「それじゃあ行ってくるよ。合鍵は持っているな?なるべく早く帰ってくるようにするけれど、夜になるなぁ。一人にさせて悪い」
「そんな……元はと言えば、私が監督のお家にお邪魔したいとお願いしたのですから。監督が不在の間、お留守はしっかり預かります」
「頼もしいな。行ってきます」
 ちゅ。二階堂は背を屈め、豪炎寺の額に口付けて家を出て行った。扉が閉じると、急に静まり返った空気が豪炎寺を包む。
「………………………」
 しばらく閉じられた扉を凝視した後、寝室に入って私服に着替えようとする。
「むちむち……」
 己の手で尻を押さえて肉の厚みを確かめた。いつも鍛えているせいか、筋肉太りが密かに気になる。下半身や肩の筋肉はつくのに、乳房はなかなか大きくなってくれない。体脂肪が少ないので女性らしい柔らかさがないと勝手に思い込み、コンプレックスを抱いていた。
 こんな悩みは二階堂が褒めてやれば自信に繋がるかもしれないが、なかなか立場上口に出来ず、豪炎寺を悩ませていた。
「着替えよう」
 金具を外してホットパンツを下ろす。バックプリントがピンクのクマのショーツが露になった。次にタンクトップを脱ぎ、ぷるんと零れる乳房をおさえるスポーツブラを纏う。
 上にパーカー、下を短めのスカートに着替え、家事を始める豪炎寺。まずは掃除から手をつけた。
「汚れてる」
 改めて室内を見回して呟かれる一言。酷くはないのだが、ところどころ雑で目立つものは目立つ。二階堂はざっとでいいと言うが、きちんとやりたくなってくる。
「よし」
 気合を入れて床に置かれたものを拾い上げ、掃除機をかけて他の部屋も同様に片付けた。身体を動かせば、ひらひらとスカートがなびき、ピンクのクマがちらちら顔を見せる。スカートを選ぶ時は動きやすい短いものを好んで下にスパッツを履くのだが、特に運動予定のない今日は履かずに足を曝け出す。部屋掃除を済ませたら風呂掃除に取り掛かり、スポーツブラとショーツのみになって大胆に磨いた。
「ふう」
 一通り洗った後に額の汗を手の甲で拭う。とっくに『ざっとでいい』という範囲を超えており、頭に思い浮かべるのは二階堂がどういう反応をするのか。
 ――――二階堂監督ならきっと褒めてくださるはずだ。
 想像するだけで心が弾む。子ども扱いは嫌だが、褒められるのは嬉しい。
 ――――さすが豪炎寺だ。今すぐにでも俺の嫁さんになってくれないか。
「…………なんて」
 つい行き過ぎた褒め言葉兼プロポーズを想像し、薄く微笑む。その表情はとても幸せそうであった。
 掃除を終えたら次は買い物。脱いだ服を着て、帽子とマスクで髪と顔を隠して外に出る。戸締りは二階堂より受け取った合鍵でしっかり閉めた。
 よく二階堂と自分の二人分の食材を買う事はあるものの、いつも一食限りだった。今日は少し違う。数日分を見越して購入するのだ。
 ――――主婦ってこんな感じなのか?
 豪炎寺は心の内で自問自答する。けれど答えは返ってこない。彼女は母を亡くしており、思い出はあるものの主婦としての母をあまり意識してはいなかった。母は母のままであった。
 ――――もしも監督と結婚して、奥さんになって、子どもが出来たら母親になる。私は母さんになれるのか?
