商店街のレンガ広場。
 夏未の引き抜きで他校より来てもらった選手が待っていた。
「宜しく!」
 円堂が手を差し伸べ、握手を求める。
「宜しく、な」
 待ち合わせた人物が組んでいた腕を解き、握手をする。
 名前を霧隠才次。戦国伊賀島の選手である。
「頼もしい仲間が増えたな」
 円堂の連れ、風丸が言う横で豪炎寺が頷く。



東京新生活



 新たな仲間を紹介しようと雷門に戻る途中、円堂が疑問を口にした。
「伊賀島って遠いよな。数時間かけて来るのか?」
「いいや。雷門に部屋を貸してもらう事になっている。親も良い社会経験だって大賛成さ」
「じゃあ一人暮らしか。大丈夫かよ……」
「心配御無用。修行で野宿だってするんだぜ」
 心配する風丸に胸を張って答える霧隠。
 しかし、雷門で紹介を終えて皆が帰る頃に問題は起きた。
「霧隠くん。ちょっと……」
 夏未が深刻な顔で霧隠を呼ぶ。
「ん?どしたよ。オレに惚れたかい?」
「馬鹿言ってないで来なさい」
 眉を吊り上げて手招きするが彼が前に来た途端、謝り倒す。
 まだ部室に残っていた円堂、風丸、豪炎寺は驚き、帰る準備の手を止めた。
「本当にごめんなさい。責任は私にあるわ」
「気にすんなよ。たかが一日くらい」
 霧隠は笑って夏未の顔を上げさせる。
「どうしたんだ」
 円堂が話に入り込んだ。
「それが……霧隠くんの荷物を届けてくれる業者さんが、予定を間違えて明日になるって」
「明日は土曜だし、学校ないだろ。道具がなくても問題ないさ」
「それだけじゃないでしょ。貴方の生活道具が何一つないのよ」
 事態の危機に疎い霧隠に、夏未は怒り出す。
「大丈夫大丈夫。さっきコイツらにも話したけど、野宿経験もあるし、何とかするって」
「でも私たちの都合で引き抜いたのよ。そうだわ、私の家に今日は泊まりなさい。是非、そうさせて」
「大丈夫だって言ったろ。オレ忍者だよ。君の部屋に忍び込むかもよ?」
「や、やめなさいよっ」
 ぞわっと髪を逆立て、一歩下がる夏未。
「な。君が悪く思う必要ないの。さ、新しい家に行ってみよーっと」
 夏未に背を向けて、霧隠はドアのノブに手をかけた。


「なあ。俺の家に来ないか」
 話を聞いていた風丸が手を上げる。
「俺の両親、仕事で明日の昼に帰ってくるから夜は一人なんだ。その……話し相手になってくれよ」
「話し相手か。なら付き合ってやっても良いぜ」
 霧隠は振り返り、了承した。
「風丸くん、助かるわ。有難う」
 夏未も安心できたようだ。
「頼むな風丸。じゃあ帰ろうか」
 円堂がドアを大きく開けて、豪炎寺、風丸、そして霧隠の四人で外に出た。
 帰路を歩く中、円堂は“頼む”とは言ったものの、心配と申し訳ない気持ちが募ってくる。
「なあ風丸。二人で大丈夫か?」
「ああ、もちろんだよ」
「去年、風丸が一人の時は俺が泊まりに行ったりしていたな」
「そうそう。去年から親の仕事時間が変わって、よく円堂には来てもらってた」
 思い出話を語る風丸の肩を後ろから霧隠が掴んだかと思うと、宙に飛んで横に並んで腕を引く。
「じゃあ、今度はオレの番ね!」
 無邪気に笑う。つい呆気に取られながらも円堂は口を窄めて言う。
「俺、明日の朝に様子見に来るわ」
「俺も」
 円堂の横から豪炎寺がそっと挙手する。
「わかった。また明日な」
 風丸は手を振って二人と別れる。その背を霧隠が早く行こうと言わんばかりに押していた。






 風丸の家はマンションの一室だ。霧隠はマンションが珍しいらしく、キョロキョロと忙しなく見回している。
「ここだよ」
 自宅のドアで止まり、鍵を開けた。
「どうぞ」
 まず霧隠を先に入れる。
「うわ、すげえ!これ、周りにも人が住んでいるんだよな」
「そうだよ」
 上がりこんだ霧隠の後ろで、そっと乱れた靴を直す風丸。
 こんなに驚くとは。戦国伊賀島というのはどんな場所なのか気になった。
「へえ……」
 霧隠は廊下で膝をつき、耳を床に押し付ける。
「なにやってんの」
「おい、来て見ろよ」
「え……」
 歩み寄り、座り込む風丸に霧隠はニヤニヤと囁いた。
「下の部屋、ヤッてるな……」
「は!?」
 赤面する風丸の顔に素早く自分の顔を寄せ、舌を出す。
「うっそだよー!」
「ばっ……お前っ……!」
 捕まえようとしても、すぐにすり抜けられる。疲れる相手だ。
 過剰な反応は相手の思う壺なので、早く食事にしようと決めた。
 前もって母の作ってくれた飯と、レトルトのものを出して、二人分に分けて用意する。霧隠は洋食も珍しいらしく、風丸の準備を興味深そうにじっと眺めていた。
「どうぞ。召し上がれ」
 テーブルに料理を並べ、椅子に座って食事を始める。
「いっただっきまーす」
 霧隠は手を合わせて美味そうに食べだした。
「美味ぇ、初めて食べるもんばっかりだ。東京って面白いな!」
「ど、どういたしまして……」
 どうやら気に入ってくれたようで、風丸も嬉しくなる。テレビをつけ、会話も交えて楽しんだ。
 霧隠の話を聞いていると、伊賀島も面白そうな場所に思えてきた。


