雪が降る



 季節は冬。外は寒さに凍えるが、帝国学園のグラウンドは室内にある。
 今日の練習の休憩時間に、鬼道は重々しい扉を開いて外に出た。
 迎えてくれたのは灰色に曇った空。吐く息は白く、しんしんとした身を刺す寒さだ。刺激となり、気分転換には丁度良い。
「…………ん……」
 何かが視界に混じる。目を凝らせば、それは雪であった。
「雪…………」
 一人呟き、空を見上げる。


 有人。
 亡き父の声が頭の中で淡く再生された。
 もうあまり、良く思い出せないが、こんな声をしていたんだと思う。






 思い出すのは家族の思い出。
 家族全員で過ごした、最後の冬。
 夜、外が真っ白に染まるくらいの雪が降った。テレビでしか見た事の無い光景が、今目の前に広がっている。
「わあ」
「すごい」
 幼い日の鬼道と妹の春奈は揃って窓に貼りついた。
「ねえっ」
 春奈が鬼道の袖を引っ張り、指を差す。父が雪を踏んで、外側から窓を開けた。
「有人。こっちに来てみなさい。お父さんと一緒に雪だるまを作らないか」
「うん!」
 飛び出そうとする鬼道に、後ろから母が温かいコートを羽織らせてくれる。
「有人」
 大きな父の手が小さな手を優しく取った。
「わたしもいくう!」
 春奈が付いて行こうとするが、母が止める。
「春奈はこの前、風邪ひいたばかりでしょ。お母さんと一緒に温かくしていましょ」
「ええー」
「春奈」
「はぁい。おとうさん、おにいちゃん、おっきいのつくって」
「わかったよ。任せとけ」
 笑ってガッツポーズをする父。その真似をする鬼道。


「よいしょ。よいしょ」
 白い息を吐き、真っ赤な顔をして鬼道は父と一緒に雪を転がせた。
「頑張れ、有人。よし、これくらいで良いだろう。次は頭だぞ。出来るか?」
「もちろん」
 手が冷たいのは気にならない。それよりも楽しさが上回った。
 塊を二つ作り、小さい方を持ち上げて大きい方に載せる。
「かお、どうするの」
「蜜柑でも付けてみるか」
「とってくる」
 鬼道は窓から、母に蜜柑を頼んだ。
「わたしもやる!ねえいいでしょ」
「しょうがないわねえ」
 母は春奈が外に出る許可を出す。
「はいどうぞ」
 鬼道と春奈に一つずつ蜜柑を渡した。
「おかあさんもみてよ。でっかいよ」
「はいはい」
 鬼道は母の手を引き、四人が雪だるまの前に立つ。
 抱き上げてもらい、兄妹で目玉を付ける。高さはずれるが、そんなのは気にしない。元から蜜柑も大きすぎる。不恰好ではあるが、雪だるまは完成した。
 家の中に戻っても、眠るまでしきりに窓から覗いたものだ。数日、雪だるまは家の庭に残っていた。
 最後の最後は原型を保ってはいないが、日の光が雪をキラキラと輝かせていたのはよく覚えている。


 それから、二人きりになった最初の雪の日。施設で春奈が鬼道にねだった。
「ゆきだるま。つくろうよ」
「まかせておけよ」
 あの時ほどでは無いが、それなりの雪は降っていたので作れると確信していた。
 なのに、どうしてだろう。雪が上手く転がせられないのだ。
 おかしいのはわかっていたが、春奈の期待に応えてやりたくて頑張った。
 小さな球はなんとか出来た。しかし、どうしても頭が乗ってくれない。
「おにいちゃん」
「だいじょうぶだよ」
 そう言っては見るものの、焦れば焦るほど、形は崩れ、余計に完成からは遠ざかる。
 どうしても作りたかった。あの幸せだった日が色あせない事を、春奈と一緒に感じたかった。
「ごめん。こつ、わすれちゃった」
「ううん、わたしもごめんね」
 未完成の雪だるまの頭と胴体は、先生が機転を利かせて雪うさぎにしてくれた。
「かわいい」
 春奈は随分とお気に入りのようで、冷蔵庫に入れてまで保存をする。
 鬼道はベランダに座り、隣に雪うさぎを置いて雪を眺めていた。
 皆から顔を背けて、少しだけ泣いた。
 出来ない事はたくさんあったが、この時ほど悔しかった事は無い。
 父と一緒なら作れたかと思うと悲しくなった。
 悴んで温度を失った手を擦り合わせる。母なら温かい飲み物を用意してくれたんだろう。
 お兄ちゃんなんだからメソメソなんてしていられない。春奈を守るのは自分しかいない。
 乱暴に涙を擦った熱い目頭を、冬の寒さが冷やしてくれた。






