「ふふ……ふふーん」
 楽しそうな鼻歌が聞こえる豪炎寺家の台所。夕香が上機嫌でボールを抱えて中身を掻き混ぜていた。
 カレンダーは二月に捲られており、バレンタインの時期。夕香が作っているのは父に捧げるチョコレートクッキーだ。夕香の周りには、兄の豪炎寺と家政婦のフクが彼女を見守っている。ちなみに今日は予行練習。本番は恐らく豪炎寺は参加させてもらえないだろう。
「これくらいでいい?」
 掻き混ぜたクッキー生地を二人に見せる夕香。
「どうですか、フクさん」
「そうですね、これで焼いてみましょう」
 フクが見本として先に型に入れ、夕香は豪炎寺が手伝いながらフクのやり方を真似る。そしてオーブンで焼いたものを三人で試食をした。
「はい、良く出来ています」
「上手いぞ、夕香」
 褒めるフクと豪炎寺だが、夕香は悩むように喉を鳴らす。
「うーん、どんな型がお父さんは好きなんだろう」
 両手に持った二つのクッキーを見比べていた。フクが用事で席を外すと、夕香が豪炎寺に話しかける。
「お兄ちゃんにもクッキーあげるからね。でもお兄ちゃんは学校でいっぱいもらうかなぁ」
「夕香のがあるから断ろうか」
 くすりと笑う豪炎寺。夕香には冗談めかして言ったが、彼女の事はなくても今年は断ろうと思っていた。なんといっても、今年の豪炎寺には想いを通わせる相手がいる。その相手は二階堂修吾、豪炎寺が転校前に在籍した木戸川清修のサッカー部監督である。男同士であり禁じられた立場上、表には出せない関係だからこそ豪炎寺はけじめとしてチョコレートは身内以外断ろうと決めたのだ。
「けど、今年はクッキーなのか……」
 豪炎寺は冷蔵庫を見た。調理用のチョコレートを多めに買ってしまい、クッキーだとかなり余ってしまう。
「残ったチョコレートは夕香がおやつに食べるよ」
「虫歯になるぞ」
「じゃあ、お兄ちゃんが誰かに作ってあげたら?」
 ふふふ。夕香が悪戯っぽく笑うが、豪炎寺にはある閃きが走った。
 ――――余った、という口実なら二階堂監督にあげられる。
 どきり。心臓が高鳴り、思わず胸を押さえた。二人で台所を片付けてから居間でテレビをつけるとニュース番組に繋がった。
 最近の事件は想像を絶しており尚且つ、いつ自分たちに危機を及ぼすのかわからない恐ろしいもので、楽しい番組を観たいであろう幼い夕香も進んでニュースを観たがった。
 それというのも、世界はある時期を境に新たな進化を遂げようとしているからだ。かつて宇宙より日本に落下し、回収されたエイリア石――――世間を騒がせたエイリア学園はなくなったが、破壊された本拠地に残った巨大な石は地面に溶け込んで生態系に狂いが生じてしまった。奇怪な植物の発見が後を絶たず、中には人間を襲うものまで出てきていた。しかもそれらは種子を産み付けるらしく、病院や子どもを指導する学校の教師は対策マニュアルを学んでいると父・勝也や二階堂より聞いていた。
「お兄ちゃん、怖いよお」
 新種の植物の気色悪い姿に夕香が怖がって抱きついてくる。
「外へ出る時は、皆と出るんだぞ」
 夕香を抱き締め、豪炎寺が諭す。外は危険に満ちており、子どもたちは集団登校を義務付けられて中学生も含まれる。そんな中で二階堂の家へ度々泊まりに行くのは二階堂からも心配されているが、好きで会いたい気持ちは抑えきれず、危険を承知で通ってしまっていた。


 それから数日後、訪れたバレンタインデー。豪炎寺は上手い口実でごまかして作成したチョコレートを持って、二階堂の家へ向かおうとしていた。一度帰宅をすると怪しまれるのでユニフォームの上からジャージを着て電車に乗る。二階堂にはメールで先に家に行っているとメールで伝えた。二階堂も自分の帰宅時間に合わせた遅い時刻より、合鍵で早い時間に来てくれた方が安全であり了承する。もちろん、メールではチョコレートの話は出していない。秘密にして、渡して驚かせるつもりだった。
 夕方頃、木戸川に辿り着いて二階堂の家に合鍵を通して入る。しんと静まりきった居間に、鞄を置いてジャージを脱ぎユニフォーム姿になると、明かりをつける前にチョコレートの隠し場所を探した。
「風呂、かな」
 チョコレートの入った包みを大事そうに抱いて浴室の扉を開ける。そこで、豪炎寺は驚愕に言葉を失う。
「――――!」
 ぐちゅ、ぐちゅ、と濁った水音をたて、濡れた枯れたツルが塊となって蠢いていた。天井まで覆い尽くすほど埋め尽くし、開けた扉がばたん、と閉まる。考えるよりも早く本能が恐怖を感じ取り、手が震えて包みが落ちた。
 ニュースで報道されていた怪奇生物が家の中まで侵入してきたのだ。
 ――――一体どこから。
 豪炎寺は辺りを見回す。疑問はすぐに解消された。排水溝である。そこから、この化け物は侵入したのだ。
 ――――逃げて、警察に連絡だ。
 竦みそうになった足を動かそうとしたが、足元でチョコレートの包みにツルが伸びて奪おうとしている姿を目にした時、足は後ろではなく前へ踏み出していた。
「それは!」
 取り返そうと伸ばした手に、ツルが絡まる。
「あうっ」
 ツルは水を含んだ粘液を持って滑り、冷たい。吸い付くように手首をきつく締め付ける。そこで身体の動きを止め、隙を生んでしまったのがいけなかった。豪炎寺に無数のツルが襲いかかり、引き込んだ。
 壁に貼り付けにされるように身を浮かされて手足を十字の形にされる。ツルが這う感触は気持ちが悪く、恐怖も相俟ってぴくぴくと震えた。ジャージを脱いでしまったのはさらなる不運を巻き込み、衣服の中にツルは容易く侵入してくる。腹に触れられると、内側まで冷え込むような感覚に捉われる。嫌な予感に豪炎寺は歯を食いしばるが、見透かされるようにハーフパンツの中に入り込んで下腹部を冷やす。







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