開会式を終え、イナズマジャパンは宿舎に帰り、風呂で汗を流す。円堂は寝巻きには着替えず、ユニフォームを着て外へと出て行った。宿舎裏は浜辺になっており、そこにある木の一つに老人より譲り受けたタイヤが吊るされている。老人は宿舎前に送ってくれたうえにタイヤを吊るすのも手伝ってくれ、くれてやるよと貰ってしまった。なのに円堂の表情は浮かばず、タイヤに触れて俯く。そんな彼の耳に聞き慣れた声が近くでする。
「…………円堂?いるのか?」
 パジャマを纏い、ジャージの上着を背に被せた風丸が辺りを見回しながらやって来た。
「ここだよ、風丸」
 手を振って居場所を伝える円堂に風丸は歩み寄り、一度立ち止まってから円堂の元へ向かう。タイヤの吊るされた木に片手を添え、片方の靴を脱いで傾ける。
「サンダルは失敗だ」
 履き直し、もう片方も傾けてから風丸はタイヤに目を向けた。
「いいの手に入れたじゃないか。吊るすの大変だったんじゃないか?」
「タイヤの持ち主のおじさんに手伝ってもらったんだよ」
 説明する円堂の顔に、風丸は覗き込むように背を屈めながら見上げてくる。
「……なんか、あった?そんな顔してる」
「え……っと」
「これでも付き合い長いんだぜ」
 歯を出してニッと笑い、ジャージを下ろして砂の上に敷き、座った。
「俺さ、おじさんにタイヤをどうやって使うんだって聞かれて実際やってみせてから話したんだ。俺の爺ちゃんの必殺技の事。そしたら」
 円堂は木の幹に寄りかかり、夜空を見上げる。
「俺の技、全部爺ちゃんのものじゃないかって。俺のサッカーはどこにあるのかって」
「円堂はお爺さん大好きだもんな。俺、吃驚したよ」
「え?なにが?」
「ん、ああ。お前に初めて会った時、サッカーの話をしたかと思えば次に爺ちゃんがって。なんでそこでお爺さんの話になるんだって、突拍子のなさにさ」
「そうだったっけ?はは、ごめん」
「いいよ、慣れた」
 風丸の背を見れば、小さく揺れていた。笑っているのだろう。
「円堂はお爺さんに憧れてサッカー初めたんだっけ?その気持ちが変わらないで世界まで来るなんて、そうそう出来るもんじゃないさ。もうそれは円堂の一部になっている。今更自分のだなんてピンと来ないもんな、考えるにしても焦って答えを出す必要はないさ」
「ああ、そうする。気持ち楽になったよ」
 円堂は木の幹から背を浮かし、風丸の隣に腰を置く。二人で並んで海を眺めた。
 波は静かで、押し引きを繰り返す一定のリズムは子守唄のように心地がいい。静寂が昼間は口にしない思いを露にし、零れさせる。
「……思えば、遠くに来たもんだ」
 ぽつりと呟く風丸。
「弱小サッカー部がフットボールフロンティアに優勝して、学校まで壊されたのに」
「今度は世界大会だぜ。世界にはすっげー選手がいっぱいいるんだ。フィディオっていう……」
「フィディオ?イタリアの選手か?」
「風丸も知ってるのかフィディオ」
「昼間に練習見たし、さっきも開会式に来ていただろ」
「あ、うん。そうなんだよ、フィディオはすげーんだ。身のこなしがさ!間近で見ると本当にすっごいんだぜ!」
「間近って……円堂?」
 風丸は話についていけず、目を瞬かせる。
「一緒にトラックを追いかけたんだ。ええと、もう少し詳しく説明すると」
 フィディオとの出会いを風丸に語る円堂。
「なるほどな……。俺の知らない間に、なぁ。そうだ、知らないと言えば」
「うん?」
「マネージャーの冬花さんの事。お前とはそれなりに古い付き合いだとは思っていたのに、俺の知らない交友関係があったとは。彼女は知らないって言っていたが円堂、本当に彼女とは面識あるのか?」
 冬花はイナズマジャパンの監督・久遠道也が連れてきた娘であり、マネージャーを務めている。円堂は知り合いのフユッペだと当時呼んでいた名前で懐かしむが、冬花自身は覚えがないようだった。
「フユッペは確かに俺の知っている冬っぺのはずなんだ。俺は……フユッペが覚えていなくても、そう信じてる」
「そうか。じゃあ、俺も信じる。だから、円堂。なにかあったら、今みたいに俺に話して欲しいんだ」
「え?」
 今度は円堂が瞳を瞬かせ、風丸は軽く咳払いをして彼の視線から海へ目を向けた。
「俺は…………うん。お前の力になりたいんだよ。力になるには、お前の事を知っておかなきゃいけない。意見だけ押し通すのはいけないし、一人で根を詰めるのも駄目だ。それなりに俺は堪えて、考えて、そう思う訳なんだ」
 かつて二人は思いの食い違いが溝を生み、運命に引き離され、対峙という行き先に辿り着いた。辛く、悲しかったが、この出来事は二人にとって改めて関係を思い直すきっかけとなった。雨降って地固まるというように、より二人の絆は深まったようにお互い感じている。少しだけ意地は薄まり、素直になれ、気持ちを正直に伝えられるようになったと感じている。
「風丸。俺だって同じさ。お前がもし落ち込んでいたり、悩んでいたなら力になりたいって思う。付き合いが長いだけじゃ、お前を知っているって事にはならないし、もっと話がしたいって思うんだ」
 円堂は膝を抱え、えい、と口にして風丸の肩に軽くぶつかってきた。風丸も仕返しをしてきて、肩をぶつけ合う。そんないたちごっこを風丸が円堂の手を取って止めさせた。
「え」
 握り締められる手に、じっと真っ直ぐ見据えられる風丸の瞳。円堂は不意打ちに、言葉を失う。
「円堂」
 風丸の呼ぶ声が、はっきりと届く。
「俺は、この手を忘れていない」
 ゆっくりと、力が込められていく。
「円堂が差し伸べてくれて立ち上がらせてくれたから、俺はここにいるんだ。俺は戦うぜ、円堂。お前が……信じてくれたから」
 風丸の手を握り返し、円堂が言う。
「風丸。俺だけが信じているだけじゃ駄目なんだぞ。風丸も俺を信じてくれたから、俺に応えてくれたんだろう?」
「円堂はおじさんに自分のサッカーを問われたんだよな……俺も、見つけてみようかと思う。今なら出来そうな気がする……いや、俺は掴みたいんだ。お前と出会って、成し得た証をさ」
「風丸……。一緒に頑張ろうぜ。俺たちのサッカーで世界と戦おう」
「ああ、一緒に。一緒だ……円堂」
 微笑み合い、会話を途切れさせる二人。すると静寂が、二人の距離がとても近かった事実を遅れて教えてくれる。気恥ずかしい空気が包み込み、逃げ出したくなる衝動がこみ上げるのに、握られた手は離したくないし、交差する視線をそらせない。





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