女生徒たちが廊下を走る。すると、生活指導の菅田がすぐに注意を入れた。
「こら、廊下を走るんじゃない」
「はーい」
面倒そうに返事をしながら、菅田の前で止まる。女生徒たちは顔を見合わせ、笑いを混ぜながら菅田に言う。
「先生。誕生日おめでと!」
「おめでとうございます!」
後ろに隠していたプレゼントを一緒に渡した。菅田は驚くが、普段の厳しい顔を緩めて喜んでいた。
そんな彼らの様子を豪炎寺は通る振りをして眺めていた。
微笑ましい光景なのに、胸の内は曇っていく。
ズボンのポケットに手を突っ込み、携帯を取り出して開いた。待ち受けのカレンダーには、ある日にちに印が付けられている。もうすぐ、二階堂の誕生日があるのだ。
足を止め、振り返って菅田を見た。
普通のお祝いなら、二階堂もああやって喜んでくれるだろう。
しかし、豪炎寺はそれだけでは嫌だと思ってしまった。特別に捉えて欲しいと願っていた。
再会できただけでも運命的なのに、さらに想いを通じ合わせ、その先のものを欲している。
人間の欲とは罪深いもので、求めれば求めるだけ大きなものを欲しがるのだ。
けれども思いと現実は噛み合わない。
何をあげれば二階堂は特別に想い、さらに愛してくれるのか。
さっぱりわからなかった。
所詮子供のものを大人は喜んでくれるだろうか。
心は後ろ向きで、曇っていくばかりだった。
ビター
「はあ」
教室で机に頬杖を吐いて溜め息が一つ。
「はあ」
昼休憩に飯を食べる前に溜め息が二つ。
「はあ」
サッカー部の練習中、休憩に入るなり溜め息が三つ。
練習後、部室で着替えながら四つ目になりかけた時に、とうとう円堂が声をかけた。
「豪炎寺。悩み事でもあるのか?」
「え」
円堂の方を向く豪炎寺は、上の空だったようでぼんやりとしている。
「溜め息ばっかり吐いて」
「そんなに吐いていたか」
超吐いていたよ。周りの仲間たちは一斉に心の中で突っ込んだ。
「知っているか、溜め息を吐くと幸せが逃げていっちゃうんだぞ」
「そうか」
はあ。言っている傍からまた息を吐く。
「悩みなら、俺で良ければ話を聞くぜ」
「悩みって程でもないさ。少し、考え事をな」
円堂はにこにこと笑い、豪炎寺に耳を傾けてくれる。キャプテンの人徳とでも言うのか、豪炎寺は呟くように漏らした。
「今度、知り合いの誕生日があって、何をあげようか考えてる」
「そっか。豪炎寺がそこまで悩んでいるんだ。きっと相手にも届くはずだよ」
「有難う」
薄く笑う豪炎寺。だが愛想笑いのように見えて、その裏は変わらずに沈んでいるように思えた。
「気難しい人なのかい」
隣で着替えを終えた松野が口を挟んで問う。
「違う。たぶん、喜んでくれると思う」
「じゃあ何が不満なの」
「え……ああ……」
顔を曇らせる。他人に問われて改めて、本当にこの悩みは個人的なものだと悟った。
「あのさあ」
今度は一之瀬が話に入ってくる。
「相手は豪炎寺のそんな顔を見るのが辛いと思うよ。意外とお前、表情に出るもん」
「そうそう、俺たちも心配になるって。あまり自分から話さないしさ」
うんうん。部室にいる雷門メンバーが頷いた。
「皆、すまなかったな。少し、気が楽になった」
仲間を見回す豪炎寺。彼の言う通り、僅かな気持ちの浮上を感じ取った。
悩みがあると一人で思い詰める癖はなかなか直らない。
しかし、仲間の存在に心強さを感じる度、少しずつでも変えていきたい気持ちになる。
そして数日が経ち、二階堂の誕生日が訪れた。
木戸川清修のサッカー部の部室では部員たちがホールケーキを用意し、二階堂が入ってくると拍手で迎える。
「二階堂監督、お誕生日おめでとうございまーす!!」
「お前たち……あ、有難う……」
はにかみながら、二階堂は微笑む。
もうあまり誕生日の重要性など感じなくなり、年を取るだけの嫌なものだが、こうして祝われると悪くないと思えてしまう。
ホールケーキは西垣が代表して切り分け、大き目のを二階堂、その他は部員たちに振る舞って皆で食べる。和やかな雰囲気に包まれ、二階堂は祝福された。
「監督、今年でいくつなんですか」
「ははは」
どさくさに紛れた鋭い質問を笑って誤魔化す。
「これからも宜しくお願いしますね」
「ああ」
可愛い事を言ってくれた部員の頭を撫でた。
木戸川清修だけではなく、携帯からも友人にメールを貰い、充実した一日が過ぎようとしている。
仕事を終えて家に帰り、くつろいでいるとチャイムが鳴った。ドア越しにレンズで確認すれば豪炎寺が立っている。ばつが悪そうに俯き加減で二階堂が開けてくれるのを待っていた。
今日、来るとは聞いていない。いつも連絡は必ず入れてくれるはずなのに。
「どうした豪炎寺」
ドアを開ける二階堂。顔を合わせるなり、豪炎寺は直立不動になった。
「すみません二階堂監督。いきなり来てしまって……。今日はお誕生日おめでとうございます」
頬をほんのり赤らめて、軽く頭を下げる。
「あ……ああ。有難う」
やや遅れて反応し、礼を言う。
「何も聞いていなかったから散らかり気味だが、入ってくれ」
