フットボールフロンティアを制覇した後も、驀進を続ける雷門サッカー部。
 練習試合を申し込むのはもちろんの事、逆に申し込まれる事も多い。
 そんなとある日、木戸川清修から合同合宿の話を持ち込まれた。試合を重ねれば能力を高められるが、共に練習を行っても高められる。雷門は二つ返事で了承した。



禁句



 合宿を行う宿舎へ向かう雷門中のバス。円堂は座席の背もたれに乗りかかり、後ろの席の豪炎寺に話しかける。
「豪炎寺。木戸川清修と合宿なんて良かったな」
「ああ」
 豪炎寺は口元を綻ばせ、頷いた。
「前の合宿は学校内だったからなー。宿舎なんて初めてだよ。木戸川清修はよく合宿はするのか」
「そうだな……宿舎の場所も木戸川が良く使う場所らしいから、それなりに」
「へえ、良いな。帝国もか」
 円堂の瞳が豪炎寺の隣の鬼道を捉える。
「合宿はするが、合同合宿はした事は無い。馴れ合いなど必要ないと……影山は言っていた」
「ふーん……」
 次は通路を挟んだ先にいる風丸を見た。
「陸上時代に合同合宿は一回だけやったかな」
「なるほど……」
 下りて座り直す円堂。どうやら転校や他の部にいた連中は宿舎合宿や合同合宿は経験済みらしい。
「楽しみだな」
 頭の後ろで腕を組んで、背もたれに重心をかけた。
 その拍子が原因か、隣で眠っていた壁山の巨体が傾く――――。円堂の絶叫がバスの中に響き渡った。






 雷門中が宿舎へ到着する頃、木戸川清修のバスも着いたらしく、部員が降りているのが見える。
「おーい!」
 窓から顔を出し、西垣に手を振る一之瀬。土門も一之瀬の後ろから手を覗かせていた。
「よー!」
 西垣も手を振って応え、武方三兄弟も一緒に手を上げている。
 豪炎寺もそっと窓の外を眺め、最後に降りてきた二階堂と目が合って薄く微笑む。その瞳は穏やかに細められる。まるで心より愛おしいものを見つめているように。隣の鬼道がゴーグルの奥で瞬かせていた。
 宿舎で荷物を置き、さっそくグラウンドでまずは練習試合を始める。
 緑に囲まれたそこは空気が美味しく、気温も過ごし易くて心地が良い。肺の奥から元気になるようだ。試合が終われば雷門と木戸川は入り混じって景色を眺めたり、一緒に写真を撮ったりと交流を深める。
 離れた場所では響木と二階堂の監督同士が日程のスケジュールを話し合い、合間に二階堂が横目で見ると、端の方で豪炎寺がじっと様子を伺っているのがわかった。
「では、こんな感じでいきましょう」
「わかった」
 話を終えれば豪炎寺がすぐさま小走りで駆け寄ってくる。普段は落ち着きのある彼の意外な一面に、響木が口の端を上げた。
「豪炎寺。今日は随分とはしゃいでるな」
「い、いいえ……」
 慌てて首を振り、否定する豪炎寺。全く説得力がない。しかも視線は二階堂の方をチラチラ見て、話もあまり頭に入っていないようだ。
 部員の中では大人びた印象の彼であったが、興味のある対象にすぐにでも飛びつきたい年相応の子供に見える。
「合宿はまだ始まったばかりだ。そんなに前の監督が良いのか」
「ち、違いますよ」
 豪炎寺の頬に赤みが差す。反応が簡単に顔に出て、ついからかいたくなるが二階堂が制した。
「まあまあ響木監督。豪炎寺、響木監督は良い監督だよな」
「はい。雷門の大事な監督です」
「じゃあ好きなのはどっちだ」
 響木のサングラスがキラリと光り、豪炎寺を凝視する。対して豪炎寺は二階堂の後ろに隠れて視線から逃れようとした。それで回答がわかってしまうというのに。
「はは、振られちまった。前の学校と合同合宿で浮かれる気持ちもわかるが、羽目を外さないようにな」
 響木の視線が二階堂を捉える。
「二階堂監督も」
「え?私ですか」
 自分を指差す二階堂。
「私ですかってとぼけやがって。野暮な事は言わねえが、ここは合宿所だ。立場をわきまえてくれよ」
「いやいや、そのちょっと待ってください。何か誤解を……!」
 動揺し、慌てふためき言い訳をする二階堂だが、響木は無視して去っていく。が、途中で足を止めて振り返らずに言う。
「監督の部屋は個室だが、くれぐれも連れ込むんじゃねえぞ。豪炎寺は大事なウチの生徒だからな」
「ですから響木監督っ」
 弁明しようとする二階堂であるが、響木はどんどん遠くへ歩いて行ってしまった。
 豪炎寺が二階堂の衣服の裾を引っ張り、ようやく二階堂は落ち着く。けれども顔の熱はまだ冷めないらしく赤かった。豪炎寺にとって二階堂は大人だが、さらに年上の響木は一枚も二枚も上手であった。完全に二人の関係を悟られている。
「二階堂監督……」
 裾を持っていた豪炎寺の手が二階堂の手を握った。見上げてくる視線を感じ、二階堂は彼を見下ろす。
「豪炎寺……お前は良い子に出来るよな」
「監督の見本次第で」
「お前なあ」
 額を突くと破顔した。
「豪炎寺、ここは木戸川がよく合宿で使う場所だが一年ぶりだな」
「はい」
「お前は雷門の生徒になり、関係も変わってしまったけれど、両校仲良くしていこう」
「監督。関係とはどっちの関係でしょうか」
「こら、からかうなよ」
 やっと下がってくれた顔の熱がまた上昇する。豪炎寺としてはあまり二階堂の赤面は見た事がないので、つい響木に便乗してからかいたくなった。


