休息



「ヴィンセント。用件を言ってくれませんか」
 リーブは目の前に映る、赤い瞳の奥へ問いかける。


 ここはWRO本部の隊員用更衣室。局長であるリーブはヴィンセントに呼ばれ、連れられて入ったかと思うと、角の方へ追いやられ、じっと凝視された。ロッカーに背を付けると、金属特有のひんやりした感触がして、薄い戸が僅かに音を立てる。
 ヴィンセントは口を閉ざしたままで、何も語ってはくれない。沈黙する中、部屋の外からは物が動く音、隊員の靴音が耳を澄まさずとも聞こえてくる。本部はDGソルジャーに壊滅させられ、今は修復作業の真っ只中なのだ。何も用がないのなら、やるべき事がたくさんある。リーブはロッカーから背を浮かせた。


「待て」
 ヴィンセントの手が顔の横に置かれる。ガシャンと、ロッカーが大きく鳴った。息がかかりそうな距離までに、顔が近付く。
 はぁ。リーブは一度溜め息を吐き、困った顔をしてみせる。けれど口元は弧を描いており、おどけたようにも見える。
「ですから、用件を言って下さいと言っているではないですか」
「急いでいるようだな」
 ぼそりとした声でヴィンセントは呟く。低く、大きくもないのに、この部屋には良く通った。
「見ればわかるでしょう」
「だが、工事など大工に任せておけば良いではないか」
「責任者は必要ですよ」
「そうだな」
 喉元で笑うが、逃してくれる気配は無い。


「確かに慌ただしい、責任者は必要だ。だがリーブ。お前が急いだ所でどうにもならない」
「何が言いたいんです?」
「休め、という事だ」
「回りくどいですね、あなた」
 リーブは目を細めた。けれども視線はヴィンセントの身体の隙間を狙っていた。隙があれば部屋を出てしまおうと。
「無駄だ」
 ヴィンセントのもう一方の手が、リーブの顎を捉えた。鷲の爪のように鋭く、押さえつけて放さない。リーブの顔は余裕のメッキが剥がれだし、焦りが表れてくる。
「ヴィンセント」
 諭すように彼の名を呼ぶ。
「あなたのお気持ちは受け取っておきます。ですから………」
 顎を捉えた手の親指が、リーブの口の中へ入り込み、言葉を遮る。
「………………………………………」
 ヴィンセントはロッカーに置いた手を下ろし、一歩前に踏み出した。胸同士が触れてしまいそうなくらい、身体が近付く。互いの息遣いが良く聞こえ、周りの工事を行う騒音は遠くなっていく。まるで、2人だけの世界に閉じ込められたような、閉鎖感が包んだ。
 たった身長は4センチしか変わらないはずなのに、ヴィンセントの身体は存在が大きく、威圧さえも覚える。1つ間違えれば恐怖の対象。なのに顔を見上げれば、表情は乏しいが安らぎを感じる。
 胸の奥で何かが締め付け、身体の回りは解れていく。リーブは生唾を飲み込んだ。それを悟られ、ヴィンセントの余った指が顎の下の喉に触れる。頭を動かさば、口内へ侵入された指から解放されるが、押さえられてはそれも出来ない。後ろへ下がろうにも、既に追い詰められている。
 彼は元から多くは語らない。苛立ちと緊張が募っていく。


「あ」
 指が引かれ、ようやく解放される。それは唾液で滑っており、身体の影によって作られた薄暗い空間に、艶めかしく照り返す。羞恥にリーブは眉をひそめた。そしてそのまま息を呑む。ヴィンセントが肩口に顔を埋めてきたのだ。
 彼の漆黒で長い髪は鼻をくすぐり、彼の匂いがした。首元には彼の輪郭を感じる。深く端整な美しい顔立ち。それが今、この身体に触れているのだ。禁忌を犯しているという毒が神経を麻痺させ、興奮を高ぶらせていく。
 下は見えないが、ヴィンセントの指がファスナーに触れるのを感じた。触れたのはわかるが、動かす気配はしない。じれったいと思う一方で、何を望んでいるのかと頭に浮かんだものを振り払おうとする。
 あ。リーブは声を上げそうになるのを抑えた。ファスナーが鈍い音を立てて上げられていく。ゆっくりと、ときどき止められながら。まるでリーブの心を見透かせて弄ぶように。流されてはいけない、思うようになってたまるか、せめてもの抵抗で冷静さを保とうとするが、心は正直で鼓動は早鐘のように鳴る。これ以上踏み込まれれば、何を言い訳にしても心の内を知られてしまう。悟られてはならないと、出来るだけ背をロッカーへ押し付け、距離を取ろうとした。
 本当にそうかと心が問う。本当は義務と責任という服を脱ぎ捨てて、快楽に身を任せたいのではないか。ヴィンセントぐらいにしか、弱みを見せられないのなら、彼に流された方が楽ではないのか。あの時、WROが崩壊した時、不甲斐無さを口に出した自分の背を押してくれたヴィンセント。彼になら、彼ならば……。
 だがそれでも、駄目だと心が言う。何が駄目だと問われても、駄目なのだ。理由は簡単には答えられないが、それを抜いて残るのは臆病さとプライド。理由も結局、都合の良い言い訳にしかならないのかもしれない。


