誰もいない二人きりの部屋で、秘密の遊びをしよう。
ゲーム
昼休み――――体育館倉庫。閉めきった密室で風丸が呟く。
「これならどうだ」
風丸が見下ろす先には、マットの上に大の字に転がる霧隠がいた。
彼の手足は白く細いロープで縛られ、籠や小窓の柵に結ばれている。腰や胸にも巻きつけられ、言わば雁字搦めであった。
「ん?それでおしまいか?」
霧隠の声は余裕そのもので、口の端が上がる。
「強がりもそこまでだぞ」
風丸がふふんと鼻を鳴らす。
「じゃあいくぞ」
腕時計を出して、数を数え始めた。
これはゲームだ。
縄で縛り付けられた霧隠が十秒以内で脱出できたら勝ち、というもの。
当然、それだけではない。昼飯の弁当を賭けた勝負だった。
「いーち、にー、さーん……」
霧隠はまだ動き出さない。
「しー、ごー……」
五を過ぎると、漸く動き出す。両足を閉じると縄が引っ張られる事なく落ち、そのまま上げて勢いを付けてから身を起こす。手品のように縄は解けて、後は身体から取り除くだけとなった。
「ろーく、しーち、はーち、きゅう……」
「はい完了!」
立ち上がり、縄を持って体操選手のような両手を広げるポーズを取る。
「なんてこった……」
風丸は呆気に取られるばかり。
「へへ、オレの勝ちね。弁当いっただきぃ」
跳び箱の上に置いてある風丸の弁当を持ち上げた。
「畜生〜」
がっくりと肩を落とす。
「忍者を舐めてかかるとこうなるんだぞ」
カラカラと笑いながら風丸の肩を叩く霧隠。
「けどな、慈悲深いオレだ。風丸にチャンスをやるよ」
「チャンス?」
顔を上げて霧隠を見た。
風丸の弁当を開け、彼の顔の前へ持っていく。
「名付けて弁当の中身あてクイズだ。オレが差し出す具をあてたら風丸が食べられる。外れればオレの腹の中。簡単だろ?」
「ん?……ああ」
いささか疑問は残るものの、難しいルールではない。
「じゃ、そこ座って」
指差すのは、先程霧隠を縛ったマットの上だ。
風丸が座ると霧隠はいったん弁当を置いて、ロープを包んでいた風呂敷を持ってくる。何回か畳み、細くして座り込んで風丸に近付く。
「なにするんだよ」
「目隠しすんの。見えたらゲームにならんだろうが」
首を突き出すと、風呂敷で目隠しされる。光は遮断され、視界は暗くなる。
ただ目を塞がれただけなのに、急に不安が襲い掛かってきた。そんな心理を察するように霧隠が囁く。
「怖いか?時期に慣れるさ」
「そうだけどさ……」
「いっそ手足もさっきのオレみたいに縛るか。ゲームだけに集中できるぜ」
返答に詰まる風丸に、霧隠は“大丈夫だから”と気遣いを口にした。
霧隠の気配が遠くなり、戻ってくる。彼は適当に倉庫にかけてあったタオルを適当に数枚取ってきた。
「縄は怖いし、痕が残って嫌だろう?タオル持ってきたから、これで縛るぞ」
前で手首を合わせて結ぶ。
「風丸。怖がるな。少し力を入れて外してみろよ」
言われた通りに手首の間を開くと、タオルは簡単に解けた。
「な?嫌になったら取れば良いから」
「わかった」
風丸の声が安堵したものに変わる。
「じゃあ足も閉じておいて」
「ああ」
手首を再び絞め直し、足首も縛った。こうして風丸は視界と手足を塞がられる。
「ゲーム開始な」
霧隠は風丸の弁当を持ち、彼の閉じられた足の上に跨った。
「手始めにこれ。なーんだ」
箸で具を一つ摘まんで風丸の顔の前に持っていく。
風丸は臭覚に神経を集中させて探る。目隠しされる前に見た弁当の中身を思い出し、匂いに該当する物を見つけようとする。
「ウインナー……か?」
「あたり。ほら、あーん」
「あー……」
正解した。口を開け、霧隠に食べさせてもらう。
