死にそうな程の痛みを受けた事はあるか。
 全身から全ての血が流れ出そうになった事はあるか。
 命の灯火が消えゆく感覚を味わった事があるか。
 では、実際に死んだ事はあるか。


 精霊の加護を受けし、ロトの子孫。
 彼らの本当の死は世界の平和を手に入れるまで奪われた。
 生きてさえいれば希望はある。
 闇の先には光がある。


 これはまだ、彼らが明日を夢見ていた頃の物語。



因果



 広大な森の中。咆哮と共に獣が騒ぎ、鳥たちが羽ばたいていく。
 数本の木が倒れ、轟音を立てて土埃を立てた。
 折り重なって倒れる幹にのめり込むようにして倒れている一人の青年。
 彼はローレシアの王子、名はロランと言った。
「がっ…………がはっ」
 ロランは咳き込み、血の混じった唾液を吐く。蹲り、腹をまさぐった。熱を持ってはいるが貫通はしていない。
「く、くう」
 肘に力をこめて半身を起こし、意識の飛びそうになった頭を振り、視界をはっきりさせる。
 仲間はどうしているか。ロランには共に戦う、守るべき仲間がいた。
 仲間は二人、サマルトリアの王子・サトリとムーンブルクの王女・ルーナである。
 彼ら三人は勇者ロトの血を引く子孫。邪神シドーを崇める大神官ハーゴンを打倒すべく旅をしていた。
 船を手に入れ大陸を渡ったが、その矢先に見た事も無い魔物の集団に襲われたのだった。
 統率の取れた異形の生物たちは明らかにロトの子孫を狙い、抹殺しようとしている。まずロランが集中攻撃を受けて二人から離された。早く合流せねば二人だけでは危険すぎる。
「うう……」
 なかなか足が動かずに起き上がれない。手に力が入らないのだ。どうやら左腕が折れているらしい。腹を庇おうとして腕を犠牲にしてしまったのだ。
 しかも剣が見つからない。打撃を受けて飛ばされた時に離してしまう失態を犯した。
 だが無防備のロランを待っている程、魔物も呑気ではない。頭を上げる瞬間を狙ってグレムリンが爪を振り上げた。
「…………っ!」
 咄嗟にロランは横に転がり避ける。運良く逃げた足元に剣を見つけ、素早く拾って切り上げた。
 剣の切っ先が腹を裂き、体液が溢れる隙間に剣を突き刺し絶命させる。
 引き抜かれた剣には人のものとは異なる紫の血と油がこびりついていた。
「サトリ!ルーナぁ!」
 仲間の名を叫び、僅かに返って来た音を逃さず、ゴーグルを装着して走り抜ける。


「おせーよ!!」
「ロラン!」
 苛立ったようなサトリと安堵したルーナの声が聞こえた。
 二人は無事であったが、気を抜ける状況ではない。
 先ほどロランが倒したグレムリン以外の魔物が二人に猛攻撃を浴びせていた。魔物はグレムリン一匹とオーク二匹の合計三匹。
 サトリは防御役に徹し、ルーナは回復と攻撃魔法に専念している。けれどもサトリの防御は限界を超え、ルーナの魔法力も尽き掛けている。
 一瞬の判断が、全てが終わるかもしれない絶体絶命の危機。だが恐れは無かった。彼らは一人ではなかった。仲間がいれば乗り越えられる。漠然としながらも確かにある力に今まで賭けて来た。
「サトリ!」
 ロランが飛んだ。
「おうよ!」
 合図にサトリは身を屈め、二匹目のグレムリンの喉元目掛けて蹴りを浴びせる。致命傷には至らないが、これでしばらく火炎と呪文は塞がれる。
「バギ!」
 ルーナが風を操り、魔物を吹き飛ばして距離を置く。
 ロランとサトリの剣を構える間が揃う。体勢は整えられた。
「ロラン……」
 ルーナが吐息のように囁く。折れた腕に気付いたのだ。
 囁きにはもう一つの意味が含まれていた。今回復してしまえば、魔力は底をついてしまう。
「切り札だ。取っておいてくれないか」
「……………………」
 ロランは仲間たちの剣であり、盾であった。魔法が使えない分、剣の腕と体力がある彼は常に前線に立っていた。ロランは誰よりも傷付く事が多い。今もこうして腕を負っている。腕以外にも打撃を受けているだろう。死なないからといって痛くない訳ではないのに。泣き叫びたい程、痛いに違いないのに。
 自分を守る為に誰かが傷付く。故郷の悲劇に気が狂うまでの絶望に支配され、己の無力さに嘆いたというのに。ああだが今は耐えねばなるまい。ルーナは拳を握り締め、魔法は唱えなかった。
「ロラン、逆転の準備は良いか」
「ああ」
「良し!」
 先手でサトリが飛び出し、既に負傷しているオークに剣が一閃する。
 目にもとまらぬ突きがオークの腕、槍、目の間の急所を射抜き、一気に仕留めた。ロランの合流待ちと戦力を読まれない為に生かしておいたのだろう。次に弱っているグレムリンをも仕留める。
「はっ!」
 ロランは残りのオークの脇腹へ剣を振るった。
 血で濡れた切っ先は鋭さを失い、剣は鉛の棍棒を化していた。しかし衝撃は失われてはいない。
 オークが吼え、悲鳴を上げる。何度も打ちつけ、抵抗させぬようにしてサトリに止めを刺してもらう作戦であった。


