夢でも、幻でも構わない。
奇跡のあと
声が聞こえる。
多くの人たちが叫ぶ声を――――。
「……………んとく!」
「………………………」
「……や…かんとく!」
「………………………」
「かげやまかんとく!」
「…………っ!」
サングラスの奥の瞳は驚きに丸くなる。
見開かれた瞳は、己を包み込む世界をありありと映し出した。
たくさんの観客に包まれたスタジアム。電光板には『リトルギガント対オルフェウス』と表示されている。
「影山監督!しっかりしてくださいよ!」
見下ろせば、フィディオが拳を握り締めて訴えている。
――――ああ。
影山は現状を理解する。今、私はFFIの準決勝の場にいるのだと。
向かうべき敵はコトアールのリトルギガント。なぜだか、このスタジアムの空気を吸い込むと息が詰まりそうになる。苦しいのではない、寧ろ、悦びに震えているような気がした。この戦いを、魂が望んでいる気がする。まるで待ち焦がれていたような、懐かしさが漂うのだ。その雰囲気がくすぐったく、慣れないから息が詰まるのだ。
「絶対勝ちましょうね!我がチームオルフェウスは勝つだけです!」
「ああ…………」
息を吐くように返事をした。
勝つだけ。
そう、残されるのはそれだけなのだ。
とても長い間、己の心身を捕らえていた闇は払われた。己のサッカーの有り方を思い出し、ガルシルドは逮捕された。あとはFFIで勝ち、優勝するだけなのだ。
「…………勝つぞ」
「よーし皆!勝つぞー!」
「おー!」
フィディオは腕を振るい上げ、仲間の士気を上げる。
――――元気な奴だ。
苦笑いが浮かぶが、影山は満更でもない気持ちだった。
フィディオの真っ直ぐな性格は、捩れた人生を彼の数倍分も歩んできた影山をも狂わせ、温かな世界の中へ引き込んでくれた。
彼の腕にはキャプテンマークがつけられている。本来のキャプテンであるヒデより受け取ったもの。それを見る影山の目は細められる。一瞬、眩しく映ってしまった。
リトルギガントとオルフェウスの戦いは接戦で観客を沸かせ、アナウンサーに火をつける。
激戦の結末は8対5でリトルギガントが勝利をおさめた。
「負けてしまった……」
肩を落とすフィディオ。ベンチに戻れば仲間たちが泣いている。けれどもどこか爽やかで、清々しかった。
「影山監督……負けてしまいましたね……」
「………………………」
フィディオは影山に声をかけるが、彼の顔はリトルギガントのベンチへ向けられ、監督らしき男が通路へ入っていくなり追い掛けて行ってしまう。
「かんとくっ!?」
呆気に取られるオルフェウス一同。なにやらただ事ではないように見えた。
「俺、ちょっと行ってくる!」
フィディオは仲間を代表して影山の後を追う。
白いスーツの背中が見え、相手チームの監督と話をしているようだった。さらに近付こうとすると何者かの腕が、ぬっとフィディオの前に伸びる。
「待った」
「うわ」
とと、と数歩下がるフィディオ。制したのはリトルギガントのキャプテン・ロココであった。
「オルフェウスのフィディオ、彼らをそっとしてあげて」
「え。どういう事?」
「じきにわかる。だから、今は二人きりにしてあげて」
「わ、わかった」
背中を気にしながら、フィディオは行った道を戻り、仲間の元へ帰ってくる。その数分後、影山が戻って来た。ロココの言葉が引っかかり、詮索は出来なかった。
そして、ロココの言葉は的中する。
逮捕されたガルシルドは逃げ出し、コトアールエリアで部下を引き連れて暴れる事件を起こした。そこで止めにかかったイナズマジャパンが対峙し、リトルギガントの監督は正体を表す。彼は影山のかつての師であり円堂守の祖父、円堂大介だったのだ。
襲撃事件をニュースで知った後、円堂から真相を聞かされたフィディオはとても驚いた。
「じゃあ……マモルのお爺さんは影山監督の事、怒っていないのかな」
「爺ちゃんの事だからな、気にしてないと思うぜ」
カラカラと笑う円堂は豪快というのか、能天気というのか、彼らしい反応である。円堂自身、影山が祖父の仇と知った時は激しく憎悪をしたものだが、それも遠い昔の思い出のようだった。
「四十年って長いなぁ……影山監督はどんな気持ちだったんだろう……」
ふむ。フィディオは腕を組み、考えながら歩く。不意に見上げる先にはコトアールエリアがあった。
「………………………」
組んだ腕を下ろし、一人頷いてエリアに足を踏み込んだ。
道行く人に尋ね、練習用グラウンドに辿り着く。
つい先日試合をしたチームのキャプテンなので、すぐにリトルギガントの選手に指を指される。
「随分と堂々とした偵察だな」
「め、めっそうもないっ」
