幸せの続き



 カーテンの隙間から朝の光が差し込む。
 毛布に包まり、ベッドで眠る豪炎寺の肩に大きな手が触れる。
「豪炎寺、朝だ。そろそろ起きなさい」
「ん…………」
 ゆっくりと瞼を開けると、二階堂の顔が映し出された。座り込んで起こしてくれたようだ。
 ここは二階堂の家の寝室。豪炎寺は昨日訪れて、泊まって行った。今日は二人とも休みなので穏やかな朝を迎えていた。
「二階堂監督……おはようございます」
 口元を綻ばせ、挨拶をする。けれどもまた瞼は重いようで半眼だった。
「具合はどうだ。起きられるか」
「はい」
 二階堂の気遣いに、大丈夫だと証明するように身を起こそうとする豪炎寺。
 身体にかかっていた毛布が落ちて、素肌が晒し出された。
「あ」
 反射的に毛布を掴む。豪炎寺は自分が何も着ていないのを思い出した。
 対して二階堂は豪炎寺の姿など気にせず、立ち上がる。
「朝ご飯出来たから、一緒に食べよう」
「はい」
 二階堂が出て行くのを待ってから豪炎寺は床に足を下ろした。ベッドに手をついて、枕の方を見れば両端に窪みが二つ。脱いだパジャマと下着がくしゃくしゃになって寄せられていた。昨夜の出来事がフラッシュバックしそうになり、慌てて頭を振って払う。
「………………………………」
 立ち上がろうとしていた足は床についたまま動こうとしない。
 昨夜を思い出して、すぐに二階堂の元へ行くのに躊躇いが生まれてしまったのだ。
 先程、挨拶を交わした二階堂に変化は見られない。気遣いの言葉はかけられたが、様子は至って普段の彼であった。
 二階堂にとって、あの事はあまりたいしたものでは無いとも思いそうになり、複雑な気持ちになる。


 昨夜。二階堂と豪炎寺は初めて身体を重ねた。
 やっと、と言っても良い。会いたくても会えない、伝えたくても届かない、思うようにならない関係がずっと続いていたのだから。
 フットボールフロンティアの対戦校として再会した、かつての恩師とその生徒。豪炎寺の転校により離れ離れになっても、二人は想い続けていた。わだかまりが晴れれば、想いは歯止めが利かずに、とうとう越えてはならない一線を越えて結ばれた。
 それから連絡を交し合い、会える時には会って関係を深めていった。
 それでも二人を阻む壁も谷も険しく、二階堂は監督という姿勢は壊さずに接していた。
 それさえも越えて、二人は身も心も触れ合うようになり、一つとなったのだ。
 ここまで関係になるまで、互いの持つ立場を何度も壊し続けて近付いてきた。
 漸く、全てを壊しきった気分だった。
 それが許されるものではないし、問題だらけだ。
 しかしまず、豪炎寺に課されたのは“二階堂にどう接するか”だろう。
 一人だけ意識をするのはフェアではないような気がして、豪炎寺は気持ちを落ち着かせようと胸に手をあてる。
 深呼吸をしてから立ち上がり、皺だらけのパジャマに手を伸ばした。


 パジャマに着替えてリビングへ入って来た豪炎寺に、二階堂はさっそく問う。
「豪炎寺。何を飲む?」
「コーヒーをお願いします」
「わかった」
 二階堂がコーヒーを入れている間に、向かい側の席に着く。
 テーブルにはパンとサラダ。朝食が並べられていた。
「ほら」
「有難うございます」
 礼を言う豪炎寺だが、俯きがちで視線はコーヒーへ向けられている。カップを取って口を付け、そっと二階堂を盗み見る。目が合ってしまい、別の方向へそらす。
 平生でいろ。そう心では決めても、思うだけでは上手く出来ない。
 すると二階堂が話しかけてくる。
「その……豪炎寺。さっきも聞いたが、大丈夫か」
「大丈夫です」
 即答で、乱暴に放ってしまう。
 一回で良いのに、二度も聞かれると子供扱いされているようで苛立つのだ。二回ごときで、そう腹を立てるのはいかにも子供だが。
「そうなら良いんだ。大事にしたいからな、豪炎寺の事は」
「………………………………」
 顔が熱くなる。コーヒーが熱いせいにしたくて、舌を焼けるのを覚悟して積極的に飲んだ。
 瞳を動かして二階堂へ移す。困ったような顔をして、心配そうに豪炎寺の様子を伺っていた。
「痛く……なかったか?」
「いいえ。二階堂監督が……優しくしてくださいましたから」
 空のコップを置き、豪炎寺は席を立つ。
「すみません。汗を掻いてしまったので、シャワーを浴びてから食べる事にします」
「わかった」
 浴室へ行ってしまう豪炎寺。その背中を二階堂は先程の豪炎寺のように、カップに口を付けて眺める。隠された頬は赤らんでいた。


