貴方に“トクベツ”を感じた――――



ニンゲンなのに美味しそう



 夕日に染まる稲妻町の商店街。木戸川清修の監督・二階堂修吾は辺りを見回しながら、一人歩いていた。
 事の次第は雷門と木戸川の練習試合後に遡る。
 雷門の響木が二階堂に普段はラーメン屋の店主を務めていると話したのだ。もし良かったら空いた日にでも食べに来て欲しいという響木に二階堂は笑って受け入れた。
 そして本日。たまたま仕事も早く終わり、用事も無いので稲妻町へ訪れた。
 雷門は木戸川に所属していた豪炎寺が居場所を見つけた学校。是非とも響木の店に顔を出してみたかった。教えてもらった地図を頼りに、やっと雷雷軒の看板が見える。
「いらっしゃい」
 扉を開ける二階堂に店主の響木が威勢の良い声で招く。相手が二階堂だと知ると、破顔した。
「おお、二階堂監督」
「良いお店ですね。お邪魔します」
 軽く頭を下げ、二階堂はカウンター席に座る。
 メニューを選ぶ二階堂に、隣に座っていた客が響木に声をかけた。
「あの響木監督、あの方も監督なのですか?」
「そうだった。二階堂監督、ちょっと聞いてくれ」
 響木のサングラスの奥の瞳が、二階堂の隣の客を見やる。
「こちらは尾刈斗中の地木流監督。で、この方が木戸川清修の二階堂監督だ」
「どうも。尾刈斗の地木流と申します」
 隣の客――地木流は二階堂に向き直り、挨拶をした。
 色素の薄い髪に白い肌。一見、サッカーの監督とは思えないインドアな印象を受ける。
「初めまして。私は木戸川清修の二階堂です」
「いやあ、雷門さんには本当にお世話になりました」
 地木流は座り直し、カウンターに肘を突いて手を組んだ。
「私たち尾刈斗の敵、秋葉名戸をよくぞ倒してくれまして、感謝しています」
 にこにこと語る地木流。“秋葉名戸”の部分だけ声のトーンが低くなったが気のせいだと思い込む。
「そうなんですか。雷門中は帝国を敗るなど、数々の伝説を残していくでしょうね」
「ええ、ええ、そうですよ」
「はは。あの子らに聞かせてやりたいものですな」
 笑う三人の監督。丁度、テーブル席の客が立ち上がって会計を済ませ、店の中は彼らだけとなった。


 二階堂がシンプルにラーメンを頼み、面を啜っていると食事を終えた地木流が思い出したとばかりに手を合わせる。
「そうだ、響木監督。貴方に渡したいものがあるんでした」
 椅子の下から細長い包みを出して、カウンターに置く。
「これ、私の故郷の地酒です。癖はありますが、なかなか美味しいんですよ」
「有難うございま」
 はらり。地木流が包みから酒瓶を取り出すと、響木の唇が硬直し、二階堂は危うく麺を噴きかける。
 血の色をしたおどろおどろしいラベル――泥のような液体――極めつけは奥底に沈殿する要モザイク必須のグロテスクな物体の数々――――。


 癖がありすぎであった。


「受け取ってもらえなかったら、どうしようかと思っていました」
 くすくすと笑い、喜ぶ地木流。
 中身を出す前に言って来る時点で明らかな確信犯である。
「あ……っと……え……っと………そうだ!」
 閃いたとばかりに響木のサングラスが鋭い光を放つ。
 キラッ!二階堂を真っ直ぐに見据えて射抜いた。
「一人で飲むなんてもったいない!どうです二階堂監督!貴方も飲んでみては!」
 どうですもなにもない。
「私は今、店をやってますし。二階堂監督、是非感想を聞かせてください」
「ああそうでした。お仕事中にお酒なんて、失礼しました。二階堂監督も是非飲んでみてください」
 追い討ちをかけるように、地木流の視線も射抜いてくる。
 店は三人だけ。しかも店主は響木。二階堂は完全に逃げ場を失った。
 割り箸が折れそうなくらいに二階堂の持つ手には、無意識に力が加えられる。やり場のない思いがそこに集中しているのだろう。
「ささ、どうぞどうぞ」
 響木がコップを出し、地木流が瓶の栓を開けて酒を注ぐ。
 どろどろどろ。得体の知れないものがコップに溜まっていく。
 ぼちゃん。奥の方に沈んでいた物体が入る。丸くて白い――何かが入った。
「美味しいですよ。味は保障します」
「……………………………」
 二階堂に逃げ場は無い。彼には“飲む”という選択肢しか設けられていない。
 震える指が引き寄せられるようにコップへ向けられた。
「で、では」
 うんうん。眩しい笑顔で響木と地木流が頷く。
「いただき……」
 コップを持つ手が震える。口元へ持って行けば、歯にあたって硬い音を鳴らす。息は止めていた。
「ます」
 ごくっ。
 喉がひくつき、液体を飲み込んだ。
 天地が逆転し、二階堂は意識を失った。






「う」
 低く呻いて、二階堂は薄っすらと目を開ける。
 ぼやける視界が次第に鮮明になっていき、木造の天井が見えた。恐らく、響木の店だろう。
 二階堂の予想はあたっており、彼は雷雷軒の二階で布団に寝かされていた。
「お目覚めですか」
 横から声が聞こえて瞳を動かすと、地木流が見下ろしている。
「二階堂監督、お酒が得意では無いのに飲ませてしまって申し訳ありませんでした」
 得意不得意の問題ではない。突っ込む気力はなく、薄く苦く微笑む。
「それなのに」
 地木流は目を細め、青に近い白い手を二階堂の額に乗せる。
「嫌な顔せずに飲んでくれるなんて」
 態度で示せる状況ではなかった。
「私…………」
 触れてくる手は温かいのに、なぜか身体の温度は冷えていくような奇妙な感覚に囚われる。
 自然と合わせていた瞳もそらせずに見据えていた。瞬こうとしても瞼の端が痙攣して閉じようとしない。
 実に不思議な感覚であった。
「貴方の事を……人間なのに……」
 ごくり。喉はひくつくのに生唾を飲み込んではくれず、口内に溜まった。


「好きになるかもしれない」


 吐息のように発せられる音。
 地木流の薄く開かれる口から舌が覗き、ゆっくりと唇をなぞる。
 まるで、舌なめずりをしているように思えた。
 食べられるなんてまさかされはしないだろうが。
 もしかしたらこの不思議な感覚は、獣に喉元を掴まれたような絶体絶命の感覚のような気がしてきた。
 恐怖を通り越し、死の覚悟をして、命を諦めて身体の力を抜く。
 けれども内の生きようとする魂が拒否をして、瞳だけを見開き、そこに映るものを焼き付けている――――
「……………………………」
 二階堂の喉が、また無意味に震えた。
 瞳に映る地木流の顔は穏やかなもののはずなのに、本能が危険を知らせるのだ。
 だがそんな事などありはしない。
 死の覚悟だなんて、馬鹿げた想像に過ぎない。
 そう必死に思いこもうとする二階堂の耳に、階段を上る音が聞こえる。響木に違いない。
 そうであってくれと、願わずにはいられなかった。







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