反射的に木の影に隠れ、身を起こしながらフィディオは言う。
「あの、君たちの監督さんに用事があるんだ」
「ワシか?」
ぬっ。大介が顔を出す。
「は、はいっ!そうです!」
驚きに腰を抜かしそうになりながらフィディオは答える。
「そうか。そっちの家に入って話すか。お前たちは走りこみだ」
「はーい!」
大介はグランド近くの小屋にフィディオを連れて入った。室内は荷物倉庫になっており、椅子とテーブルもあった。
「適当に座ってくれ」
「はい」
言われるままに、フィディオは適当な椅子に腰をかける。
「オルフェウスのキャプテン、フィディオだな……」
「はい」
大介はフィディオの向かい側に腰を置く。
「お前さん、影山に内緒でここに来て良かったのか?」
「っ」
「おお、図星か。そうだろう、そうだろう、アイツが選手をここへ行かせるのは許さんだろう」
「………………………」
一目でフィディオの単独行動を見抜く大介。
「お前さんはそれでもわかって来たんだろう?突っ走りやすい性格じゃの。影山にそっくりだ!ははは!」
カラカラと笑う大介。その笑い方は孫の円堂守にどこか似ていた。
「貴方は俺たちとの試合後、影山監督と話していましたよね。あの人は、貴方がエンドウダイスケだと知っているのですか?」
「ああ、あれか。ワシを勘繰って来よってなぁ。ワシはだんまりを通したが、あいつは気付いているじゃろう」
「そうだったんですか…………。影山監督を、恨んでいますか……」
「恨む、か。ワシの敵は影山を取り込んだガルシルドにあった。だがな、これはワシの気持ちよりも影山の問題だろう。あいつは恨まれたがっている。随分と久しぶりに会ったが、性格は大して変わっていないようだった。あいつはな、そういう奴なんじゃよ」
フィディオは膝の上に置いた拳を握り、強い意思をもって大介を見据える。
「しかし、俺は思うんです。俺が、影山監督の立場だったら、きっと、話がしたいって。謝って許されるものではないけれど、話がしたいって思います」
「立場…………。フィディオ、お前さんは面白い奴だな。影山は昔からあまり馴れ合おうとせず、いつも一人だった。自ら、理解されるのを拒むようにな。それを、立場か……。お前さん、飛びぬけたお人よしか、それとも」
ニッと健康な歯を出し、放つ。
「惚れたか」
「えっ、あっ?……俺は、ただわかる気がするだけです。影山監督の抱える闇が」
一瞬面を食らうが、あまり動揺せずに答えた。
「そうか。だったら、お前さんは影山の立場になって考えられるなら、あいつがワシとの話を拒む姿も容易に想像出来ると思うが?」
「お、俺が、なんとか、してみます。少しだけ、時間をください。あと、貴方の空いている時間を教えてください」
「大きく出たな。お前さんがどうワシと影山を合わせるのかが楽しみになってきたよ」
「有り難うございます……!」
フィディオは頭を下げ、礼を述べた。
だが、ここからがまた問題だ。コトアールエリアを出ると、再び腕を組む。
「さて、どうしたものか」
イタリアエリアの宿舎に戻れば、チームメイトが一階の食堂に集まっていた。アンジェロがフィディオを見つけるなり、歩み寄って声をかけてくる。
「フィディオどこに行っていたの?探したよ」
「ごめん、ちょっと野暮用で」
「キャプテンから荷物が届いたんだよ」
「荷物?」
アンジェロに腕を引かれて食堂に入ると、チームメイトはカップを持って何かを飲んでいた。すると、ブラージが軽く手を上げて言う。
「フィディオ、キャプテンからココアが届いたんだ。疲れた身体には甘いものがいいだろうって」
「ココアか!美味しそうだな」
「今、作るから待ってろ」
マルコが温め、ラファエレがカップを渡してくれる。ふわりと香るチョコレートが気持ちを安らげた。
「なぁ、影山監督はどこにいるんだ?」
「監督はオフィスに帰ったよ。ココアを勧めたんだが甘いものは苦手だってさ」
「宿舎にはいないのか……」
「そういえば、監督と一度も食事した事ないかも。俺たちと食べるの嫌なのかな」
ぽつりとアレサンドロが呟く。
「ま、俺たちもしたがらなかったからしょうがないさ」
「食事………」
フィディオは顎に手を添え、俯きがちに考えた後、顔を上げた。
「そうだ!食事!」
突然の大声に、フィディオの周りのチームメイトが一歩下がる。
「いきなりなんだよフィディオ」
「いや、うん。ちょっとアイディアがね。大会が終わる前まで、一度は監督も含めて食事をしたいもんだな」
フィディオは笑って誤魔化した。
ココアを飲み終えたフィディオは影山のオフィスへ向かう。
イタリアエリアの高層ビルの一室にそれはあった。軽くノックして中に入る。
