冬。とても寒い、冬だった。



体温



 セルゲイ・スミルノフが住む家に続く道を、一人の女性が向かう。
 名前をソーマ・ピーリスといった。彼女は超兵として生を受けて戦いに生き残り、平和な時を過ごしている。
 日が傾きだし、夕闇に染まる空。季節は冬を告げ、今日は特に冷える。道を行く人はコートにマフラー、手袋をして寒さを凌ぐが、ソーマは薄手のコートと簡単に着込むだけだった。超兵の身体は宇宙で長い時間を過ごせるように操作されており、一般人より丈夫な造りだ。しかし、気温の変化に対応しきれるといえばそうでもない。
「………………――――」
 手で手を包み、暖かい息を吹きかける。ソーマも寒かった。
 コートが薄いのは、それしか支給されなかったからだ。その上、必要も無いと防寒具を購入しなかったのもある。
 スミルノフ邸に着き、イヤホンを押す。出てきたセルゲイはソーマの姿に一瞬、目を丸くさせた。この気温では薄着過ぎる。
「ピーリス。早く入りなさい」
「はっ」
 敬礼をしようとしたソーマの手をセルゲイが捉える。
「それはいい。寒かったろう」
「…………………………」
 返答を詰まらせるソーマ。環境に意見するなど、超兵には持ち合わせていない。
 捉えられた指先から、セルゲイの体温が伝わってくる。じわじわと溶かされるように、暖かくなってくる。
「入りなさい」
「はい」
 手を引かれ、ソーマは家に通された。


 スミルノフ邸に訪問したのは、夕食に招待をされたからだ。ときどきセルゲイは自ら腕をふるって、ソーマにご馳走をしてくれる。温かな料理を目にし、喉に通し、その後の余韻に浸る――――ソーマにとって生まれて初めての経験だった。食料など、栄養価さえあれば良い程度。空腹が満たされれば良いとしか思っていなかったというのに。ソーマはセルゲイの好意に心から感謝していた。上手く表現しきれないが、精一杯感謝した。いっそ喉から心を取り出して直接見せたい気分にもなる。それくらい、有り難かった。
 今夜の料理もテーブルには温かな料理が並べられている。時間が正確なソーマは丁度出来た頃に着いてくれるので、一番良い時に振舞えるのはセルゲイにとっても嬉しかった。最近は一人の食事も多いので、こうして誰かがいるのも喜ばしい気持ちになる。
「大佐……本当に……私は……」
 感謝を伝えようとするソーマ。やはり言葉が上手く並べられない。
 人は感情が昂ると言葉を失う。それは怒りの時だけではなく、喜びの時も同じなのだとソーマは知った。
「さ、コートを置いて座りなさい。温かい内に食べよう」
「はい」
 ハンガーを借りてコートをかける。その下も、長袖なだけで暖かいとは言えない。
 椅子に座り、手を合わせて食事を始めた。
 スープの皿に触れれば温かい。スプーンですくい、口の中に流し込めば身体の奥から温まってくる。
「大佐、とても美味しいです」
 感想を述べるソーマだが、視線は完全に料理に向けられていた。後からセルゲイを見て、頭を下げるようにして礼をする。その姿にセルゲイは喉で笑い、ソーマの頬に赤みがさした。
「も、申し訳ございません……」
「いいんだ。私としても嬉しい」
「……はっ」
 手につけたパンを慌てて置いて返事をする。そうしてまた食べ始めた。
 ソーマは本当に美味しそうに食べてくれる。表情は乏しく、口はしどろもどろだが、雰囲気を察すればわかる。彼女は恐らく知らないのだろう。幸せを身体から発しているのを。