 だが命の取り合いにルールなどは存在しなかった。


「あああああ!」
 ルーナの悲鳴が木霊する。
 背後からサーベルタイガーが襲い掛かってきたのだ。潜んでいたのか、血の臭いを嗅ぎ取ったのか、戦いは魔を呼び寄せていた。
 サーベルタイガーはルーナの喉元へ噛み付こうと大きな口を開き、牙を露にする。
「ルーナ!」
 サトリがルーナを押し、身代わりとなった。
「があっ!」
 噛み付きからは逃れられたが、爪がサトリの首を掠る。
 それだけで血が噴き出た。太い血管を切ってしまったのだ。
 その場に倒れるサトリ。サーベルタイガーは獲物を捕らえる自然な動作で彼に圧し掛かり、首が足で捉えられる。
「!!」
 声は出ずに身体がびくんと震えた。
 首の傷が広がり真っ赤な血液がどくどくと流れ出て血溜まりを広げていく。失血と恐怖で顔が青ざめていく。爪が柔らかい肉に食い込むと小さく痙攣し出す。喉を押さえられては術が唱えられない。先ほどロランが繰り出した策をまんまとサトリに返されてしまっている。
 命を奪う者にはさらにその命を奪う者が現れる。自然の摂理ともいう太古から続いている因果。
 サーベルタイガーの力は強く、押さえられているだけで首がもげそうなる衝撃が襲う。麻痺でもしたかのように身体が硬直している。死の足音が近付いているようであった。


「サトリ!今助ける!!」
 ロランが渾身の一撃をこめてオークの頭を叩き潰す。
「サトリ!」
 ルーナが魔法詠唱を始めた。仲間の死を目前に温存などしていられなかった。
「だあああああああああああ!!」
 二人の咆哮が森を震わせる。サトリの意識はここで途絶えた。






 ゆらゆらと身体が揺れる。
 優しく、ゆっくりと、傷付けないように。
「……………………」
 サトリは薄っすらと目を開ける。すぐそこにロランの後ろ頭が見えた。たぶん負ぶられているのだろう。
 勝利して、町へ行こうとしているのだろう。ルーナも気配だけだが存在を感じた。
 腕は折れたままなのに、よくやるものだ。軽口を心の内だけで呟く。
 何かを発しようとしたが、声は出なかった。口の端に固まった血泡が溶けて、鉄の味が広がる。
 ロランの背中は温かく、大きく、安心する。泣けてくるくらい心地が良い。
 揺られながらサトリは思う。彼は何に持たれれば良いのだろうか。
 彼の、俺たちの背負う運命は重い。分け合いたいのに、どうしてもロランばかりが大荷物を背負ってしまう気がした。力になるには強くなるしかない。だが何か、他に出来ないだろうか。
 この背中は温かく、大きく、安心する。けれどもどこか、孤独に感じる。
 俺たちは三人で一つなのに。
 出来る事を巡らせながら、サトリの意識が遠のいていく。やがて心音は止まった。


 再び目覚めたのは宿屋であった。町に辿り着き、教会で生き返らせてくれたに違いない。
 意識を取り戻すと同時に全身に痛みが走る。生は戻っても傷までは全治という訳にはいかないのだ。
「いてててて」
「寝てた方が良い」
 隣のベッドで眠る支度を整えていたロランが冷静に言う。
「ルーナは」
「別室で寝ているよ」
 “別室”を強調されているような気がした。
「もしサトリが生き返らなかったら、添い寝していたかもね」
「そりゃ残念でしたね」
「サトリがいつも言う軽口だろう?」
「ああいうのは自分でやるから良いんだ」
「あー、そう」
 ロランが喉で笑う。彼が笑ってくれた事で、サトリの胸に安らぎが広がった。
「俺、酷い顔してる?」
「うん」
 正直に頷くロラン。サトリの顔は血は拭われたが痣だらけで片目の瞼は腫れ上がっている。
 サトリが気を失った後、ロランとルーナとサーベルタイガーの激闘は続き、渦中にいたサトリの身体も無事では済まなかったのだ。
 布擦れの音がする。ロランが布団の中に入ったようだ。視界がぼやけているせいでサトリには良く見えないでいた。なんとなくサトリは寝返りを打ち、ロランから背を向けた。
「俺、死んだんだよな」
「ああ」
「こうも死んだり生き返ったりすると、何が現世で何があの世なのかわからなくなるな」
「僕はわかる。辛い方が現世だ」
「精霊の祝福だか知らないが、死にきれないのは生き地獄みたいなもんだな」
 ぼそぼそと低い声で言葉を交わすロランとサトリ。聞き取り辛いはずなのに、やたらと音は通って耳の中に入ってくる。
「生きていれば、取り戻せるのかな、平和は」
「そう、信じている」
 ロランの声が小さくなり、途切れた。眠ってしまったのだろう。
「俺にもわかるんだぜ。お前が困ったように言うから」
 サトリも目を閉じて、眠りに落ちていった。







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