それは一瞬の出来事であった。
強い力で押さえつけられたかと思うと、視界がぐらぐらと揺れて、頭がクラクラする。
誰か、助けて、誰か…!
心の中で助けを呼ぶしか出来ない。
叫んではならなかった。
声を出せば、最悪の事態を招きそうだった。
「きゃー!可愛いー!」
だだだだだだだだっ。
子供がキャッキャと騒いで、路地を駆け回る。
その脇には、しっかりと抱えられたケット・シー。振動で手足が揺れる。
そう、一瞬であった。一瞬で子供たちにさらわれてしまったのだ。
ヘルプ!
事の始まりは、たまたま訪れたカームの町。備品も少なくなり、買い物をしようかという話になった。代表者の何人かで買い物をして、他のメンバーは町の入り口で待つと決まる。代表に選ばれたのは、財布の紐が固いティファ、そして食料を欲しがらないケット・シーが選ばれた。
「行ってくるわね」
予算の入った財布を持って、ティファが町の中へ入っていく。その後をデブモーグリに乗って跳ねながら、ケット・シーが付いて行こうとする。
「待て」
クラウドが手を伸ばして引き止めた。
「モーグリに乗って行くのは歩き辛いんじゃないか?」
「言われてみればそうですね」
カームの町は道が入り組んで、通路が細い場所もある。よいしょ、と呟いてケット・シーはデブモーグリから降りた。デブモーグリはのしのしと戻っていく。
「じゃあ行ってらっしゃい」
エアリスが手を振った。数歩進んで振り返れば、後ろでデブモーグリが女性陣に抱きつかれている様子が見える。男性陣もなんとなく毛並みを撫でたりしている。主人のいない所で、大きなぬいぐるみは大人気であった。
上を見上げれば、ティファが苦笑している。ケット・シーがやれやれと手を上げてクラウドの真似をして見せれば、彼女はクスクスと笑う。
「行こうか」
迷子にならないようにと、ティファは手を差し出す。
「はい」
伸ばした小さな手はしっかりと握り返す。
「どれが良いかしら」
店の中へ入ると、ティファは商品を一通り眺めて、頭の中で予算と相談を始めた。ケット・シーは大人しく、扉の辺りに寄り掛かって待っている。
むむ……。難しい顔をして腕を組む彼女の真面目さが、なんだか本体の仕事をする姿に被って、おかしさが込み上げた。真面目なのは悪い事ではない。ただ全てにそうしていたら、たちまち心も身体も疲れてしまうだろう。
ボクも、リラックスが必要かもしれんなぁ。
機械仕掛けの心を通して、リーブは思う。
寄り掛かる体勢を少しだけ変えようと思った時であった。数人の子供の声が聞こえてきたのだ。
絡まれたら厄介だ。そう危惧した矢先である。
ふわっ。
誰かの手が耳に触れる。そのまま摘まれて身体が浮かび上がった。
次の瞬間、ぐっと腹を締め付けられ、視界が横になる。そうして景色が猛スピードで流れた。
これは、ひょっとしてひょっとしないまでも……。
サァ…。血は流れないのに、血の気が引いた感じがする。
子供たちに有無も言わず、さらわれてしまったようだ。いきなり持ってったらアカンやろ!親の躾どうなってるんや!どれだけ心の中で説教をしても、声を出す訳にはいかない。声を出したら身体の中身を探られて、壊されるかもしれない。
ティファさん、助けてください!ティファさん!
ティファのいる店は遠くなって、見えなくなる。
「え、ええ、えらいこっちゃ…………」
本体ことリーブは、神羅ビルのカーム方面のガラス窓に張り付き、動揺して故郷の言葉を呟いていた。丁度休憩時間だが、その姿は後ろを通る社員には怪しく見える。
「何しとるんや、はよ助けんか……壊れたらどないしてくれるんや……ボクの可愛いケット・シーなんやで」
ブツブツと小声で我が子可愛さの勝手な発言を吐く。熱くなるあまりガラスは息で曇って、きっと指紋がべっとりと付いている事だろう。
「この危機を伝えんと…。せや、デブモーグリや」
窓に張り付いた姿で目を閉じ、クラウド達と待っているデブモーグリに意思を送る。
だがデブモーグリは喋る事が出来ない。ジェスチャーで危機を知らせるしかない。
「…………………………」
リーブの意思を察知し、デブモーグリがぴくりと動いた。ふかふかと頬を寄せていたエアリスは、離れて目を白黒させる。
「今、デブモーグリ動かなかった?」
「いや…俺にはわからなかった」
側にいたバレットが言う。
「ティファ達戻ってきたのかな」
床にぺたりと座っていたレッドXIIIが顔を上げた。
「見た所姿は見えないが」
佇んでいたヴィンセントが呟く。
「気のせいじゃないの〜」
呑気な声でユフィがエアリスを指先で軽く突いた。
「違うよ、ホントに動いたの」
「んな事言われてもなぁ」
シドがデブモーグリに近付いて凝視する。
「うおっ」
声を上げてシドが後ずさった。デブモーグリが急に腕を上げたのだ。
デブモーグリの腕は、手近なユフィの身体を抱え、ぴょんぴょんと跳ねた。ケット・シーがこの格好で連れ去られたというのを表現しているつもりである。