 さて、次は風呂だ。
「霧隠。先に入っていてくれ」
「うん」
 大人しく浴室に入ったと安心していれば、すぐにタオル一枚で戻ってくる。
「石鹸どこだ?」
「石鹸は……」
 口で言ってもわからなそうなので、一緒に浴室に向かう。
 そもそも石鹸は浴室にない。ボディソープを使っている。嫌な予感がするので、全て説明する事にした。
「これシャワーね。ここで水と湯が切り替わるから。これがボディソープ、石鹸みたいなもの。それでシャンプーとリンスが……」
「ん……ああ」
 曖昧な返事。説明に追いついていない。
「俺、流そうか?」
「マジ?やった!」
 パッと顔が輝く。やはり、わかってなかったらしい。
 霧隠を風呂椅子に座らせ、風丸は腕と足をまくってシャワーで背中を流しだす。
「いやー悪いねえ」
 湯が気持ち良いらしく、霧隠の目はとろんと半眼だ。
 素肌を晒す未知の特訓で形成された忍者の身体というものは、しなやかで輪郭が艶めかしい。人に大変酷似した別の生き物とさえ見えてくる。
「前は自分で洗う」
 泡立ったスポンジを霧隠に渡し、シャンプーの容器に持ち帰る風丸。
「髪も石鹸?」
「そう」
「シャンプーとリンス使うと、髪の毛さらさらになるぜ」
「お前みたいに?」
「どうかな」
 くすくすと風丸が笑う。
 シャンプーとボディソープで霧隠の身体は泡だらけだ。流してやると喉を鳴らす。
「だいたいわかったろ?後は湯船でゆっくりしろよ」
「ああ、サンキュ」
 足を跨いで湯船に浸かる霧隠。浴室から出ようとした風丸を呼び止めた。
「なあ、一緒に入らねえ?」
「やだ」
「だと思ったっ」
 二人の笑い声が浴室によく響いた。


 風呂から上がった霧隠に風丸は自分の寝巻きを貸し、自室へ案内する。
「ここが俺の部屋。ベッド使っていいから」
「おう」
「俺、入るから。部屋のもの弄るんじゃないぞ」
「おう」
 一言釘を刺す。今度は風丸が風呂に入った。
 さっぱりして戻ってくる頃には部屋は薄暗く、霧隠は布団に包まって眠っていた。
 そのベッドの横で風丸は布団を敷いて眠る。
 翌日。カーテンの隙間から差し込む朝の日差しで風丸は夢から覚めた。
「ん……」
 眼を擦り、前を見るなりギョッと見開く。
 無理も無い。目の前に霧隠がいるのだから。風丸の動揺とは裏腹に、随分と安らかに眠っている。ベッドから落ちたのか入り込んだのはわからないが、同じ布団の中に二人はいた。
「んー……」
 霧隠も目を覚ます。半眼の瞳が交差した。
「……こんな遅くに起きるの初めてだ……」
「へえ。なら一緒に寝るのは忍者のしきたりなのかい」
 厭味たっぷりに吐いてやる。
「布団の方がよく眠れるみたいだ。ベッドに引き上げようかと思ったけど、面倒でさ」
 怒るなよ……。ぽつりと呟き、大あくびをした。
 風丸は身体を引き摺るように霧隠から離れて身を起こす。机の上に置いてあるくしを取り、髪をとかし始めた。
「よっと……」
 霧隠も身を起こし、無意識に髪を撫でれば素っ頓狂な声を上げる。
「ぎゃっ!」
「どうした?」
「なな、なんだこれ……!」
 振り向いてみれば、霧隠の髪は膨らんでいた。シャンプーの効果でボリュームを持ってしまったらしい。
「水で濡らしてこいよ。ついでにシャワーでも浴びて来い。服、用意しておくから」
「わ、わかった」
 髪を両手で押さえ、ドタドタ浴室へ駆け込んでいく。
 夜も慌ただしいが、朝も朝で騒がしい。霧隠といると賑やかになる。風丸は開けっ放しの自室の扉を見て口元を綻ばせた。


