マネージャーだけで部室の掃除をしている時であった。
「私、前からずーっと思っていたんですけど」
不意に吐かれた音無の言葉に、木野と夏未は手を止めて振り返る。
「ここって殺風景すぎません?」
きょろきょろと室内を見回す先輩の二人。
「言われてみればそうね。昔は人数少なかったし、気にならなかったけれど……」
「フットボールフロンティアの優勝トロフィーでも飾れば変わるんじゃないかしら」
「なにか飾りましょうよ〜」
妹特有の甘えた口調で言う音無。
「なにを飾るの?お花とか?」
「ここを使うのは男の子だし、観葉植物くらいじゃない?」
「でも、私たちだって部の一員ですよ。ここだって、男子だけのものじゃないです」
「そうね……合うものを今度探してみるわ」
こくん、と頷く夏未に音無は“わぁ”と喜ぶ。
木野は二人に柔らかに微笑んで、ふとカレンダーを見た。今度の練習試合の相手は御影専農だった。確かあそこは名前の通り、農業学校だったはず――――。この部室を彩る何かが、あそこにあるのかもしれない。試合とは別の高揚感に胸が躍った。
生命、芽吹く
数日後、雷門と御影専農との練習試合が行われる。雷門が御影へ向かう形となり、久しぶりに訪れた彼らは以前来た時とは異なる雰囲気を肌で悟った。重苦しい機械はそのままなのだが、どこかから差し込む日の光の温かさを感じる。
「ここ、ちょっと変わったよな」
半田の呟きに、後ろを歩いていた一年生たちが同意した。
グラウンドではキャプテンの杉森が待っており、雷門のキャプテン・円堂と握手を交わす。
「今日は宜しく。いい試合が出来そうだ」
「ああ。雷門のおかげで、我々はサッカーの楽しさを思いだした。正々堂々勝負しよう」
「明るくなった気がするよ」
「恐らく、学校の人間の意識が変わったからだろう。住む人が変われば、土地も変わる」
「なんとなく、わかる気がするよ」
互いの口元が弧を描く。爽やかで清々しい、気持ちのいい笑顔が自然に溢れたのだ。
そして始まった試合は熱く燃え上がった。容赦の無いシュートの猛攻撃、キャプテンにしてGKである円堂と杉森は頑なにゴールを譲ろうとしない。勝敗の行方はGKの根性が鍵を握る。
試合終了のホイッスルが鳴る。僅差で御影が勝利したが、終了と同時にGKは疲労でひっくり返った。
「うわー、負けたぁ〜っ!」
青い空に向かって、思い切り叫ぶ円堂。すると顔に影がかかり、手が差し伸べられた。吸い寄せられるように握って起き上がる。
「有難う。楽しかったよ」
そう言って、下鶴が笑う。御影の勝利は終了ぎりぎりの彼のシュートが導いた。
「こちらこそ」
握った手を円堂はぶんぶんと振る。
試合を終えた後、双方のチームは打ち溶け合って和やかに交流をした。御影は学校見学でもしてみたらどうかと誘い、雷門は好意を受け入れた。
「農業学校ってどんなのやってるんだ?」
染岡が問う。
「学校によるとしか言えないけれど、ウチは手広くやっていると思うよ」
大部が眼鏡のフレームを持ち上げて答える。
「結構、ミーハーな所あるよね」
「そうそう」
都築と弘山が顔を見合わせ、忍び笑いをした。
「なあ、下鶴は今なにをやってるの?」
円堂が問う。
「うん?今は花を育てているよ」
「どんな花?」
松野が興味を持って話しに入り込む。
「どんなって……難しいなぁ。ビニールハウスにあるから、来てみるかい?」
「行く行くっ!」
下鶴の案内で、円堂と松野、その他に宍戸と目金、少林がついていった。
校舎の裏手の中庭に入り、突き進んでいく。
「ねえ、寒くない?」
少林が腕をさすって宍戸を見上げる。
「ああ、そういえば」
「たぶん、木があるからだよ」
「理科の授業で習った気がする……」
宍戸は下鶴の回答に斜め上を見上げて、理科の授業を思い浮かべた。
「この先、道が狭くなるから気をつけて」
一列になって草木で作られたトンネルのような道を歩く。葉が肩にあたると音を奏でた。先は見え辛く、まばらに覗く木漏れ日が幻想的で円堂は思ったままを呟く。
「不思議の世界に入り込んだみたいだ……」