 ただでさえ一緒にいる機会が限られる遠い関係。またとない、共にいられる貴重な時間。
 浮かれては駄目。立場をわきまえなければ駄目。
 何度も心に言い聞かせ、神経を過敏にさせればさせるほど、落とし穴は口を開く。


 日が暮れ、夕方になって両校は宿舎に戻る。今度は調理場で夕食作りに取り掛かった。
 担当は雷門が材料の切り分け、木戸川が調理に決まる。生徒たちだけではなく、監督も混じって一緒に料理をした。
 豪炎寺は妹に作ってやっていた料理の腕をここでも存分に生かし、次々と野菜を切り分けていく。
「畜生。相変わらず上手いな」
 染岡が覗き込んでくる。持っていた包丁の手が危なくなり、横に立つ松野が“ひっ”と悲鳴を上げた。
「それほどでもない」
「謙遜すんなよ」
 心なしか、手つきは以前よりも器用になっている気がする。
 それもそのはず。決して気のせいではなく、最近は目覚めた夕香に作ってやったり、二階堂の家で共に飯を作りもするので自然と上達してしまっているのだ。
 一方、木戸川の方でも二階堂に関心が集められていた。
「二階堂監督、案外上手いんですね」
「そ、そうか」
 部員に褒められ、照れ笑いを浮かべる二階堂。言われ慣れない言葉はこそばゆい。
「前より上手くなってませんか」
「一人暮らしが長いからな」
「え、でも以前はあまり料理しないって言ってませんでした?」
「そうだったか?」
 とぼけて誤魔化す。そう、確かに以前は簡易的な料理しかしてこなかった。今はちょくちょく来てくれる豪炎寺の為に振舞ったり、美味しいと思ってくれるようなものを作りたいと意識をし始めている。食べてくれる人の存在が変化をもたらせたのだ。
「二階堂監督……」
 表情を曇らせ、西垣が呟く。
「ひょっとして、ヒモとかになってませんか……」
「なってないなってない」
 否定し、鍋の中をお玉で掻き混ぜていたが、ふと手を止める。
「あれ。ここで調味料は何を入れるんだったっけか……」
 一人呟き、考えを巡らせるが思い浮かばない。
 すると息を軽く吸い、放つ。


「おーい、修也!」
 後ろにいる雷門部員の豪炎寺に呼び掛ける。
 しんと調理場が静まり返った。気配に感付かない豪炎寺の声が返ってくる。
「なんでしょうか修吾さん!」
「手順を忘れた!ちょっと来てくれ!」
「はい!ただいま!」
 豪炎寺が手を水で洗い、エプロンで拭いながら二階堂の元へ寄った。
「あ、ここはですね」
 お玉を受け取り、慣れた手つきと口調で二階堂に説明する。耳を傾ける二階堂であったが、漸く周囲の異変に気付いた。
 雷門も木戸川も手を止めて、二階堂と豪炎寺に注目している。
 ………………………………………。
 ………………………………………。
 ………………………………………。
 痛々しい沈黙を破ったのは、二階堂の明るい声であった。
「先生がノリで名前を呼んだら名前で返すとは、やるな豪炎寺!」
「二階堂監督、その手には乗りませんよ」
 はははははは。二人で笑う。乾いていても気にせず笑い続けた。
 ………………………………………。
 ………………………………………。
 ………………………………………。
 そんな苦しい誤魔化しに反応をしてくれたのは円堂。
「なーんだ。二階堂監督ってそういう事やるんですね」
 円堂(くん)グッジョブ!天然ぶりに救われた二階堂と豪炎寺は心の内で親指を立てる。
 円堂が引っ掛かれば、輪が広がるように雷門も納得をして木戸川にも浸透していった。
 料理が再開されると、たまたま席を外していた響木が戻り“やっているな”とほくそ笑んでいた。