「影山監督、俺です、フィディオです」
室内の奥にある大きなデスクに向かっていた影山が顔を上げた。
「フィディオか。どうした」
「はい……その、お話がありまして」
「早く言え」
早口で言い捨てるような口ぶりだが、その声色にかつての威圧感はない。
「お仕事が終わったら、話をさせてください」
「もう終わった所だ」
とん。デスクの上で書類を整える。
「だったら」
影山の前に立ち、深呼吸をしてフィディオは放つ。
「イナズマジャパンとリトルギガントの試合が始まる前までに、俺と食事をしてくださいませんか」
「お前と?」
サングラスの奥の瞳がフィディオを鋭く射抜く。
「いけませんか……?」
「ふん、まぁ……構わん」
「あ、有り難うございます!」
フィディオは顔を輝かせ、頭を下げた。
「それでどこで、いつ、何を食べる?」
「へ?」
「なんだ、決めてないのか」
「す、すぐ決めます。ですから少し待ってください」
そう言ってオフィスを出て行くフィディオ。影山は首を傾げるものの、不機嫌そうな素振りはなかった。
そして翌日の夜。影山はフィディオがメールで示す、イタリアエリアの外れにあるレストランに入る。予約された席に着くものの、先に来ていると告げたフィディオの姿はない。
「遅刻か?」
腕を組み、フィディオを待つ影山。
昨日から彼の様子はどうもおかしい。しかし、影山がフィディオを知っているのは主にサッカーでの姿。プライベートなど知りもしないし、知る機会もないと思っていた。
「私は一体……なにをしている……」
立ち上がろうと椅子を引こうとした時、意外な声が聞こえてくる。
「おお。おったおった」
「…………!」
大介がやって来て、影山の向かい側の席に腰をかけた。
「遅刻、すまなかったな」
「ど、どういう事だ?」
「どういう事?お前さんならもうとっくにご存知だろう」
「…………く……」
席を立つ事が出来なかった影山に、ウェイターがワインを持ってくる。二人は淡々と届くコースの食事を摘まんでいった。
「円堂大介……私と食事をするなど、本当に、どういうつもりなんだ」
「気にしとるのは影山、お前さんの方じゃろう?ワシになにか言いたい事でもあるんじゃろう?」
「いつ言った」
「想像じゃよ。ワシとお前さんをここに引き合わせた、あの子の」
「フィディオが……」
影山のフォークを握る手に力が篭る。
「私にはない。語る言葉など……」
俯き、顔を背けた。
「語る言葉がない……それがお前さんの話したい事かもしれんな。もう四十年だ。お前さんは無い言葉を、ずっと秘めていた。長かったろう……」
大介は酒瓶を持ち、影山のグラスに注ぐ。
「私に、なにか言う言葉はないのか。許せないだろう」
「言う言葉、か?」
ニッと笑い、大介は言う。
「老けよったな」
「私が老けたなら、お前はもっと老けただろう」
「ワシには何年経ってもな、教え子は教え子なんじゃよ。老けたお前さんなら、わかるだろう。ワシの気持ちくらい」
「………………………」
影山の手がグラスを持ち、中身の酒が唇に触れた。
夜が明けた早朝。フィディオが一番先に宿舎のグラウンドへ出ると、既に影山がいた。何も見なかったように背を向けるフィディオを影山が逃さず呼び止める。
「……フィディオ」
びくっ!大きく肩が上下した。
「来い、話があるだろう」
「は……はい…………」
手と足を同時に出しながら、フィディオは影山に歩み寄る。前に立つなり、頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「……嘘を吐くな」
「うそ?」
顔を上げ、ぽかんとするフィディオ。
「お前は謝るような事をした覚えはないんだろう?」
「それは……」
「お節介な奴だ……我々が負けた後だというのに」
「そういえば、そうですね。俺はただオルフェウスが勝つ方法を探していた。貴方とは協力すべきだと思って、貴方を追っていた……けど、もう負けた後だというのに、俺は貴方が気がかりだった……貴方が俺との食事を受けてくれなければどうにもならなかった……」
胸に手をあて、声に出して想いを振り返るフィディオに影山は一歩下がる。
「なんだいきなり」
「はは、なぜでしょう。今度、本当に俺と……いえ、オルフェウスと食事をしましょう」
「今度は小細工をやめろ」
影山にフィディオは微笑みかけた。
すると、他のオルフェウスメンバーもグラウンドに出てくる。朝日に照らされる彼らが、サングラス越しでも眩しい。
眩しいと感じる己の心の夜明けを、影山は実感していた。
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