 いくらか落ち着いてからセルゲイが話しかける。
「ピーリス。気温はまた下がるそうだ。今度来る時は、もっと着込んで来なさい」
「申し訳ございません。あれしか無かったものですから」
「あれは支給の物だろう。給料も出ているだろうし……」
 ふむ。セルゲイは顎に手を沿えて思考を巡らせた。
「そうだ。食事を終えたら、買いに行こう。一通り揃っている良い店が近くにある」
「大佐。私は」
「体調管理も軍人としてのマナーだ」
「……はっ」
 そう言われてしまえば、反論は出来ない。
 食事を終え、一休みをするとセルゲイとソーマが外出の準備をしだす。
 ソーマがコートのボタンを留めていると、奥からセルゲイがマフラーを持ってきて彼女に渡した。
「すぐに取り出せるものがこれしか無かった。私のだが、巻いていきなさい」
「…………………………」
 はじかれたように顔を上げ、ぽかんと口を開けるソーマ。貸し借りというものが、彼女には上手く理解できていないらしい。軍では個人のものは個人のものと躾けられて来て、軍しか知らない彼女には無理もない。
「…………………………」
 セルゲイは息を吐き、ソーマに巻いてやった。驚く彼女だが、漸くわかったようで小さく礼を言う。
 ふわふわと温かなマフラーが首を温め、身体全体に伝わっていく。
「なるほど。首には血管が集中しているから、こうして温めるのですね」
「そうだ。では行こう」
「はい」
 外に出て鍵を閉め、歩き出す。


 セルゲイの言う通り、数分の場所に衣服を売る店があった。紳士服と婦人服、若者のものも揃えられており、至れり尽くせりだ。
 夜の闇をショーウインドーの光が照らし、幻想的な色を醸し出している。店に入れば暖房が効いており、暖かい。丁度入り口近くに手袋が飾られており、セルゲイは立ち止まって放つ。
「私はここで待っている。手袋を選んで来なさい」
「はい」
 ソーマは一礼し、歩調を速めて手袋売り場に寄り、選び出した。
 しかし、彼女が見ているのはどう考えても男性用だ。軍用で有り触れていた皮製のシックな色のものを探し出してしまっている。
「ピーリス……」
 セルゲイは歩み寄り、女性用に目を向けた。
「君はこちらだ」
「え」
 ソーマは言われるままに女性用のものを見る。
 革のものもあるが、それよりも鮮やかで可愛らしいデザインのものが大半を占めていた。
「…………………………」
 なかでも指の繋がったものはソーマの理解を超えていた。こんなのをはめて何をするつもりなのか。疑問で頭が埋め尽くされ、思わず手に取っていた。
「ほう。暖かそうで良いじゃないか」
「大佐。これはハンデ用なのですか」
「違う。そういうデザインなのだ」
「で、では」
 手袋につけられた、丸い綿の飾りをつまむ。飾りの概念が彼女には無く、意味を探ろうとしてしまう。
「これは何なのですか」
「飾りだ」
「なぜついているのですか」
「可愛らしい……からだろう」
「はあ」
 咳払いをするセルゲイ。可愛らしい、などいつ口にした以来だったか。気恥ずかしさが込み上げる。
 その横で手袋をはめてみるソーマ。指がまとめて温かい布が包み込んでくれて暖かい。機能性は失うが、防寒能力は高い気がした。
「それにするのか」
「……え……あ……はい」
 小さく頷く。一度手にとって試着してみれば、不思議と愛着が湧いて戻せなくなった。


 手袋だけを購入して店を出て、前でソーマは別れを告げる。
「大佐。今日は有難うございました」
 相当嬉しかったのか、ソーマの頬は上気していた。
「ピーリス。今夜は冷える。早く帰って、身体を温めなさい」
「はっ。大佐もお体をお大事に」
 二人は別の方向を歩み、それぞれの家へ帰っていった。
 家に着くまでソーマは何度も袋の上から手袋の感触を確かめる。
 持つ手は悴み、中身の物ははめて使うものなのに、心が躍って自然と暖かくなっていく。
 明かりの消えたショーウインドーを通り過ぎる彼女の横顔は、柔らかな微笑みに満ちていた。







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