 皆で協力して作った料理を腹に収め、食欲を満たされれば風呂に入り、寝室である大部屋に入る。
 各校に大部屋が設けられ、布団を並べて眠るのだ。ちなみに監督は小部屋を各自取って休む事になる。
 誰がどこで寝るかを話し合う最中に、勝手に端を取った者が眠り、うやむやのままにそれぞれ入って床に着く。
 部屋の明かりを消し、寝息が聞こえる夜。豪炎寺は眠れずに目を開けて天井を眺めていた。
 頭の中には今日あった出来事が走馬灯のように流れ、失敗が印象深かった夕食の準備の事が何度も巡る。
 つい、二人きりの時だけに呼んでいた名前を口に出してしまった。
 いきなり呼んできた二階堂に反射してしまった。
 名前で呼ぶのは、二階堂の家に行った時。本当に二人きりだけの時に呼んでいた。
 呼ぶようになったきっかけは、二階堂がプライベートで“監督”と呼ばれるのが辛いと言い出したからだ。豪炎寺には当たり前の呼び名であったが、二階堂には良心の咎が問われるのだろう。


 何一つ、悪い行いをした覚えは無いのに。
 二人が互いを思いやり、愛し、一緒にいたいだけなのに。
 豪炎寺は思う。
 もし全てが許されるのなら、真っ直ぐに二階堂の胸に飛び込み、思いつく限りのありったけの愛を叫べるのに。
 もし全てが脱ぎ捨てられるのなら、二人を阻むしがらみを払い、深く深く繋がれるのに。
 そうしたら二人は対等に並び、分かち合えるのに。
 どうして駄目なのだろう。こんなにも、愛しているのに。


「………………………………」
 これ以上考えると苦しくなる。豪炎寺は寝返りを打つ。
 目を閉じて眠ろうとするが、すっかり布団が温まって寝苦しい。
「んー」
 止めとばかりに誰かの足が大きく上がって豪炎寺の横腹に直撃する。
「………………………………」
 顔をしかめて身を起こし、足をどかして立ち上がった。廊下に出て涼む事にする。
 廊下は人気が無く、薄暗くて静まり返っていた。
 けれども、歩いていると遠くの方で声が聴こえてくる。確か、あの先は浴場があったはず。豪炎寺は興味の向くままに足を進めた。
「あ」
 角を曲がると思わず声を上げる。
 響木と二階堂が浴場から出てきたのだ。どうやら監督たちの風呂は部員より遅く、丁度出てきた所らしい。
「お前さんはよくやったよ」
 響木が二階堂の背を叩く。二階堂は呻いて二、三歩よろけた。
「響木監督、二階堂監督」
 豪炎寺は歩み寄り、軽く頭を下げる。
「よお……豪炎寺……」
 振り向く二階堂の顔はすっかりのぼせていた。
「二階堂監督、どうしたんですか」
「なあに。熱い風呂にじっくり入って根性を入れてやったんだ」
 はっはっは。豪快に笑う響木。二階堂は苦い笑いを浮かべ、額に手を当てた。
「今日の夜は涼しい。ちょっと休めば大丈夫だろう。豪炎寺、介抱してやれ」
 響木が行ってしまうと、二階堂はとうとう膝を折って床に座り込む。
「修吾さん」
 豪炎寺も座り込んで二階堂を抱きとめる。
「こら。その呼び名は禁止だ」
 肩口に顔を埋め、くぐもった声で窘める。
「とにかく立ちましょう。ロビーに長椅子があったはずです」
 二階堂を起こし上げ、豪炎寺はロビーへと連れて行く。ソファのような柔らかい素材の長椅子があり、そこに二階堂を座らせる。そして調理場から水の入ったコップを持ってきて飲ませた。
「監督、どうですか」
「ああ、助かったよ。すまないな。響木監督、俺に焼きを入れたつもりだったのかな……」
 コップを安全な床に置き、二階堂は“休む”と呟いて横に転がるが、頭を隣で座っていた豪炎寺の膝に載せてくる。
「懲りてないですね」
 豪炎寺の一言に二階堂は口の端を上げ、豪炎寺の膝を撫でた。
「すけべ」
「男なんてそんなもんだろう」
「………………………………」
 鼻で息を吐き、豪炎寺は手で二階堂の顔を扇いで風を送ってやる。
 心地良さそうに二階堂は目を瞑り、甘えるように頬を摺り寄せた。
「重いだろ。もう少ししたら起きるから」
「好きなだけ、休んでください」
 二階堂は向きを変え、仰向けになって瞳を開く。見下ろされる豪炎寺の瞳と交差する。
 笑うように目を細めるが腕で隠し、自嘲気味に唇を歪めた。


「せっかくの合宿だってのに、カッコ悪い所ばかりを見られるな。幻滅するだろ」
「いいえ。もっと好きになりました」
 すぐに豪炎寺の言葉が返ってくる。あまりにも素早く返された上、気恥ずかしい不意打ちに二階堂は頭がくらくらした。
「こら。羽目を外すなと響木監督に言われただろう」
「俺は叱られてばかりだ」
 豪炎寺の手が二階堂の手をどかす。のぼせてぼんやりとした二階堂に顔を寄せる。手で押し返されようとするがそれさえも退かし、頭を抱きこんだ。







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