翌日。午前で練習が終わると、豪炎寺は支度を整えて電車に乗り木戸川へ向かう。予定よりも早く着いてしまい、豪炎寺の足は寄り道の方向へ踏み出した。
駅前商店街を抜け、住宅街に入ると豪炎寺は一瞬戸惑うように片足が動きを止めかけるが進む。この先を行けば自然の多い並木道に出て、さらに進めば、かつて在学していた木戸川清修へ辿り着く。木戸川清修には大会や、練習試合の時にしか行かないし、姿を見せればなんでここにいるんだと問われかねないが、行ってみたい気持ちが疼いている。
この道は在学中の通学路にしていた。歩みながら、豪炎寺は通っていた頃の記憶を蘇らせる。
――――学校に入学して、サッカー部の扉を開くまで、俺は部に入ろうか悩んでいた。
目を閉じて開き、当時の悩みを思い返す。そう、どうしようか迷っていたのだ。サッカーをやるか、やらないのかを。
原因は単純にして重い。母の死がきっかけだった。
*
サッカーを始めた豪炎寺は、みるみると力をつけていき、ジュニアチームに入っても埋もれる事なく頭一つ出た存在だった。豪炎寺の才能を父も母も褒めてくれて、試合にも忙しい仕事の合間をぬって両親二人で応援に来てくれた。もっと強い自分を見てもらいたくて、日が暮れるまで練習に明け暮れたものだ。
妹も生まれて、賑やかに平和に暮らす家族に、ある日悲劇が訪れる。母の死であった。家の中に灯っていた明るい火が、ふっと消える。静かにて冷え込む悲しみ。傷心のまま残された家族で墓参りに出かける時に、豪炎寺はサッカーボールを持って行った。そこで母の墓の前で誓いを立てたのだ。
「母さん。俺、誰よりもサッカーで強くなって見せるよ」
豪炎寺は同意を求めるように、隣に立つ勝也を見上げる。勝也は、気付いてくれなかった。なにか考え事をしているかのように、気難しそうな顔をしていた。
あれからだ。あれから、勝也は変わってしまった。
数日後、豪炎寺が練習で帰りが夕方近くに帰宅すれば勝也の靴があり、居間のソファでくつろいでいた。そして泥だらけの豪炎寺を見るなり言う。
「こんな時間まで、どこへ行っていた」
「サッカー、です」
なんだか怖く聞こえて、顔色を伺いながら答える豪炎寺。
「もっと早くに帰りなさい。宿題があるだろう」
「宿題は夜にやるから……」
「そうか。確か受験は木戸川清修だったな」
いきなり受験の話を出されるが、うん、と豪炎寺は返事をした。
「木戸川はスポーツの有名校なんだよ。サッカーも強いんだ。その、サッ」
「修也はサッカー部に入るのか?」
「えっ…………」
話を遮ってまで放ってきたのは当たり前すぎる質問。理解してくれていると思い込んでいたせいか、驚きと同時に揺らぎが生じる。
「そう……だよ」
「そうか。なんの部に入るかは修也の好きにすればいいが、成績は落とすなよ。お前は医者になるんだからな」
そう言って、勝也は立ち上がり書斎に入ってしまった。
「父さん……」
困惑が胸に渦巻く。勝也から勉強や成績に関しての話を口にするなど初めてのような気がした。勉強は母が見てくれて、良い成績を取れば『凄いわね、お父さんに似たのね』と褒めてくれたのを思い出す。書斎の扉をじっと凝視する豪炎寺に、フクが声をかける。
「修也さん、お風呂が沸いています。汗を流してしまいましょう」
豪炎寺は汗を流して、気持ちをすっきりさせようとした。けれども湯船に浸かり、膝を抱いて考え事をする。勝也は母の死後から試合を観に来てくれなくなった。サッカーに興味を示さなくなってしまった。
――――父さんはサッカーについてどう思っているんだろう。
好きでも、無関心でも、嫌いでもそれはそれで構わないのだ。問題は、そこではない。問題は、自分がサッカーをやる事で、父に苦痛を与えているのではないかという事だ。
――――俺は、どうするべきなのか。
風呂に入る度に、そんな悩みに揺れていた気がする。悩みながら、木戸川清修に受験し、合格して入学した。
*
若い声が聞こえてくる。グラウンドにいる、中学生の声だろう。木戸川清修はもうすぐ。校舎が見えてくれば、歩調が早まった。校門前に着いて、そこから壁伝いに歩いてグラウンドが見えるフェンスへ向かう。そっと木の陰に隠れながら、フェンス先を覗き込む。サッカー部の練習風景が見える。目は自然と二階堂を探していた。
「……いた」
二階堂はベンチの前に立って、部員に指示を出している。その指示する様は、豪炎寺がいた時と変わらない。いつだって、一生懸命に接してくれていた。頑張ってみよう、そんな気持ちにさせてくれるのだ。
懐かしい風景を外から眺める様は時の流れを感じて寂しくもある。辛い思いを抱いて、この地を去ったが嵐が過ぎ去れば、煌いていた思い出を拾いたくなる。特に眩しいのは二階堂との出会い。今でもずっと、胸にしまっている。
*
木戸川の入学式は部活動の説明もされ、サッカー部の紹介は部外者なのに緊張した。監督の名前は知っている。かつて日本代表だった二階堂修吾。昨年より他所のクラブチームの監督から木戸川清修のサッカー部監督に就任した。木戸川は相当『やる気』なのだろう。帝国の無敗神話を崩そうと試みている。
――――俺もこの中で戦ってみたい。
心の奥底でじっとしていた情熱が盛んに燃え上がり、サッカーがしたいと訴えている。無意識に握られた手は汗が滲んだ。
入学式を終えて帰宅した後、フクに勝也の帰宅時間を問うが、かなり遅いと告げられてしまった。
――――父さん、俺はサッカー部に入りたいんだ。
父に告げたい思いを抱きながら翌日を迎えた。豪炎寺は放課後、サッカー部の練習を眺めながら、部室前を行ったり来たりを繰り返す。当然、部員に入部希望者かと問われるが、ぶるぶると首を振って断ってしまう。父に告げてからでないと、前に進めないと思っていた。
「君」
まただ。低い声に上級生だと構えて振り向けば、ユニフォームではない白いシャツが目に入り、豪炎寺は素早く瞬かせる。見上げれば、監督の二階堂であった。
「部室前で怪しい生徒がいるって部員から知らされてな」
「あ、怪しい者じゃっ……」
「はは、冗談だよ。とりあえず中に入らないか」
「俺は入部希望者とかじゃ……」
「うんうん。話だけでも聞いてきなさい」
二階堂はにこにこと笑って、豪炎寺を部室に招く。中は誰もおらず、少しだけホッとした。
「今は部活中だから誰もいない。適当な所に座っていいよ」
部室はロッカーが並べられ、角にはホワイトボード、パイプ椅子が置かれている。二階堂はパイプ椅子を二つ持ってきて、一つを豪炎寺に渡し、もう一つに自分が座った。
「入部希望者ではないとすると、誰か知り合いでもサッカー部にいるのかい?」
「い、いえ」
豪炎寺は膝と膝をくっつけて両手を乗せた姿勢で俯き、首を横に揺らす。
「ふむ。じゃあサッカーはどうだい?」
「サッカーは、好きです」
「うん。良くいるタイプだなぁ」
豪炎寺は、はじかれたように顔を上げた。そこには穏やかな二階堂の笑みがある。
「好きな気持ちの、やり場に困っているような生徒さ」
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