 脱衣所で衣服を脱ぎ捨て、浴室に入った豪炎寺はすぐにシャワーの蛇口を捻り、まだ湯にならない水を被って顔の熱を冷ます。
 ここで冷静になろうと思ったのに逆効果であった。
 一人密閉した空間に入り、昨夜の出来事が頭の中で再生を始めてしまう。
 無意識に握られた手が、二階堂の肌の感触を脳へ送りつけてくる。
 身体に注ぐ水が湯へと変わり、二階堂が触れてきた温もりや心地よさを呼び起こさせてくる。
「二階堂監督……」
 押さえ込もうとしても抑え切れない鼓動が高鳴った。






「………………………………」
 鼻で息を吐き、豪炎寺はシャワーを止める。気持ちも落ち着いて冷静に慣れたと思う。
 脱衣所に上がり、タオルで水気を吸い取って着替えていると、突然二階堂が入ってきた。
「どうしました?二階堂監督」
 目を瞬きさせ、二階堂を見る。ズボンを履き、パーカーを被る体勢で手を止めた。
「ん、うん」
 二階堂は笑うだけで答えてくれない。
 歩み寄り、近付いたと思うと、引き寄せられて着ようとしていたパーカーを上げられて取られてしまう。
「なにするんですか」
「うん」
 膝をつき、抱き締められる。豪炎寺も膝が折れて膝立ちになる。離されて口付けをされて、また抱き締められた。
「二階堂監督」
 二階堂の胸に手を置き、見上げて顔をしかめる豪炎寺。
「待ちくたびれたよ」
 肩を掴み、額に唇を押し付ける。
 豪炎寺ははにかんで微笑み、口付けを返そうとするが、二階堂の腕が動かず届かない。
「あの……監督……」
 額の次は頬、頬の次は鼻の頭。愛撫を受け続け、豪炎寺の顔は赤みを帯びていく。照れ臭さに正視出来なくなったのか、目を細めた。
 口付けをやめ、二人は目線を合わせて見つめ合う。二階堂がにっこりと微笑むと、肩を押して豪炎寺を床に倒した。豪炎寺はただただ吃驚して、口をぽかんと開けて呆気に取られる。我に返り、慌てたように訴えた。
「二階堂監督!まだ昼間ですよ!」
 抵抗しようと上げようとした腕は手首を捉え、硬い床に押し付けられる。
「監督……」
 二階堂はまじまじと豪炎寺を見下ろす。
 昨夜の薄暗い中で行われた情事でも恥ずかしかったのに、こんな明るい場所では隠す術がなく羞恥で死んでしまいそうになる。
「二階堂監督。やめてください」
 だいたいの事は豪炎寺が哀願すれば二階堂は許してくれるし、やめてくれた。けれどもきっぱりと言い放たれる。
「嫌だね」
 豪炎寺はショックを受け、顔を強張らせた。
 昨夜は柔らかなベッドで行われた行為が、今朝は硬い床で行われようとしている。どうしても嫌で断りたいが、惚れた弱味か本気で抵抗は出来ない。それよりも、いつも優しい二階堂を怒らせるのが怖い。いつだって二階堂は豪炎寺には優しかったのだ。
「豪炎寺」
 低く静かに呼ばれる声が空気を通って耳に伝わる。豪炎寺が怯えたように肩を揺らした。
「お前は優しくしてくれたって言ったが、次からは遠慮なんてしないぞ」
 穏やかな声色に潜められた情欲が、ぞくぞくと鼓膜をくすぐってくる。
「酷い事するかもしれない。お前が想像できない、恥ずかしい事をさせるかもしれない」
 豪炎寺の口が堅く紡がれるが、決意して言う。
「で、でもっ。後悔なんかしません」
 二階堂の瞳を見据えて放った。


「望む所ですっ!」
「………………………………」
「………………………………」
「…………………………ふっ」
 二階堂の口が歪み、息を噴出す。
「……………っ!だ、駄目だ、苦しい!」
 身を起こして顔を背け、口を手で覆って笑う。
 笑い続ける二階堂をしばし眺めていた豪炎寺は、漸くからかわれたのだと知った。
「酷い!あんまりです!」
 起き上がり、二階堂に詰め寄る。
「いや、なかなか豪炎寺が来なくて暇だからさ……。つい出来心でその……」
 ばしばし床を叩き、腹を抱える二階堂。笑いがなかなか治まらない。
 豪炎寺は涙目で拳を震わせる。怖かったし、本気だったのだ。本当に二階堂が好きなのだ。それなのに、ぞんざいに扱われて悲しくてたまらなかった。
「すまない。悪かった豪炎寺。俺、調子に乗ってた」
 笑うのをやめ、豪炎寺の前で手を合わせて詫びる。当然、つんとそっぽを向かれた。
「許してくれよ。どうしたら、許してくれるかな」
 豪炎寺がキッと振り向き、睨みつける。
「じゃあ責任とってください」
「どう、責任を取れば」
「続きを、してください」
「さすがにこんな明るい内から……」
 話の途中で豪炎寺が二階堂の首に手を回し、唇に唇を押し付けた。
「………………………………」
「………………………………」
 二階堂の手が豪炎寺の背中に回り、硬い床の上に倒れる二人。
 半分開いた脱衣所の扉から、硬いものがあたる音と布刷れの音がする。その隙間からどちらともわからない息遣いが流れた。







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