大人は子供に嘘を吐くなという。
 大人の言いつけ通りに真実を歩む子供は、いつか躓き嘘を知る。
 青い春。子供と大人の狭間で揺れる季節の中で、嘘の意味を知る。
 意味にどう接していくか。課題に突き当たるのだ。


 嘘はどこにでも潜んでいる。
 世界の中。人の中。自分の中にさえ、嘘は存在する。
 真実の色を含めば含むほど、嘘はより深みを増して色を失う。


 この世はどこも嘘だらけ。
 断言してしまうのは容易い。しかし、どこかそれは虚しい。
 だからこそ、希望を託すのだ。


 嘘を吐くなと――――






 日差しの強い、暑い日だった。
 立海大附属中学校、一号館屋上。昼休み、柳生は扉を開けて顔を出し、フェンスにいたある人物の背中を見つけると声を漏らす。
「ああ、ここにいましたか。仁王くん」
 仁王と呼ばれた人物は、フェンスの網から手を下ろして振り返った。二人はテニス部でよくダブルスを組む仲だ。
「おお、なんの用じゃ」
 独特の喋りで仁王は問う。
「なんのって。貸したノート返してください」
「俺の机に入っておる。勝手に持っていきんしゃい。助かった。今度も頼む」
 図々しい物言いに、柳生はただただ呆れるばかり。他をあたってくれと言いたいが、回りに回って結局自分の所へ来るのは目に見えていた。
「君はどんな用事で屋上にいるんです」
 ふと疑問に思い、問いかける柳生。
「プリッ。俺は屋上が好きだと言ったはずナリ」
「今日は特に暑いじゃないですか。君は日差しが嫌いでしょう」
「花を見ておる」
 花?柳生は首を傾げ、仁王とは反対の方を向く。その視線の先には屋上庭園が広がっていた。
「下にも花壇がある。ほれ、珍しいもんが見えよる」
 歩み寄り、仁王の隣で見下ろす。確かに花壇が下にあった。次に珍しいものを探す。なかなか見つけ出せない柳生に、仁王は指で示してやる。そこには柳がおり、水を撒いていた。
「あの花壇、3Cの担当でのう」
「柳くん、3Fですよね。……ああ」
 会話の中で意味に気付く。3Cは幸村のクラスであった。幸村はテニス部の部長だが、現在病で入院をしている身。彼はガーデニングを趣味として、校内の花も愛していた。
「3Cの奴は意外にズボラらしくてのう。柳がああやって撒いておる」
「なるほど」
「柳、あいつは優しい」
 仁王の呟きに、柳生は彼を見た。
「随分、他人事のように聞こえました」
「俺には到底真似できないからの」
「そんな事はないんじゃないでしょうか。柳くんを見習い、君も優しくなるべきです。まず、貸し借りをきちんとするとか」
 柳生は微笑みのまま、仁王に小さな刺をさす。悪びれず、仁王は笑みで返した。


 仁王と柳生が見下ろす花壇で、柳は水を撒き終えて如雨露の水を切る。水を浴びた花は生き生きと滴を輝かせていた。
 幸村の代わりに水を撒き始めてから、丁度二ヶ月が経つ。振り返り、案外続いている事に一人驚く。誰にも頼まれた訳ではないし、幸村に礼を言って貰いたい訳でもない。いない部長の為に、せめて自分が出来る事をしたい、そんな思いが一番近い気がする。花壇が枯れたら、幸村は悲しむが柳も悲しい。それは花の命が散ったからではなく、当たり前にあった景色が壊れてしまうからだ。
 水を撒く間、柳はこういった自問自答をよく繰り返す。何度も幸村の為ではないと思い直そうとする。それは幸村が嫌いという意味ではない。彼は大事な友人だ。だったらなぜ善意を捻くるのかといえば、善意と思われるのが嫌だからだ。そうでないと、また言われてしまう気がするからだ。お前は優しいと――――
 優しさに酷く気恥ずかしい思いをした事があった。浮かぶのは仁王の顔だった。
「…………ふん……」
 鼻を鳴らし、一号館を見上げる。屋上の方に、特徴的な銀髪が見えた。恐らく、たぶん絶対、仁王だろう。
 仁王がよく観察してくるのはとっくに察していた。なにを思って見ているのか。想像するだけで避けたい気持ちになる。また優しいなどと思われていると、想像するだけでこそばゆくなった。





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