昔のままで
ロシウはほとんど自宅に帰らない。ロシウ個人ではない司令補佐室で眠り、夜を明かしていた。
カミナシティに聳え立つ巨大な建物の中がロシウの場所であり、本来の家なのかもしれない。
今夜もオフィスでロシウは眠る。
たまには家に帰ったらどうかと、さりげなくキノンに言われたが受け流してしまった。
夜勤用のシャワー室で身体を洗い、司令補佐の部屋へ入る。
デスクの横にある大きなソファ。これがベッド代わりであった。横になって布団をかければ、さあ出来上がりである。
けれども、そのまま寝てしまえば制服が皺になってしまう。
パチン。ボタンをはずし、上着を脱いで緩めに折ってソファの背もたれにかける。次にズボンも脱いで、それもかける。髪を下ろし、下着一枚の姿でソファの上に横になった。
さすがにこの格好で誰かに入られては紳士として不味いので、部屋に戻った際に鍵はかけてある。緊急時の場合以外開けられない、総司令のシモンにだってスペアキーはない。けれど、ある人物にだけは、いつでも入れるようにスペアキーを渡してある。
横になればすぐに眠気が襲い、ロシウは眼を閉じて眠りに落ちた。
深夜。非常電灯になっている通路を一人の影が歩んでいた。ギミーである。
彼の手にはしっかりと、司令補佐室のスペアキーが握られていた。
ロシウの故郷、アダイ村に住んでいたギミーとダリー。彼らは七年の月日を経て成長した。しかし、彼らはまだ幼く、信用はしているもののロシウにとっては危なっかしい身内だ。何かあった時に、いつでも会えるように鍵を預けた。ちなみに、ギミーだけでダリーには渡していない。
ダリーは女性なので、下着姿の時に入られたら不味いからである。ダリーには部屋に行く時はギミーと一緒に来るように言ってある。彼女は不服そうであったが、了承してくれた。
「ここを曲がって、と」
暗いので道があやふやになる。独り言で道を確かめながらギミーは向かう。
彼は一人であった。ギミー個人としての用事であった。いや、用事と呼ぶような大層なものではない、些細なもの。仕事で良い成績が取れたので、ロシウに報告しに行くのだ。当然、ロシウの耳には届いているだろうが、直接伝えたかった。あと、他愛も無い雑談を交わしたかった。
深夜に、そんな事で会いに行くのに、さすがに罪悪感が湧く。ロシウに叱られるかもしれない。ロシウに不機嫌な態度を取られるかもしれない。何も、反応してくれないのかもしれない。
過ぎった考えに、ギミーは足を止める。
もう、昔のように自分とダリーをかまってくれるロシウではない。司令補佐という、多忙で必要とされる皆のロシウである。ロシウの力になりたくて、ロシウと一緒にいたくて、ダリーと二人頑張ってきた。
しかし、頑張れば頑張るほど、現実を知っていく。遠い、深い溝が見えてくる。
しょうがない。何度思おうとしても、気持ちは沈む。
ダリーに話せば窘められ、彼女も自分の見えぬ所で沈むに違いない。
「あーっ」
首を振り、ネガティブな思考を振り払う。
大股で再び歩き始めた。
彼に会いたいという思いは甘えなのだろうか。それとも、彼が彼である事への確認なのだろうか。そうだとしたら、まるで彼を試しているようにさえ感じる。
司令補佐室の前に来ると、ギミーは両手を広げて閉じての深呼吸をした。
一人頷き決意をして、扉に鍵を差し込む。低く響く音がして外れた。
神経を集中させ、音を立てないようにゆっくり、慎重に扉を開く。
中は薄暗く、ロシウの眠るソファの色が妙に浮き立ち、目に付いた。凝らしてみれば脱いだ彼の衣服がある。この様子では眠っているだろう。明日の夜に出直そうと思った。思った、だけであった。
無意識に、吸い込まれるようにギミーは部屋の中に入る。開いた時と同じ、閉める時も細心の注意を払う。
忍び足でロシウの元へと歩み寄る。ソファの後ろへ回り、そこからロシウの姿を伺った。
「…………………………」
ロシウは布団を頭まで被っており、顔は見えない。わざわざ後ろへ回ったが、前に行ってもっと良く見ようとした。すると、長い髪がはみ出て床に流れているのがわかる。足を見れば、素足もはみ出ていた。薄暗さも相俟って、肌の色を不健康そうに映す。けれど、輪郭は骨と肉の線を綺麗に描き、見てはいけない色を感じた。
「ロシウ」
呟くように呼んだ。
気付かれないように、名を呼んでいた。
「ロシウ」
もう一度呼んだ。
起こしたいのではない。ただ、何らかしらの反応をして欲しかった。それだけだ。
「……ウ……」
小さすぎて、掠れた。
何をやっているのだろう。行動の無意味さに、ギミーは立ち去ろうとした。
「…………ん…………」
微かな、くぐもった呻きが耳を捉える。床に膝を付き、耳を寄せるギミー。
「……う?」
布団をずらし、瞼を薄く開けるロシウが顔を覗かせる。まだ夢の中なのか、判別し辛い。
「どうした。眠れないのか」
「…………………………」
答えられなかった。ロシウはぼそぼそとした聞き取り辛い声で、うわ言のようだったからだ。
「おいで」
手が伸びて、ギミーの手を取り引き寄せた。
大した力ではないのに、ギミーの身体は傾き、布団越しに頭がロシウの胸に触れる。
感触で、その下は素肌なのだとわかる。じわじわと熱が伝わる。息を吸えば、ロシウの匂いがした。目を閉じれば、ロシウの寝息が聞こえた。
急激に胸の奥がドクドクと脈打ってくる。顔が熱くなって、手の平から汗が滲む。
眠っているロシウの手が落ちれば、ギミーは身体を引き摺るように後ろへ下がり、立ち上がる。
額の汗を拭い、急いで部屋を出て行った。廊下へ出て、逃げるように帰る。
ロシウはロシウのままだったのに。
自分の変化に、心が、身体が追いつかなかった。
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