ノンシュガー



 ライオコット島イタリア地区グラウンド――――。
「今日の練習はここまでだ」
 キャプテンを務めるフィディオが放つ。仲間たちがベンチ近くに集まり、置いてあったドリンクやタオルを手に取る。フィディオはそんな彼らに明日の練習内容を伝え、解散させると足早にどこかへ向かおうとしていた。
「フィディオ、汗ちゃんと拭かないと」
 アンジェロがフィディオにタオルを渡す。
「有り難う」
「……あの人のとこ、行くの?」
 不安に揺れる瞳がフィディオを見上げた。
「ああ」
 頷くフィディオ。
「俺も一緒に行こうか?」
 ジャンルカが軽く手を上げた。
「いいや、一人で大丈夫だよ。実際、あの人……ミスターKは約束を守ってくれているだろ」
「そうだけど」
 チームメイトたちは同意しながらも顔を曇らせる。
 ミスターK――彼は突如、イタリア代表“オルフェウス”の監督に就任した。一時はフィディオたちを自分の率いたチームを使い、追い出しにかかったが彼のチームとの対戦で勝利を条件にメンバーは誰一人欠ける事無く戦う事が出来ている。
 だがしかし、監督はミスターKのまま、本来務めるはずだった監督は彼の策略に嵌ってライオコット島から追い出されてしまった。フィディオはキャプテンとして練習が終われば報告の務めをしており、これからミスターKのいるイタリア地区のビルへ行かなくてはならない。
「じゃ、行ってくるよ」
 フィディオは仲間に大きく手を振り、走っていく。
 見送る仲間たちは彼の背をじっと眺めていた。
「あの人、まだ来ないのかな」
 誰かが呟く。
 あの人とは、オルフェウスの真のキャプテンである。フィディオは“あの人”の代理でキャプテンを務めている。ピンチの時にはやって来てくれる太陽のような希望の象徴のような存在だ。フィディオはよくやってくれているが、このいつどうなるかわからない状態は頼りなく感じてしまう。


 フィディオは走りから歩きに歩調を変え、ミスターKのいるビルを目指した。
 仲間たちの不安や、自分への信頼の揺らぎは薄々感じている。だからこそ、余計にキャプテン代理として務め上げようとする意思は固くなっていく。
「ここだ、ここ」
 ビルの自動ドアから中に入れば冷房が運動で流した汗を冷やす。受け付けに自分とミスターKの名を告げた。
「ミスターK様はただいま外出しております。10分程で戻られるそうなので、待合室でお待ちください」
「はい」
 受け付けに案内され、エレベーターで高い階へ上がり、いかにも豪華そうな待合室のソファに座らされる。ソファ前にあるテーブルに茶と軽い菓子が置かれた。
「どうぞ」
「あ、有り難う……」
 いつもは直接ミスターKの部屋に通され、報告して帰るだけで座りもしなかったのだが、今日は待合室で待たされ、妙な緊張がフィディオの胸に走る。しかも出されたのは恐らく緑茶と茶菓子――円堂たちの宿舎で泊まった時に出された経験があり、取っ手のない湯のみがかなり熱かった覚えがあった。
「ミルクも砂糖もないん……」
 フィディオの呟きは扉が開かれる音に掻き消える。ミスターKが入ってきたのだ。
「待たせたな」
「いえ……」
 ミスターKが向かい側に座れば、素早く誰かがフィディオに出したものと同じ緑茶と茶菓子を差し出してくる。
「では、ミスターK。今日のオルフェウスは……」
 フィディオはミスターKに本日の練習内容を報告した。ミスターKは無表情で茶を飲み、菓子に手をつけ、いかにも興味がなさそうな素振りではあるが、フィディオはどこか不思議と感付いていた。仮面のように表情を映さない、奥に潜む意思がフィディオに向いていると。耳を傾けてくれていると。
「……それで、明日は」
 けほっ。一気に喋りすぎたのと、冷房による乾燥した空気にフィディオが咳き込んだ。一度むせればなかなか治まらない。
「っ……すみませ……ごほっ」
 湯飲みへと伸ばすフィディオの手より先に、ミスターKが腰を上げ、フィディオに茶を飲ませようとした。遅れたタイミングで伸ばされた指と指は奇妙な間で、湯飲みにあたって転がる。
「あっ」
 声を上げた時には遅かった。
 まだ口をつけていなかった茶はテーブルに広がり、二人の指先にも少量かかる。すぐに片付けられ、綺麗にされるが、替わりの飲み物を用意されるのには時間がかかり、その間も咳き込むフィディオにとうとうミスターKが動く。
「………………………………」
 無言で差し出される湯のみ。フィディオは有り難く受け取り、飲み干した。
「はぁ…………有り難うございます。ミスターK」
 落ち着き、礼を述べるフィディオ。彼は無意識に自然と笑いかけていた。
「報告は終わりか」
「は、はい」
「………………………………」
 ミスターKはフィディオの返事を聞くなり、部屋を出て行ってしまう。入れ違いで替わりの茶が出され、フィディオは一人、自分の分の茶と茶菓子を食べてからビルを出た。


 宿舎へ戻って来たフィディオには帰りを待っていた仲間たちに迎えられる。
「お帰りフィディオ。なにもなかった?」
「大丈夫だって、心配な……」
 話の途中でくしゃみをするフィディオ。
「おいおい。この時期に風邪とかやめてくれよ」
「少しビルで待たされてさ。冷房が堪えたみたいだ」
 鼻を啜るフィディオはさっそくアンジェロに注意される。
「ほら、言ったじゃないか」
「そうだね、君の言う通りだ」
「フィディオ、これ飲んで身体を温めろ」
 ブラージがカップを用意してくれた。中には温かい紅茶が湯気を立て、甘い砂糖とミルクが入っている。
「有り難う」
 感謝をして、茶に口をつけるフィディオ。
 慣れ親しんだ香りが鼻孔をくすぐり、風味が口の中に広がる――――。
「……………………?」
 唇を離し、紅茶を見下ろすフィディオ。
「甘い」
「砂糖、入れすぎたか?」
「丁度いいと思うんだけどな……。ごめん、俺はなにを言っているんだろう」
 誤魔化すように、にこにこと美味しそうに笑顔で紅茶を飲む。
 紅茶の甘さの中に、緑茶の苦味が過ぎる。どんな苦味だったのかを思い出そうとしている。
 なぜよりにもよって苦味なのか。フィディオ自身にもわからない。







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