「お邪魔します」
ドアを大きく開いて豪炎寺を招き入れた。
二階堂は散らかり気味だと言ったが、豪炎寺の見る限りはそうでもないように見えた。
あくまで見える範囲の問題であり、寝室では着替えたばかりの衣服がだらしなく脱ぎ散らかされているのだが。
「二階堂監督。ケーキを買ってきたんです」
小さな箱を前に持ってくる。
「悪いな」
「マネージャーが美味しいと言っていた店のです」
「それは楽しみだな。冷蔵庫に入れてくれないか。あと、飯は食べたか」
「まだです。監督は?」
「俺もまだだよ。一緒に作るか」
頷く豪炎寺に、二階堂は微笑む。
二人で夕食を作って食べ、豪炎寺が冷やしておいたケーキの箱と食器を出してきた。
ソファの前のテーブルに置いて、二階堂が箱を開ける。
「ん?」
中身の様子に思わず声が出る。
「どうしました」
「一つだけじゃないか。豪炎寺の分がないぞ」
「二階堂監督の事ばかりを考えていて忘れていました……」
今なにか凄い事を言われたような気もするが、そ知らぬ振りをして二階堂はケーキを皿に載せた。
そうして皿を取り、二階堂と豪炎寺はソファに並んで座る。ケーキはガトーショコラで上にクリームがふわりと飾り付けられていた。
「では、いただくよ」
フォークで端を分けて刺し、口の中に入れる。上品な甘さで腹に響かない、食後には丁度良い具合であった。
「これは美味いな。有難う」
「ああ、良かった」
素直に喜ぶ豪炎寺。恥を忍んでマネージャーに聞いた甲斐があった。
「豪炎寺も食べてみなさい。あー……俺のフォークで良いか」
「はい」
フォークを受け取ろうと手を伸ばす豪炎寺だったが二階堂に渡す気配はなく、フォークに刺さった一口分のケーキを彼へ向ける。
「ほら」
「…………え?」
戸惑う豪炎寺。
「口を開けてくれないと食べさせられないじゃないか」
「自分で、食べますよ」
「ほら」
言葉を流され、豪炎寺は仕方なく口を開けた。
二階堂の手でケーキが口の中へ入れられ、口をもごつかせて食べる。
「美味いだろ」
「はい」
「生クリームもやるから、食べなさい」
次は生クリームをつけてくれたものを食べさせられる。
その間、二階堂の瞳はずっと豪炎寺の食べる様子を観察しており、ただただ照れてしまう。
「二階堂監督も食べてください。せっかく貴方の為に用意したんですから」
「そうだな。つい食べさせるのが楽しくてな」
「なに言っているんですか……」
座り直しながら、視線をそむける。
二階堂がケーキを食べている間、豪炎寺はぼそぼそと聞き取り辛い声で話しかけた。
「二階堂監督……お気に召しましたか……」
「有難うな豪炎寺。来てくれて嬉しいよ」
「俺には……これくらいしか出来ませんから……」
「……………………………」
二階堂は瞬きをさせて豪炎寺を見る。
その表情は先日、一之瀬が“辛いと思う”と言った、不安に染められた沈んだものであった。
何も言わずに訪れたのは、驚かせたい気持ちだけではなく、自信の無さからも来ているように思える。二階堂自身はそう気にしないが、言っても豪炎寺の悩みは晴れないのだろう。想われるのは幸せなのに、二人一緒ではないから切なくなってしまう。
「豪炎寺。俺は豪炎寺のくれるものだったら、何でも嬉しいよ」
出来るだけ彼を安心させられるように、優しい声で囁きかける。
「でもどうせ俺は子供だから、監督の欲しいものなんて」
「違うな、豪炎寺」
食べ終わったケーキの皿を置き、二階堂の手が豪炎寺の肩に触れる。
親指が首元から服の隙間に入り込んで、鎖骨をなぞり、ペンダントの紐を引っ掛けた。
「子供だからとは関係ないだろう。豪炎寺は小さな妹さんのペンダントをこんなにも大事にしているじゃないか」
「それは…………」
言葉を詰まらせた。何も言えない。
「ん?」
二階堂の瞳が豪炎寺の瞳を捉える。
「大事なのは気持ちってよく言うだろ」
「……………………………」
その通りだと豪炎寺も思う。けれども、なぜか同意が出来ない一線があった。
認めてしまうのはやはり子供なのだと決定付けられるような気がしてならない。しかし意地を張るのも子供そのもので嫌になる。せっかくの二階堂の誕生日だというのに情けなくなる。
「豪炎寺」
二階堂が肩を引き寄せ、抱き締めてきた。
引力のままに豪炎寺は二階堂に身体を寄せる。まだ固く閉ざされ、凍りついた唇に指がなぞられた。
指は何度も行き来をして、次第に溶かされていく。やがて開かれるだろう唇に、豪炎寺は思う。
二階堂に惹かれた時も、こうやって外側から心を温められ、崩されていったのだと。
心地良かった二階堂の温もり。暖かいだけだったそれが今は染みてしょうがない。
「監督」
薄く開かれた唇から音を発する。
二階堂は豪炎寺の頬を優しく包み込むように顔を寄せ、二人は唇と唇を合わせた。
鼻腔をチョコレートの香りがくすぐる。甘いはずなのにどこか苦い。まるでビターのようだった。
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