「う、うわっ、やめろって、マジやめて」
ぐらぐらと揺らされてユフィは目を回す。仲間たちは助けようにも困惑が上回り、手が出せない。
「うう、うっぷ。やめてよー」
込み上げた嘔吐感に口を押さえる。
これでは通じないと諦めたのか、腕が解放してユフィがべしゃりと床に顔をぶつけた。
ひ、ひでえ…。
この場にいた仲間たちの心の声が揃う。
だが油断している場合ではなかった。今度はクラウドの剣を強引に奪い取った。冷静だったクラウドの顔にも、さすがに焦りの色が見えてくる。
「何するんだっ」
取り返そうと伸ばした手を、反射的にすぐさま引っ込めた。ぶんっと剣が振られて、鼻をかすめる。
ぶんっ、ぶんっ、剣を振り回して壁に傷がついた。振る手は休めず、壁を傷つけ続ける。デブモーグリは文字で危機を伝えようとしていた。壁の傷は文字のつもりなのだが、とても読める状況ではなかった。
「このやろー、許さないかんなー!」
復活したユフィが鼻の頭を赤くさせながら、怒りを露にする。シュシュシュとジャブをして構えを取るユフィの前に、エアリスが立ちはだかった。
「落ち着いてよ。なぜこうなったのか、考えようよ」
「考えようったって、何すれば良いんだよー」
「そ、それは…」
口ごもるエアリスに、バレットとシドもユフィ側についた。
「一度黙り込ませる必要がある」
「どけ、エアリス」
「酷い事しちゃ駄目。他に止める方法見つけよ。ね?」
「そうは言ってもな」
ヴィンセントがエアリスの肩に手を置き、後ろを見ろと合図を送る。
振り返ればクラウドとレッドXIIIがデブモーグリに掴まって、振り回されていた。
「2人とも、止めようとしてくれるんだ」
パッと顔を輝かせるエアリス。
「おろっ。やるじゃん」
ユフィも顔を覗かせる。
「おうおう、頑張ってくれ」
「黙ってやるたぁ、男だねえ」
バレットとシドはしみじみと頷く。
「それは違うと思うんだが……」
ヴィンセントはぼそりと呟く。本当はクラウドとレッドXIIIの姿を見れば、穏やかな方法では駄目だろうと伝えたかった。
「何しとるんや、全く」
小脇から、彼らの様子を眺めて呟く人影。そう、リーブその人であった。歯痒いのか、ギリギリと爪を噛む。
ケット・シーが心配で、とうとうここまでやって来てしまったのだ。だが仕事人間は時計を何度も見て、時間を逐一確認している。
ネクタイを締め直して、軽く咳払いをした。彼には作戦があった。
カームの住人Aとしてクラウド達と接触をし、ケット・シーの行方をさりげなく知らせるのだ。だが1つ問題があった。住人の特色として“自ら話しかけてはならない”という法則がある。これを解決せねばならない。もちろん解決策は用意している。アクシデントを起こせば良いのだ。
デブモーグリを走らせて、身体をぶつけさせて話へ持っていけば良い。
よし。1人頷いて、リーブは通路を抜けて広場へ出た。さりげなく、さりげなく、自分に言い聞かせて適当にブラブラ歩く。そろそろ良いかとデブモーグリを向かわせるように指示を送った。
ドドッ、ドドッ。
デブモーグリの足音が聞こえ、近付いてくる。
ドドドッ、ドドドッ。
クラウドとレッドXIIIをぶらさげてやってくる。
ドドドドッ、ドドドドッ。
その後ろをユフィがシドがバレットがヴィンセントがエアリスが追いかけてくる。
ドドドドドッ、ドドドドドッ。
足音は大きくなってくる。少し大きすぎないか?そう感じた時に、冷や汗が噴出した。
このままぶつかったら、ボクあかんのとちゃう?普通に考えて、ただでは済まんやろ?作戦の問題点が浮かび上がってくる。足音の方向は振り向く事が出来なかった。現実を直視出来なかった。
ドンッ!
大きな衝撃と共に走る痛みと揺らぐ視界、そのまま暗くなって意識を失った。
「うっ」
低く呻いて瞼を開けば、木製の天井が見える。ふわふわとした肌触り。どうやらベッドに寝かされているようだ。
「あ、気がついたみたい」
遠くから声が聞こえて、誰かが近付いてくる。足跡の中に混じる他の足音。聞き慣れた音。ホッと胸が安堵するのを感じた。ティファが顔を覗き込み、その横にケット・シーの耳が揺れる。
そうか、無事だったか。おおきに、おおきに…。
誰が助けてくれたか、自力で抜け出したのかはわからないが、ケット・シーは無事だったようだ。
ああだがしかし。
ふー…っ。リーブは長い溜め息を吐いた。
どう言い訳をしてここから抜け出すか、遅刻の原因を会社へどう説明するか。大きな難題が待ち構えていた。だがケット・シーの姿を見れば、そんな事はどうにでもなると思えてくる。
子供を持つってこんな気持ちなんか?そもそもコイツぬいぐるみやん。ボク、何考えとるんや。
1人思って突っ込んで、知らずに笑みが零れた。
ケット・シーは自分にとって何か?その事を考えるようになったのは、この日からであった。
親ばかリーブ。
Back