 髪の流れを良くしてから着替え、それからポニーテールに結ぶ。霧隠の着替えを脱衣所に置いている途中にインターホンが鳴った。円堂と豪炎寺が来たようだ。
 ドア越しのレンズで覗く。予想通り二人が立っていた。開けて迎えて挨拶をする。
「よお。早いな」
「おはよう」
 元気の良い円堂に対し、豪炎寺はいささか眠そうだ。
「朝ご飯まだなんだ。一緒に食べるか?」
「ああ。軽くしか取ってなかったし。あいつはどうしてる」
「あいつは……」
 霧隠の事を話そうとする風丸の後ろから丁度、霧隠がやってくる。髪を拭いながらタオル一枚で。
 円堂と豪炎寺は指を同時に差した。
「おっ。声がすると思ったら来ていたのか」
 ひょっこりと風丸の肩から顔を出す。
「あ?えっ?」
 霧隠に気付き、振り返ろうとする風丸の肘が横腹に炸裂した。
「うっ」
 ひっくり返りそうになる霧隠を咄嗟に風丸は受け止める。
「すまん」
「良いって事よ」
 揉め事にはならず、あっさり済んだ。
 一晩の内に随分と仲良くなったみたいだ。円堂と豪炎寺は思う。


 風丸はリビングに円堂と豪炎寺を通し、着替えの済んだ霧隠と、四人で朝食を始めた。
「東京って面白いな」
 先日風丸に言った言葉をもう一度口にする。機嫌が絶好調の霧隠は焼いたパンを箸で掴もうとして、隣の風丸に止められる。
「それは良かった」
 朝は驚いたが、落ち着いた円堂は霧隠の服に気付く。
「あれ?風丸の服?」
「ああ、貸したんだ」
 風丸が頷くと、霧隠は袖を鼻につけた。
「ホントだ。風丸の匂いがする」
「え?」
 そんなに匂うかな。風丸は自分の衣服の匂いを確かめる。
「眠った時に、お前の匂いは覚えた」
「え?」
 円堂と豪炎寺が顔を突き出して目をパチクリさせた。
「いや、これはその!違うから!」
 風丸は顔を赤くして二人の前で両手を振る。変な汗も出て全く嫌になる。
「霧隠も変な事言うなよっ」
 喚くが、霧隠は気にもせずにポケットの中で鳴った携帯電話を取り出した。
「はい霧隠です」
「お前、携帯は使えるのかよ」
「忍者舐めるな。ええと……はい……はい……」
 電話を終え、またポケットにしまう。
「荷物が届いたらしい。世話になったな。礼は今度する」
 口元に指を添え、聞き取り辛い何かを呟きだす。
「ではさらば!」
 目の前で霧隠は姿を消した。例えるなら嵐のような少年だった。
「騒がしい奴だったな」
 そう言う豪炎寺は先ほどから水ばかりを飲んでいる。
「風丸。あいつ大丈夫だったか?」
 両手で頬杖をついて円堂は改めて問う。
「ん、ああ。何もかも珍しいんだろ。風呂の使い方もロクに知らない奴だし……」
「風呂?」
「仕方ないから俺が流してやった」
「……え?」
「……え?」
 風丸の爆弾発言に、無言で顔を見合わせる三人。これ以上話すと不味い事になりそうで、風丸は口を閉ざした。






 休み明けの月曜。風丸は霧隠が少し落ち着いていれば良いと思いながら自宅を出た。すると――――
「よっ」
 入り口の横で霧隠が軽く手を上げる。
「なんでここに?」
 わざわざ来てくれたのか?などと自惚れが過った。
「なんでって、ここ俺の家」
 親指を立てて後ろを示す、隣の部屋。霧隠の新しい住まいであった。
「住所見たら驚いたよ。隣なんだもんな。今度、泊まりに来いよ、ご馳走してやっから」
「は……はあ……」
 まだ頭の中で現実が整理できない。
「なあ、学校まで競争しないか?」
「良いけど」
「そうこなくちゃ」
 霧隠は後ろへ飛んで手摺りに着地し、風丸の腕を引き寄せる。非常に嫌な予感がした。
「んじゃ行くぜ!」
「ちっ……ちょ……!……ちょ…………!!」
 強い力が腕を引っ張り上げ、身体が浮き上がる。霧隠はもう一度飛んで、マンションの真下へ風丸ごと降りたのだ。地面すれすれで風丸を抱き抱えて、安全に下ろしてくれる。決して嬉しくはないが。
「よーい……」
 衝撃で身体をぐらぐらさせている風丸に霧隠は並び、陸上スタイルの走りの体勢を構えた。
「どん!!」
 勝手に走り出す霧隠の後を風丸が追う。前を走る奴がいれば追わずにはいられない、走る者の性である。
 突拍子も無い霧隠には困り果てる風丸だが、満更でも無い気持ちもあった。
 途中、円堂を通り過ぎれば追ってきて、豪炎寺を通り過ぎても追ってきて、四人で学校を目指した競争と貸す。
「風丸!これから毎日競争だ!」
 速度を合わせて霧隠が威勢よく叫んだ。
「どうすっかな……」
「しろよ!」
「さーて……」
 霧隠の誘いに、わざとらしい曖昧な態度を取る。
 満更でも無いが、急かす彼を焦らしてやりたくなった。







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