ガシャン。
 二階堂の家の冷蔵庫を開ける度に、豪炎寺は複雑な思いに駆られる。
 中には食材の他に、酒が入っていた。
 二階堂は豪炎寺の前で酒を飲んだ事は無い。いつでも彼は素面で豪炎寺に接していた。
 俺がもっと二階堂監督に近付けたなら――――。



一夜



「……………………………」
 長く開けていると中身が温まってしまう。
 豪炎寺は手を伸ばし、ジュースのパックを取って冷蔵庫を閉めた。
 コップにジュースを注いでいると、後ろの方で二階堂の携帯が鳴り、通話を始める。
「……ああ。そうなのか」
 明るい声に、豪炎寺は振り返る。どうやら友人のようだ。
「ああ…………ああ」
 二階堂は相槌を打ちながら、豪炎寺の方をチラチラと眺める。
 小首を傾げ、瞬きをする豪炎寺。
 通話を終えた二階堂に、豪炎寺はコップを持って歩み寄った。


「監督、どうしたんですか」
「ん?実はな……」
 二階堂は苦い笑みを浮かべて語る。
「海外にいた友達が日本に戻ってきたそうでな、今歓迎会をしていて俺も来ないかって誘われたんだ」
「そうなんですか。行ったら良いんじゃないですか。俺の事は気にしないでください」
「そうか?せっかく豪炎寺が来てくれたのに悪いな」
 二階堂は豪炎寺の髪をくしゃくしゃと撫で、外出の支度をする。
 玄関で靴を履きながら、見送る豪炎寺の方を向いて言った。
「帰りはわからないから、先に寝ていてくれ」
「はい。いってらっしゃい」
 二階堂の手が豪炎寺の頬に触れる。
「……行って来ます」
 手が離れ、二階堂は行ってしまった。
 口付けをされるのかと内心構えていたのだが、何もされなかった。
「……………………………」
 触れられた方の頬を押さえ、豪炎寺はしばらく立ち尽くす。
 たったあれだけなのに、熱を持ってしまった。
 二階堂は夜を遅く回っても帰って来ず、仕方なく豪炎寺は眠る事にした。






 シャワーを浴び、寝巻きに着替えて二階堂の普段使っているベッドに潜る。
「……………………………」
 二階堂の家の彼がいて当然の空間は、今は豪炎寺ただ一人。
 二階堂のもので溢れているというのに、本人はいないという奇妙さがある。
 薄闇の中で眠ろうと目を瞑り、息を吸えば二階堂の匂いがした。
「……………………………」
 反射的に目を開き、生唾を飲む。
 家の主人がいないのを良い事に、不埒な思いが過ってしまった。
 誰もいない、見つかるはずは無い。隠せばなんとでもなる。なのに、心臓だけは早鐘のように鼓動を速めるのだ。
「すみません……監督……」
 一人詫び、豪炎寺は手をズボンの中へ入れ、下着をも抜けて直接自身に触れた。
「……ん……っ……」
 再び目を閉じ、頭の中で二階堂を想いながら豪炎寺は己を慰めだす。
 二階堂の匂いに包まれ、二階堂にして欲しい事を想いながら自身を愛撫する。
「……あ……、……二階堂……監督……っ……」
 自身を擦る手は荒々しく、すぐに豪炎寺の息は乱れだす。先端からは蜜が分泌され、腰をもどかしそうに動かして快楽に酔う。
「……は…………っ、……は……ごめんなさい……監督……申し訳ありません……」
 悪い事をしているという自覚はある。
 二階堂とはこうして泊まりに来るくらい、二人の関係は近付いてはいる。しかし、求めても彼は応えてくれないのだ。子供だから、まだ早いと相手にしてくれないのだ。
 もう子供では無いのに。こんな事をしてしまうくらい、二階堂を求めているというのに。
 こんな姿を見られたら叱られてしまうだろう。避けられてしまうかもしれない。けれども、止められない。悪い事だからこそ、昂ってしまう。
「あ、……はあっ、あ……」
 射精感が込み上げ、ここで果てて終わりにするはずだった。
 だが、現実は残酷であった。


