過去へ。現在へ。
最悪の未来より、永遠のさよならを――――。
風が吹く。冷たく乾いた風が吹く。
灰色の空の下、瓦礫が乱れる石の道を黒い衣服を纏った少年は一人歩く。
少年が抱えるのは紙に包まれた花束。一際強い突風に、二つ三つ零れて空へ花びらが散った。
抱き締めるように花束を持ち直し、広い場所に出る。
一定の間隔で綺麗に並べられた石の群れ――墓地であった。
「久しぶりに来たけれど、また一段と増えたな」
墓と墓の間を話しかけるように通り、ある墓の前で足を止める。
「もう、卒業できる年になったかな。ああけど、出席日数が壊滅的か」
花束を卒業証書のように持ってから、背を屈めて添えた。墓石に刻まれた『E』の字。風が少年の長い髪を流し、唇で一文字一文字を形作りながらここに眠る人物の名前を呼ぶ。
「――――エンドウ」
文字の高さと視線の位置を揃えて、目を細める少年――風丸。
「早いものだ、もうあれから二年経った」
背を伸ばし、辺りを見回す。
肌寒く、静かに命が眠るこの場所は、かつて活気に満ちていた。大きな学校が建ち、若者がたくさんいたのだ。名前は雷門中――風丸の母校である。
「二年で、こんなにも変わってしまった。変われてしまうんだ」
やや伸びた背幅より締まった輪郭よりも、瞳が年月の刻みを語っていた。
二年前。暗雲に包まれた雷門中グラウンドの下で、とある試合が行われた。
人に強大な力を与える未知の石・エイリア石にて強くなったダークエンペラーズと、努力に努力を積み重ねて力を成長させた新生雷門中の戦い。双方のキャプテンは風丸と円堂。試合の舞台となる学校の生徒であり、古い付き合いの友であった。
試合の結果はダークエンペラーズが勝利し、風丸は黒いサッカーボールで修復させたばかりの雷門中を再び破壊する。そこから、日本――世界を巻き込んだ最悪の暗黒時代が始まったのだ。
崩壊したエイリア学園から巨大なエイリア石が回収され、兵器の開発に利用し日本は戦争を起こす。戦火は世界中へ飛び散り、地球全土が争いに呑まれ、乱れて荒れて、破壊されていく。争いの中で科学力は急速に発展を飛躍させ、倫理を乱れた狂った進化を遂げていく。たった二年で世界はあまりにも大きく変わってしまった。
エイリア石を与えられた強化人間たちは兵士になり、戦地へと向かわされた。そして強化人間の中でさらなる特異存在が生まれ、人間そのものの存在までも進化を歪ませる。進化に追いつけなかった人間は取り残され、朽ちていった。
稲妻町も大きく変化し、雷門は復興がしないまま墓地にされた。雷門の生徒で生き残っているのは風丸と他数人のみ。エイリア石を拒んだ円堂たち、エイリア石の力に耐え切れなかったダークエンペラーズたちも皆雷門という墓に眠ってしまった。
風丸はエイリア石との相性が良く、今もこうして生きてはいるのだが相性が良い故に延命処置を何度も施されたものの、とうとう耐え切れなくなり今日付けで兵の仕事を降ろされた。
「俺が残ったのは、運でも才能でもない」
一人頭を振るう。彼が一番、この命が特別ではないのを悟っていた。
初めてエイリア石を与えられた時、風丸は長い時間手術を行ったのだ。措置が丁寧だったので、急に与えられた者たちより石の力が馴染み、身体が持ち堪えたに過ぎない。もうとっくに身体は限界を告げており、延命措置で使われた薬で成長は二年前とほぼ変わらない。風丸はまるで自分一人だけが、時間に取り残されたような感覚を抱いている。
「そろそろ……やっと、円堂たちの所へ行けそうだ。けど」
風丸の瞳に、意思の火が灯る。
「俺は、ここには眠れない。そもそも、ここは寝る場所なんかじゃない。寝たら叩き起こされる学校だ」
拳を強く握りこむ。
「間違ってる……。こんなの、間違ってる。俺は認めない……。こんな世界、絶対に違う」
口の端を上げ、深呼吸をして宣言した。
「変えてやるよ。変えて、雷門を卒業しよう。円堂、俺はさよならをしに来た。今度こそ本当のさよならだ。なあ円堂……お前は居眠りする暇があったら外でサッカーやりたいだろう?俺はその方が円堂らしいと思う。お前が元気にサッカーしてくれたら、俺も幸せなんだ。さようなら……さよなら……一生分、さよならだ」
背を向け、風丸は走り出す。
風丸は墓地を出て、稲妻町の商店街があった場所を目指す。今は人が住まないコンクリートのゴーストタウンと化している。
「どこ……だったかな……」