ウインナーの味が口の中いっぱいに広がる。なかなかこれは面白い気がした。
「さすがにわかるか。じゃ、これだ」
次のものを差し出す。今度は匂いがあまりしない。弁当特有の冷えた気配だけがする。
「さーん……にー……いーち。タイムオーバー」
「わからなかった。一体、なんだったんだ」
「ご飯」
「あー……」
落胆した声が漏れた。匂いが分かり辛いはずだ。
「では。ご飯はオレ霧隠がいただきます」
むしゃむしゃと食べる音がする。ご飯といえば、弁当箱の半分は占拠する代物。
面白いと一瞬でも思った自分が浅はかだったと風丸は嘆く。悔しさも倍だ。
「おやおや、もう具材が半分になってしまいましたよ。風丸くん、頑張ってね」
「……………早く。次はなんだ」
厭味ったらしい解説に、イラつきながら次を急かした。
「第三問」
「…………………………」
次も匂わない。懸命に鼻をひくつかせるが、どうしてもわからない。
「残念。レタスでした」
「…………………………」
「んじゃ、サービス問題」
「フライ!」
「なんの?」
「………………イカ」
「お、正解。これ覚えていたろ」
やっと二品目を食べる事ができた。ウインナー、フライと少々脂っこい組み合わせなので、さっぱりした物が欲しくなる。風丸の気持ちを察したように、次はアスパラガスをくれた。一品ずつの攻防の中、弁当の中身はとうとう一つを残すのみとなる。
「名残惜しいですが、これが最終問……」
「林檎だ!林檎!」
言い終わる前に風丸が答えてきた。
「正解。全く、司会者の話は最後まで聞くものだぞ」
確かに弁当には林檎が一つだけ残っている。けれど、霧隠はこれでおしまいにするのはやや詰まらない気がした。
箸で林檎を摘まみ、自分の前歯で端を噛んで銜える。顔を寄せ、風丸の口元まで持ってきた。風丸は何の躊躇いも無く口を開けて林檎を食べだす。林檎が途中で折れて、甘い果実の匂いが強さを増す。
「司会者さん。半分食べるのはルール違反じゃないですか」
口を閉じて噛む風丸の端が上がった。
「ゲームじゃ、司会者が全てだぜ」
触れるか触れないか、擦れ擦れまで唇を寄せる。
「今度は前もって言っておけよ」
「わかった」
顔を離し、風丸の手首に撒かれたタオルを外す。解放された手で目隠しを外し、目が合うと二人は声を揃えて放つ。
「ごちそうさま」
口付けは風丸の言った“今度”までお預けにする事にした。
体育倉庫を出ると、霧隠はニヤニヤと笑いながら問いかけてくる。
「風丸。縛られた感想はどうよ」
「どうって、変な感じ。落ち着かないし」
「ふーん。癖にならなきゃ良いけどな」
軽口をたたく霧隠。彼が弁当をぶら下げる手首には、風丸が縛った縄の痕がありありと刻まれていた。
「霧隠。縄、痛くなかったか」
「ん?快感……なんてな。大した事ないさ。忍者の修行じゃしゅっちゅうだし」
「大変なんだな、忍者って」
「別に。戦国伊賀島は強くなるし、風丸にも出会えたし」
白い歯を見せる霧隠。風丸も笑おうとするが、その前に彼は真顔に戻る。
「なんてな。自惚れんじゃねーぞ」
自分の弁当を前に持って、なんとなく出した風丸の手の上に載せた。
「いっぱい食べて、もっと速くなれよ」
足を止め、手を組んで印を結ぶ。霧隠の姿は見えなくなってしまった。急に現れたかと思うと、急に姿を消す。霧隠という忍者は神出鬼没そのものだった。
霧隠の弁当箱を開ければ、握り飯が一つ。風丸は体育館の真ん中で噛り付く。
もしも“不味い”と口にしたなら戻ってくるような気がする。
けれども喧嘩をするつもりはないので、黙って腹の中に納めた。
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