
 一之瀬、土門、木野は二階堂に会釈をする。二階堂は三人の落ち込み様を察しながらも、用事がある振りをして彼らから離れた。見ていられなくなってしまった。特に一之瀬の落ち込みは目に見えて伝わってくる。
「ダーリン、大丈夫?」
 浦部が一之瀬の顔の前で手を振った。こんなにも元気を失う一之瀬は初めて見たような気がする。
「え?あ、ああ」
 目をぱちくりとさせ、我に返る一之瀬。けれども胸はどんよりと錘が沈んだように晴れない。
「あー。俺、ちょっとトイレ行って来る」
 苦笑いで土門、木野、浦部から逃げるように校舎一階の洗面所へと駆け込んだ。
 流しで顔を洗い、気持ちを切り替えようとした。
 一之瀬自身、自分の落ち込みには驚いている。西垣の入院は彼からのメールで知ってはいたが、実際に木戸川の地に訪れて痛みを受けた。西垣が、過去の自分と同じように怪我をして入院をしてしまった。西垣とは友達として接しているが、本来は一つ下の弟のような存在だ。ときどき兄貴風を吹かせて可愛がってやりたいような衝動に駆られる事もあった。無意識に守りたい思いでもあったのか、会えないという現実はショックであった。
「西垣」
 会えないのは理解しているが、どうしても無理だろうか、という隙を伺う意思が疼いている。
 二階堂監督に頼み込んで病院の場所を教えてもらおう。そう決めて洗面所を出ようとした時だった。
「二階堂監督〜」
 洗面所前の廊下から女川が窓から二階堂を呼ぶ。
「こら、自分から来なさい」
 窘めながらも歩み寄る二階堂。
「西垣に雑誌渡してくれました?」
「ああ、喜んでいたよ。女川に有り難うって」
「今日どうして西垣来なかったんですか?」
「んー、体調が優れないみたいだよ。心配は要らない。なにか伝言あったら、後で先生が病院で伝えておくよ」
 ――――すまない。先生も断られているんだよ。
 先ほどの二階堂の発言の矛盾に、洗面所の扉で耳を立てていた一之瀬は気付く。
「欲しい雑誌あるか、聞いておいてください」
「わかったよ」
「……………………………」
 一之瀬は二階堂と女川が去った後、そっと扉を開いて廊下に出た。その表情はなにかを思いつめたようにしかめられている。
 二階堂監督はなにかを隠している。後をつければ病院に行けるだろう。
 しかし、土門や木野に話せば大人数になって見つかってしまう。
 ここは一人で行くしかない。そう、一之瀬は決意をした。
 どうしても自分の負った悲しみや辛さを西垣には背負って欲しくはない。一之瀬は決意を押し込めたまま雷門と木戸川の交流を見守り、今日は木戸川のグラウンドにキャラバンを停めて一泊する事が決まった好都合を利用して二階堂を一人追った。


「……………………………」
 音と気配を殺し、忍び足で辿り着いた病院。西垣と名前の書かれたプレートの病室に二階堂が入り、扉前で再び聞き耳を立てる一之瀬。
「西垣、調子はどうだ」
「普通です」
 くぐもり、小さな音だが十分会話内容はわかる。
「今日、本当に来なくて良かったのか。一之瀬くんたち心配していたぞ」
「もう過ぎた事じゃないですか。言ったでしょう、こんな姿見せたくないって」
 西垣の苛立ちが一之瀬にも伝わった。お世辞にもいいとは言えない感情ではあるが、元気なのはわかった。
「こんな姿と言う程、お前は」
「今は、会いたくないんです。今は…………」
 間が空き、二階堂が細く“西垣”と呼ぶが一之瀬にはわからない。
「監督が来てくれるだけで、俺は満足です」
 一之瀬たちには向き合えないが、二階堂は甘えられる存在だった。行きたくないだんなんて言ったのも一種の我侭だった。直接声に出して困らせるのも甘えだった。
 ――――バン!
 大きく開け放たれる扉の音に、二階堂は振り返り、西垣は目を丸くさせる。
 一之瀬が怒りの表情を向けて立っていた。伸ばされた手が震え、垂れたもう片方の腕は拳が握られている。
「一之瀬…………」
 西垣の声が震えた。二階堂は固まってしまっている。つけられていたなど思いもしなかった。双方の意図を汲んだ結果が最悪な事態を招いていた。
「……なんだよ。どういう、事だよ。……酷いよ……西垣」
 これだけを言うのに精一杯だった。なにかがこみあげて、話せなくなった一之瀬は走り去って二人の前から姿を消した。看護士の注意も無視し、病院を出る。ふらふらと中庭を歩き、人気のない場所に来ると食いしばった歯の隙間から嗚咽が漏れ出す。
「…………うう」
 膝を折って地に着け、両手で顔を覆う。
「う、くぅ」
 心がズタズタに傷つけられた。押さえ切れない悲しみに涙が滲んだ。







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