■あらすじ
日曜日、渋谷
そこで二人の高校生の運命は大きく変わる。
突如見舞われた未曽有の大災害。日本は崩壊し、悪魔が溢れだして未知のなる敵まで現れる。つい今しがた模擬試験を受けていた『彼』と志島大地の日常は大きく変わり、人類の生存をかけた戦いへと誘う。
災害から三日目。携帯の時刻は火曜日を表示していた。早朝、東京にいた『彼』は物資の運搬で離れていた志島のいる名古屋支局の連絡がつかなくなった事を知らされる。
幼い頃よりずっと一緒にいた二人。たとえなにが起こっても断たれないと漠然と信じていた絆。それは本当に絶対のものなのか――――。
今、人の強さが試されようとしていた。

■chapter2「天は煌めいている」より。

 これからも、いい友達でいよう。
 交わした約束を俺は覚えている。
 たとえお前が忘れていたとしても。俺は覚えている。


 二人で見た壮大な星の海。
 あれに比べたら俺たちはちっぽけな存在だった。それはもう、塵のように。
 もし中に入ろうものならば、俺たちは星に揉まれてはぐれてしまうだろう。


 そうしたら俺はどうしたらいい?
 俺になにが出来る?


 真上に輝く燦々とした太陽。
 ブツ、とロープが切れて、志島の足元に落ちた。
 志島は東京から来た『彼』たちと、名古屋支局のジプスと民間協力者との協力により、無事救出されたのだ。
 長時間の拘束により血の巡りが悪かった身体に、火が灯るように熱く血潮が駆け巡りだす。
「はは…………眩しいや」
 空を見上げて思いきり伸びをした後に、助けてくれた恩人たちへ礼を言う。
「ホント、死ぬかと思ったよ。助かった……有難う」
「俺たちだってそりゃあ心配したさ。ねえ?」
 秋江がへらりと微笑み『彼』を見やった。
「ダイチ」
 目を細め、心から安堵しきった顔で志島の名前を呼ぶ『彼』。志島も『彼』の瞳を見つめ、二人の視線は交差する。
 離れ離れになった時に感じた相手の存在の大きさ。再会できた時の喜び。
 付き合いが長いはずなのに、言葉が浮かばずに沈黙した。
「…………良かった」
 遅れて、呟くように言う『彼』。
「どこか怪我は」
「え」
 心配をしてくる真っ直ぐな『彼』の青い瞳。志島の脳裏に昨夜の出来事が駆け抜けて返答に詰まる。返って来ない回答に『彼』は瞳を瞬かせ、よく聞こうと一歩前に踏み出す。
 しかし時間は回答を求める間を与えない。これから二人とその仲間たちには名古屋支局奪還という大きな仕事が待っている。しかも決断はリーダーという役割を与えられた『彼』によって下される。
 ニカイアの定めた縁の輪は広がっていき、その中心に『彼』が位置付けられようとしている――。
 名古屋支局の通信遮断は何者かに操られていた菅野史のハッキングが原因であり、彼女の救出により復旧される。そして通信遮断を好機として乗っ取りを企てたのはジプスに対抗して暴徒と化した民間人たちであった。リーダーは栗木ロナウド――彼はジプスの物資占領に対して怒りを燃やしていた。ジプス側も引けるはずもなく、人間たちは大災害当日より与えられた悪魔の力で争う。暴徒の仲間たちに物資を持って逃げるように指示して対峙する栗木は多勢に無勢で敵うはずもなく、片膝を落とす。名古屋支局奪還に成功したと喜ぶ『彼』等であったが、運命というものは人間の都合など考えずに傍若無人に襲い掛かる。
 天上より飛来した、鉱石の輪を形成する未知の生命体。名前はフェクダであると悪魔召喚アプリは告げる。戦うべき敵に対し、携帯を向けて立ち向かおうとする『彼』等に、栗木も共闘して撃破へ向かう。
 かくして共同戦線によりフェクダは滅ぼされ、フェクダの出現を知って駆け付けた迫が名古屋支局へとやって来る。フェクダは栗木の協力がなければ倒せず、ジプスは拘束せずに見逃した。栗木はジプス民間協力者に対し『ジプスはお前たちの思うような組織じゃない』という言葉を残して去っていく。
「志島」
 迫が志島の元へ歩み寄る。彼女は志島を気遣い、用意した医療班に検査を受けるように勧めてくれた。勝利を喜んでいた志島の表情から笑みが消え、落ち着いた口調で礼を述べる。迫とジプス局員に連れられていく志島の背を『彼』はじっと見つめていた。