「鬼道さん」
 後ろから声をかけてきた仲間に鬼道は我に返る。
 横目で見れば佐久間であった。
「どうりで寒いと思ったら、雪ですか」
「そのようだな」
「あの、雪に嫌な思いで事でもあるんですか」
 ぽつりと、佐久間は問う。
「ん?」
 ゴーグルに隠された瞳が鋭くなった。
「難しそうな顔をしていましたから」
「ああ。昔、雪だるまをせがまれて作れなかったんだ。これぐらいの時に」
 手で当時の身長を表す。
「それは難しいかと……。今なら作れるかもしれませんよ」
「今か」
 鬼道と佐久間の横を、数人が通り過ぎていった。
「なんだ?」
「今日は戻っても練習になりませんね」
 溜め息を吐く佐久間。通り過ぎたのは他の仲間たちであった。
 雪の噂がどこからか漏れ、飛び出したのだろう。今日、監督はいない上に鬼道の休憩が重なり、気が緩んだに違いない。
「戻らなければ良い。外で練習だ」
「ほお」
 佐久間は手を合わせた。


 鬼道の決定に帝国サッカー部は従い、外での練習を行う。
 意外に皆やる気で良い成果が得られた。
 終われば好き好きに雪で遊ぶ。鬼道は適当な場所に座り、静かに眺めていた。
「源田、ファイ!」
「おうよ」
 源田が応援されながら雪を丸める横で、大野が一回り大きな雪を丸めている。
 これは雪だるまを作っているのか、大きさの競い合いかよくわからない。
 少し離れた場所では寺門が辺見と正統派な雪だるまを作っており、咲山たちは雪合戦をしていた。
「お気楽なもんだ」
 言葉とは裏腹に、鬼道は近くの雪を軽く集めて、小さなだるまを作る。
 佐久間の言った通り、今なら大きさの割合などがわかるので容易い。しかし、今出来るからといって何になるのだろうか。あれは春奈の為に作ろうとしたのだから。今更、ねだる年でもないだろう。
「ふん」
 指先で作ったばかりの雪の頭を倒した。
「ああ」
 真横で残念そうな声がする。
 見れば、洞面が鬼道の横で同じような雪だるまを作っていた。彼の方は上手く作れないらしく、苦戦の跡が見られる。
「参考にしようと思っていたのに……」
「そりゃ、悪かった」
 悪びれた様子も無く、言葉だけをかけた。
 そうして、失敗作らしい壊れかけの球に、たまたま見つけた葉っぱを差す。
 偶然か、洞面のアンテナのような前髪のようにも見えた。
「……………………………」
 洞面は手早く雪を小さく固め、木の枝で目を刳り貫く。目の間に線を描けば鬼道のゴーグルになった。
「髪も付けてくれよ」
「はい」
 冗談で言ったのに、洞面は真面目に髪の代わりになる物を探しに行ってしまう。
 一人残った鬼道は、洞面の使っていた枝で適当に雪を弄る。


 この雪の日を、春奈はどう過ごしているのだろう。
「風邪をひいたばかりだろう」
 あの頃の母の言葉を、なんとなく口にした。







Back