後ろの方で笑い声がする。松野が誰かを驚かして遊んでいるようだ。
明るい声に混じり、下鶴は声を潜めて円堂にだけ聞こえる声で囁いた。
「不思議の世界、か。君たちに出会うまで、そんな世界を彷徨っていた気がするよ」
「……………………………」
円堂は耳を澄まし、下鶴の話を聞く。
「よく、大人しいって言われていて、サッカーが好きだなんて似合わないって言われてきた。自分でもわかっていたよ。どこか納得しちゃう自分が嫌でね。どうにかして変わりたいって、模索していたよ」
“つまんない話だね”と自嘲気味に付け足す下鶴に、円堂は“聞かせて”とゆっくりと頷いてみせる。
「ウチのサッカー部は、それなりに皆悩みがあってね。皆、どっかで変わりたいって思っていたみたい。悩みなんて誰でもあるだろうし、変わりたいなんて有り触れたもんだろうけど、それが見えない気の弱い連中だったんだよ。そんな時、監督から思考を切り替えられる機械を勧められてね。まんまと皆、引っ掛かった。ずっと嫌だった性格も直ったし、思うように力が伸びていく感じがしたけれど、頭はふらふらと霧の中を、雲を踏みながら歩いているみたいで、行き先を見失っていたよ」
下鶴は振り返り、円堂に微笑む。苦くもどこかバイタリティを感じる、ぎこちないなりに良い笑みだと円堂は思う。
「しかし、目は覚めた。君たち雷門のおかげでね。思えば、答えは簡単にこの学校にあったはずなのに、気付かなかった」
「この学校に?」
「ここは農業学校。たとえ、人間の操作で変えられても生命の流れの根本は原始から変わらない。生命力というのは儚くても図太いものなんだ。散々学んできたはずだったのに、きっとわからなかったのは教科書の内容を叩き込んだだけだったからだな」
「……………………っふ」
遅れて下鶴の冗談に気付き、円堂は肩を揺らして笑いを堪えた。
「さあ、見えてきた。こっちだよ」
トンネルを抜けて、漸くビニールハウスに辿り着く。中に入れば色とりどりの花が雷門を迎え入れてくれた。図鑑に載っていそうな珍しそうな花もあり、彼らは目を奪われる。
「す、凄いですっ」
「いやぁ……三次元もたまには良いですね……」
拳を握り締めて感動する宍戸の横で、目金が三次元を認めていた。
「花は好きかい?」
「よくわかりませんが、こういうのは凄いと思います」
はきはきと答える少林。
「そうだ、これ」
鉢を一つ手に取り、松野に見せた。
「部室にどうだい」
「ぶ、部室に〜?」
鉢を受け取った松野は円堂に助けを求める。
「キャプテン、どうする?」
「う〜ん……部室に飾りなんて考えた事も無かったなぁ」
「君たちはフットボールフロンティアの頂点を目指すんだろう?だったら尚更、花が相応しいと思うよ」
「なんで?」
円堂と松野の声が揃う。
「花が咲くのは、綺麗だったり香りがするのは受粉してくれる存在を呼ぶためなんだ。ようするに、だ。花は結ばれるために咲くんだ。目標がある君たちにぴったりじゃないか?」
「目標……か」
花を見詰める円堂の瞳がきらきらと輝きだす。
「わかった。これ貰うよ、下鶴。有難う」
満足そうに頷く下鶴であったが、横から"枯らさないようにしないと"と茶々が入ってビニールハウスに笑いが溢れた。
帰りの電車の中、夏未は松野が膝に乗せている袋に気付く。
「あら?なぁに、それは」
「ああ、これ、ね」
ビニールを下ろし、鉢を見せた。土の真ん中で小さな花が蕾を膨らませて咲いている。
「下鶴に貰ったんだよ」
隣に座っていた円堂が答えた。
「部室にどうぞってさ」
「丁度、そういうものが欲しいって話していたのよ」
夏未は木野と音無を見やり、目を細めて微笑む。
「世話する順番を決めないと」
「そうね……そうなるわね……少し心配だわ……」
ぶつぶつ呟く夏未をよそに、雷門メンバーは花の元に集り、どんな花が咲くかを話し合う。
少し先の未来が、不思議と煌く感じがする。目に映る希望が、そこにあるかのように蕾は開花を待った。
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