 東京に戻る列車の出発時間は十九時半と知らされ、それまで自由行動となる。『彼』は名古屋で知り合った仲間たちと打ち解け合いながら、志島が検査から戻ってくるのを待っていた。検査の終わった志島は公園の遊具の上で一休みをしており、メールで場所を知らされてやって来た『彼』は隣に座る。
「ダイチ。検査はどうだった?」
「ん、ああ。ダイジョブ」
「怪我は?」
「ちょっと殴られただけだよ。包帯をする程でもない」
「どこ?」
 志島は己の頬を指差す。よくよく見れば薄っすらと痣になっていた。思わず手を伸ばそうとした『彼』に、触られると染みると志島が止める。
 志島は『彼』のいる方向から心配の視線を一心に受けていた。そこに救出された時のような話し辛さを感じている。検査は『彼』が気遣ったように主に身体の怪我を調べられた。口内の粘膜の検査をされやしないかと少しだけ、いやだいぶ不安に思っていた。幸い、男の性器を咥えさせられたという思い出したくもない汚点は探られずに済む。
 検査は殴られた箇所以外の問題はなく、怪我も軽症で大丈夫だという結果をもらった。けれども志島が傷付いたのは外傷よりも心の方が大きい。心理カウンセラーには東京支局に戻ってから、相談はいつでも受け付けていると言われた。いきなりでは危ないと判断されたのだろう。そういった方面の専門家ではない迫にでさえ、顔を見ただけで志島の精神が疲労しきっているくらいはわかっていた。
「怖かったよ」
 喉の奥から絞り出すように言う。
 そうして、つくづく自分の置かれている状況がいかに身の程に合っていないのだと愚痴りだす。『彼』は相槌を打ちながらも、他に代わって戦ってくれる人間などいないという現実から目をそらそうとはしなかった。
「……………………………」
 志島と会話をする最中、『彼』の目はずっと少しの異変でも逃すまいと眺めている。『彼』の手には携帯が握られており、開いては閉じるを繰り返していた。
 志島は無事救出されたが、ニカイアが反応したのは名古屋支局の民間協力者・鳥居ジュンゴの死の運命であり、志島自体の危険を知らせるものではなかったのだ。新田の両親の死にも反応せず、志島を傷付けた拉致事件にも反応はしない。ニカイアはただ淡々と特定の人間の死の運命だけを知らせている。そこに人間の情は感じない。悪魔召喚アプリを与えて人に生き抜く力を与えたというのに。温かくも冷たくもないが平等ではないし贔屓もない。不思議極まりない存在であった。
「さっきからさ、なにしてんの」
 志島が『彼』の携帯をいじる素振りを指摘する。
「誰かのメール待ち?ひょっとして……新田シャンとか?」
「違うよ。特に意味はない、いじってただけ」
 軽く息を吐き、意を決したように携帯をいじるのはやめて『彼』は放つ。
「名古屋支局から連絡が来ないって知らされた時、俺はニカイアの知らせが来るかもって思ってた」
「来た?」
「来たのはジュンゴのだった。ニカイアからダイチの死の知らせは来ないから、大丈夫だって信じたかったし、実際無事で良かった。……けど」
「けど?」
「死ななければいいってものじゃない。ダイチはたくさん傷付いたはずだ」
 俯いて地面を見下ろし、悲しみに顔を歪める。
「……………………………」
 志島は息を呑む。『彼』のこんな姿は恐らく初めてだった。胸の奥までずしりと、衝撃を受ける。
「ダイチ……、なにがあった。普通じゃいられないのはわかるが……おかしいぞ」
 志島を見ずに問いかけてきた。志島の胸がずきずきと痛みだし、利き手が自然と胸に触れていた。とても言えるはずもない。言いたくない部分だけを伏せる話し方など出来る自信もない。
「言いたくない」
 正直に答える。沈黙も出来ず、なんともないとも言えない。全て親友の『彼』には見透かされてしまうからだ。
「お前にはどんな悩み事も打ち明けてきたよ。けど、さ、もう全部話せるような年じゃないだろ」
 年は関係ないような気がしたが、志島は真実を隠したい一心で妙な表現が混じった。『年』という単語に『彼』ははじかれたように顔を上げる。思わず突っ込まれるのかと構えたが全く異なった。
「年……?いつまでも友達だって約束したはずだろう!関係ない!」
 過剰反応し、怒り出したかのように声を荒げる。
「約束っていきなりなんだよ。ごめん、もう行くわ」
 遊具から降りた志島は遠くへ行ってしまう。『彼』は志島の背中を視線で追うが、振り返ってはくれなかった。


 『彼』と志島はそれから列車の発車時刻になるまで顔を合わせず、車内でも言葉を交わさない。二人の様子に仲間たちは疲れているだけだと特に気にも留めなかった。東京に到着して支局の居住区に入れば、一日の疲れがどっと身体に圧し掛かってくる。
「ああー……生き返る」
 志島は靴を脱ぎ、ベッドにうつ伏せになるように飛び込んだ。やや硬くて湿気を持つ布団であるが、疲労をみるみる吸収してくれる。あの日から一日一日が本当に長く、ベッドに入ったらすぐに寝てしまうし、今日は特に志島個人には様々な出来事がありすぎた。けれども夢の中に入る一歩手前で、親友の声が頭の中で響いて離れない。
 ――年……?いつまでも友達だって約束したはずだろう!関係ない!
 あんな焦った声も、必死な顔も、久しぶりに見たような気がした。『彼』は普段からマイペースであり、この未曽有の大災害でさえペースを大して崩した印象はなかったというのに。
 ――これ、喧嘩なの?俺たち、気まずいの?
 真実に向かい合えず、避けてしまった行動が食い違いを生んでしまったのかもしれないと今更振り返る。気持ちに余裕がなくて、言葉も行動も上手く選べなかった。
 ――喧嘩、久しぶりかも。そもそも喧嘩自体あまりした事なんてなかったし。
 今までの喧嘩の回数や理由を思い返す。志島も『彼』も争いを好む性格ではなく、気の合う仲の良い友人関係を維持していただけあり、多少揉めた記憶はあっても嵐の訪れなど特にやっては来なかったはず。
 ――喧嘩なんてしている場合じゃない。けど、するなら今喧嘩をしなくていつ喧嘩をするんだ。仲直りだって、一生出来なくなる可能性がいたるところであるっていうのに。
「……………………………」
 志島は突っ伏していた顔を上げる。額に張り付いた前髪を軽く避け、身を起こす。そうして靴を履いて個室を出て『彼』の部屋の前に立つ。ノックをしようと利き手を軽く上げるが、叩けずに腕を下ろした。自室に戻ろうにも、昨夜の襲撃がチラついてしまい帰るに帰れない気分になる。
 外の空気を吸ってくると迫に伝えてから支局を出た。迫は心配したが志島が居住区の個室で拉致されたのを、局員を通じて聞かされていたらしく詮索しようとはしなかった。







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