 リーブが考えを巡らせている間に、ファスナーは腰の上まで上げられた。布が擦れて、ズボン越しに自身がつかまれる。低く呻いて、嗜めるように名を呼んだ。
「ヴィンセント」
 しばし待っても返事は返ってこない。リーブからは彼がどんな表情をしているかも見えはしない。
「おいたは、それぐらいにして下さいますか」
 それに……とリーブは続けた。
「ここ、監視カメラあるので」
 ほら、と口には出さずに顔を上げた。
 リーブの視線の先、ヴィンセントの背の後ろの天井にはカメラが取り付けられており、レンズが2人を覗くかのように鈍く光った。
「DGソルジャーに手酷くやられ、カメラも機能しなくなりましたけどね。カメラの復旧の優先順位は高いので、そろそろ直ると思います」
「そうか」
 肩口が軽くなる。ヴィンセントが顔を上げたのだ。
「それで?」
 頬を寄せて、耳元で囁く。
 リーブが口を開く前にヴィンセントは言う。
「わかった。リーブ、お前の立場は守ろう。どうせあの向きなら、私の背中とお前の顔しか見えはしない」
 立場?言い返したくなる気持ちを抑えた。心のどこかで安堵した気がする。自分の浅ましさに嫌悪感を覚えた。


「……………ん…」
 ズボンの中へヴィンセントの指が入り込み、弄られ、自身が直に握りこまれる。取り出されて、何かに触る。それはヴィンセント自身だと予想がついた。男の手は強引で、性急に擦り合わされる。止めようと下へ手を伸ばすが、相手は気にも留めずに刺激を送り続けた。
 湧き上がる快感の波が、身体を徐々に浸食していく。顔が熱く、上気していくが、カメラには何事も無いように平然とした表情をしてみせる。ああ、このカメラの先にいる人間には、ここで行われている行為をわかりはしないのだと。想像も出来はしないのだろうと。スリルが快楽を加速させていくのだ。
 禁忌とスリルが脳裏を駆け巡り、掻き乱し、理性を押し流していく。あと一歩、一歩の所まで追い詰めて、崖の下を覗いては、はしゃいでいるとでも言った所か。まるで子供のようだと自嘲する。
「う」
 耳元で、掠れたヴィンセントの呻きが聞こえた。彼も興奮している。確信を悟った時にはリーブ自ら身体を寄せていた。胸が合わさり、心音を感じる。
「随分と、騒がしいですね」
「お互い、な」
 喉で笑う音が重なった。
 リーブの口元が悪戯を秘めて端が上がり、頬の横をくすぐるヴィンセントの髪をそっと指で避け、隠れていた白い耳に熱い息を吹きかける。
 相手の反応は目では見えない。耳と肌の感触で読み取る事しか出来ない。その中でどう理性の皮を剥いでやるか、企み合う。
「……………………はっ……」
 薄く開かれたリーブの唇からは、切ない吐息と中に潜む快感が漏れる。
 皆が働いている間での、ささやかな休息。それは甘く、短い時だと言うのに永遠とさえ感じる。現実に戻れば時の進みは早まり、1人焦り、忙しいと思い込んで疲れていくのだろう。
 リーブはマントの中でヴィンセントの背に手を回し、服を掴む。今、この時を噛み締めるように、静かに目を閉じた。










密室に萌えを感じるらしい。
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