 やはり答えは返ってこない。母のようになれたらと、常々思ってはいるが自信がなかった。二階堂との関係が世間的に認められるようになるのも時間と困難がある。
 また落ち込みそうになるが、一人頭を振るって気持ちを強く持とうとした。


 買い物を済ませて帰ってきた豪炎寺は買ったものをてきぱきと仕舞い、昼ご飯を食べてから洗濯物の取り込みをする。
「よ、……と」
 窓を開け、ベランダに踏み込んで干した衣服を下ろす。全て二階堂のものである。照らす太陽は暖かく、きちんと乾いていた。平和なひと時を感じる豪炎寺であったが、突然の風がスカートを持ち上げ、慌てて隠す。つい誰もいない後ろを振り向いてから、室内に入った。
 洗濯物を畳むのは寝室に決め、床にぺたりと座り込んでのんびりと行う。
 二階堂の大人の男の服は大きく、豪炎寺は広げて見せるたびに少しだけ驚いていた。なんとなくワイシャツの袖を合わせてみて、大きさをさらに調べようとする。
「大きい」
 ワイシャツを抱き締め、すう、と息を吸う。二階堂の家の洗剤の匂いがした。安らぎと、どきどきが入り混じる好きな匂いだ。すんすんともう一度吸ってから畳む。次は下着を手に取った。
「かんとくのぱんつ」
 つい凝視して、つい赤面をする。畳もうとしようとすると、ある事に気付く。
「ゴム、緩い」
 伸ばしてみてゴムの伸縮を調べた。
「買い換えた方がいいな」
 新しい下着を買い換えるシチュエーションを浮かべる。豪炎寺が買うか、それとも二人で行くのか。二階堂が一人で買うというのは彼女の中にはなかった。下着の次はズボンを畳もうとした時、ポケットの中からなにかが落ちて床へ転がる。
「あっ」
 受け止めようとするがすり抜けて、ベッドの下に入ってしまう。覗き込もうとした時、なにかに当たって戻ってきたので拾えた。手に持ってすぐに硬い金属だとわかる。手の平を開けばアクセサリーのようだった。
「イヤリング?」
 近付けて見据え、呟く。銀色の女物らしいデザインのイヤリングであった。
 ――――どうして?
 なぜ二階堂のズボンのポケットから出てきたのか理解できない。校則違反の生徒のものを没収したとは思えない。造りがどうにも若者向けではないのだ。
「監督が帰ってきたら聞いてみよう」
 忘れないように自分のスカートのポケットに入れる豪炎寺。そしてイヤリングも気にはなるのだが、ベッド下になにがあるのかも知りたくなった。頭を下げて覗き込む。
「うん?」
 ダンボールが見えた。豪炎寺は自分から隠しているように直感し、プライベートに侵入する罪悪感よりも好奇心が勝って手が伸びる。
「これ…………」
 中にはDVDや本が入っており、DVDのパッケージを目にした途端、唖然とした。
 なんとなく予想していた通り、アダルト向けの俗に言う『エッチ』なもの。タイトルは人妻がどうたらと書いてあった。
「………………………」
 豪炎寺の表情がみるみる不機嫌に変わっていく。
 ――――監督には、恋人がいるのに。
 浮気のように思えてしまう。DVDの内容が自分と同じ女子中学生だったら……と考えてやめた。パッケージ裏をひっくり返せば内容説明の過激さに中身の順番を入れ替えて箱の奥底に戻す。
「もう」
 見たくはないと思うのに、雑誌らしき本も手にしてみる。表紙に先ほどの人妻DVD以上の衝撃が走った。
「なんだこれ!」
 雑誌は『エッチな漫画雑誌』であり、要約としてサッカーを題材としたアダルト漫画を数本収録と書かれている。表紙絵はイナズマジャパンに似たユニフォームを着た若い女性。しかも、生地は薄くて乳首が浮き立ち、下にはなにも履かないで太ももを出していた。おまけに付録まであり、サッカーボール模様のピンポン玉のようなローターがついている。豪炎寺にローターはわからず、ただただ疑問に思うばかり。
「監督……最悪すぎます……」
 雑誌を持つ手がぶるぶる震えた。パロディだとわかっていても、自分や仲間たちが頑張ったものを馬鹿にされた気持ちになり、それを二階堂が所有していた事実に怒りを覚える。
 今から電話でもメールでも二階堂に問いただしたいところだが、肝心の内容を知らなければ訴えようがない。
 ごくっ。豪炎寺は生唾を飲み込み、勇気を出してページを捲った。幸い、実写DVDと違って漫画であり、可愛い絵柄のせいか読めそうな気がした。
「うっ」
 可愛いのは本当に絵柄だけであり、内容は過激であった。思わず本を閉じてしまうが、再び開いて薄目で恐る恐る読み始める。
 ストーリーはよくわからないし、頭にも入れたくはないが、同棲する大学生カップルが部屋でサッカーユニフォームを着てサッカー番組を観ながら性交をするものだった。豪炎寺の瞳は薄目から次第に開かれていき、やがて顔を本に近付けて夢中で読んでいる。
「………………………」
 耳まで赤く染めて、姿勢は正座。ときどき太ももをもじもじと疼かせ、足を崩し、揃えるを繰り返す。
 漫画の中の男の手が女の胸を掴むシーンに、豪炎寺は自分が掴まれたかのような感覚に陥りそうになり、胸を抑えて本を離した。
「っ」
 ぱさっ。落とすが、また拾って読み出す。
 読んでいく内に、愛し合うカップルの姿が『もし二階堂監督とこんな風になったら?』という妄想に入り込んでいく。愛を囁いてくれて、秘められた箇所に触れてくれる――――。







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