 玄関の方で鍵が通され、扉が開く音が聞こえる。
「っ!」
 豪炎寺は目を見開く。目尻には快感による涙が浮かんでいた。
 慌てて起き上がり、ティッシュを纏めて取って体液を拭う。
 吐き出すべきか、我慢すべきか、考える間に欲望は中途半端な形になる。
 昂りを悟られぬよう上着の裾で隠し、豪炎寺は寝室を出て玄関の様子を伺った。
「二階堂監督?」
 怪訝そうに眉を潜めて二階堂を呼ぶ。
 彼はというと、玄関の前で倒れていた。
「監督っ。大丈夫ですか」
 抱き起こし、呼びかける。
「……豪炎寺か……」
 二階堂の目はとろんと半眼で、顔は真っ赤だった。酒の匂いが鼻腔をくすぐる。完全に酔っ払ってしまっている。
「今日はあまり飲めないって言ったら、余計に飲まされてな。家の中まで送るって言われたけれど……お前がいるからそれは出来ないし……ここまで、なんとか……」
 ぼそぼそと説明をする二階堂。聞き取り辛いがだいたいの状況は把握できた。
「二階堂監督。とにかくソファの所まで行きましょう」
 肩を回し、引き摺るようにして二階堂をリビングのソファへ連れて行く。座らせる事は出来ず、床で寄りかからせる形となった。
「今、お水をお持ちします」
「すまない……」
 水の入ったコップを持っていくと、二階堂は一気に飲み干す。
「はあ、落ち着いた。有難う」
 にっこりと笑いかける二階堂。屈託の無い笑顔に、豪炎寺の胸はドキリと高鳴った。
 中腰で二階堂の飲んだコップを持つ豪炎寺の腕を引き、隣に座らせた。
「お前がいてくれて助かったよ」
「い、いいえ。どういたしまし」
「豪炎寺ぃ」
 言い終わる前に二階堂が豪炎寺を抱き締めてくる。思わずコップを落としそうになり、持ち直す。
「豪炎寺……」
 胸に顔を押し付けられ、身体を包むようにして、もう一度名前を呼ばれる。
 くぐもった、甘い声が豪炎寺の耳に届く。初めて聞く声色であった。
「今日は悪かったな。来てくれたのに、一緒にいられなくて」
「い、いえっ」
 抱き締められる腕に力がこめられる。豪炎寺の身体は緊張でガチガチに固まった。
「豪炎寺。俺さ、お前を愛してるんだぞ」
「………………………はい」
 小さく頷き、返事をする豪炎寺。
 ベッドの中よりも、やはり本物の方が熱いくらい温かく、二階堂の存在を感じた。
「俺も、二階堂監督が好きです」
 告白を返すが、返事は思いもよらないものであった。


「いいや、お前はわかってない」
「え?」
 胸から顔を離され、二階堂が豪炎寺の顔を見下ろしてくる。
 二階堂の表情は思い詰めたように硬かった。
「俺が豪炎寺をどれだけ愛してると思ってるんだ」
「……………その…………」
 返答に困惑する。
「ずっと、ずっと、お前といたいよ……」
 きつく抱き締める彼の声は、少し鼻声に聞こえた。
「監督……苦しい……」
 胸を軽く叩いて訴えるがびくともしない。
「豪炎寺……俺が……俺がさ……」
 苦しさから解放されるが、今度は二階堂の両手が豪炎寺の顎の輪郭をなぞるように触れてきた。
 そうして、指を止めて放つ。
「お前が転校して、どれだけ寂しかったかわかっているのか」
 二階堂の瞳が真っ直ぐに豪炎寺を見据える。
 豪炎寺の唇は何かを発しようと薄く開くが、言葉は出てこない。
 何も言わずに木戸川を去ったのは悪いと思っている。だが、二階堂が寂しがるなど考えてもみなかった。
 自分の想いがどれだけ一方的で勝手なものだったのか。
 たった一言で打ちのめされそうになる。
「なあ豪炎寺」
 手が下りてきて、肩を掴んだ。
「なんで雷門なんて行くんだ」
 搾り出すような掠れた声で、項垂れる。
 首に腕を回し、倒れこむように豪炎寺の肩口に顔を埋めた。


「そんなトコ、やめちまえよ……。木戸川に戻って来い」


 豪炎寺の手が上がり、二階堂の後ろ頭に触れる。
「ごめんなさい」
 指を髪の中へ入れ、優しく撫でた。心から、優しく撫でた。
「……………………………」
 二階堂は鼻を一回啜り、頬を摺り寄せる。
 その内動きは止まり、ずり落ちるように腰にしがみついた。
「……………………………」
 静まり返った部屋の中で二階堂の寝息がし始める。どうやら眠ってしまったようだ。
 内心、豪炎寺は二階堂の様子に驚いたものの、忘れられない一夜になりそうだった。






 翌朝。二階堂は床の上で目が覚める。身を起こした時に、毛布がかけられていたのを知った。
 次に知ったのは、隣で豪炎寺が眠っている事であった。一瞬、目を疑いそうになり擦って見直すが、やはり豪炎寺であった。
「…………ん」
 豪炎寺は身を捩じらせ、薄っすらと眼を開けて二階堂を見上げる。
「監督……おはようございます」
 口元を綻ばせ、挨拶をした。
「豪炎寺。お前がどうして……。昨日、たくさん飲んだから、俺ひょっとして変な事したか?」
 首を横に振るう豪炎寺。
「そうなら良いんだが。ちっとも覚えていないんだ」
 二階堂の言葉に、豪炎寺はくすくすと笑い出す。
「あ、やっぱり何かしたか?」
 豪炎寺は起き上がると、二階堂の頬に唇を押し付けてキッチンの方へ行ってしまった。
「……絶対。何かしたな、俺」
 腕を組み、思い出そうとするが、何も浮かんでは来ない。







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