コンクリートの壁に手を這わせ、探る風丸。指先は寒くもないのに微かに震えている。ボロボロの肉体は集中する神経さえも破壊されていた。
「ここ、だ」
凹みに指を入れて、中にあるスイッチを押す。すると、壁の先で小さな音が鳴った。裏手に回って靴で砂を避け、出てきたマンホールの蓋を開けて中に入る。階段を下りた下水道の通路で携帯を取り出し、その明かりを頼りに道を進む。下水は臭いイメージが風丸にはあったのだが、埃臭いだけで不快ではない。けれども生活の気配が皆無の雰囲気に寒気を覚えた。
「よし」
縦に線を描くような浅い窪みを見つけて足を止める。携帯で特定の画像を表示させてかざすと、壁の一部が扉になって開いた。
扉の先は小部屋になっており、床は配線で埋め尽くされ、中央にあるテーブルの上にはノートパソコンが置いてある。
「待たせたな」
ノートパソコンを開き、スリープを解くと画面に見慣れたアイコンが映る。かつてチームメイトだった目金である。
『風丸くん、お帰りなさい』
ウインドウが開き、チャットのように文字が流れた。風丸はキーボードを押して返事をする。
『ただいま。ここが俺の家みたいになっちまったな』
『アナタ、ご飯にする?お風呂にする?それとも…………だなんて、三次元側で見たかったです』
目金は三次元の人間ではなく、二次元の住人になっていた。本来の身体は朽ち、人格をこのノートパソコンに移植したのだ。今では風丸が素で話せる、たった一人の存在になってしまった。
『目金。俺の準備はもう出来た』
『そうですか?それは良かった。ここ、電気を落とされて、予備電源で持つ僕の寿命もカウントダウンなんです』
風丸の顔がしかめられる。
『風丸くん……今、悲しい顔をしましたね。でも、涙はいりませんよ。僕たちきっと、どこかで笑顔でまた会えますから』
『ああ……その為に……目金にはこんな姿になってもらって、本当に悪かった』
『気にしないでください。僕は二次元の住人になる願望が少なからずありましたから。話を戻しましょう。チャージしたアレの説明をしましょう。取ってきてくれますか』
「わかった」
風丸は部屋の壁際にある棚から手の平サイズの鉄の塊を取り出し、目金の元に戻って来た。
『持ってきたぞ』
鉄の塊には繊細な器具が集まって型を形成し、中心にはエイリア石が埋め込まれている。
『使い方を説明しましょう。聞き間違えてしまっては、瞳子監督に申し訳がたちませんからね』
この鉄の塊は、時間を操る力を秘めている。エイリア石が巻き起こした戦争により発展した科学は、時間の領域まで踏み入れたのだ。幸い、技術を逸早く編み出したのは新生雷門中監督・瞳子であり、他の者の手に渡らないように命をかけて守り通した。この科学の結晶は生前の瞳子が最悪の未来をなくす為に、風丸と目金に託したのだ。風丸はその時の瞳子を忘れない。彼女は手の中に握りこませ、上から包み込むように持たせてくれた。裏切ってしまった自分を信じてくれた。温かな手のぬくもりは今後待つ冷たい運命を憂いでいるかのようだった。
しかし道具は未完成でエネルギーを必要とした。機械物に詳しい目金が完成に向けて頑張ってくれたのだ。寿命が尽き、肉体を失ってまでも。
『これは風丸くんの記憶に直結して時間を移動できます。ですから、君が知らない場所や記憶が曖昧だと飛べません。操作は真ん中の石に意識を集中するだけです。飛べるのは数回、片道切符です。エネルギーの問題ではなく、君の身体がもたないでしょう』
『失敗の出来ない、大博打だな』
『風丸くん。君は絶対の自信を持っているようですが、僕には全然話してくれませんよね。どこで未来を変えられるのか、そんなに答えが明確なのですか。最期なんですから、聞かせてくださいよ』
『そうだな……。ずっと黙っていてすまない。話したら揺らぎそうで、こんな時でなきゃ、言えそうになかった。俺は、わかっているんだ……この全ての元凶が……俺自身だって。だから』
風丸は深呼吸をして、キーボードを打ち込む。
『俺と円堂の人生の関わりを無くす』
『か、風丸、くん?』
目金は動揺する。
『俺が円堂に出会わなければ、俺はサッカーを始めなかった。俺というエイリア石適応者が現れなければ、エイリア石の利用目的が変わって世界もこんなにはならなかった。きっと、世界はなんらかの形で変わってくれる』
『あまりにも憶測すぎますね。けれども、ノーとも言えません。どうなるか、わからないですね。もしも未来が変わるのなら、僕たちは消滅するでしょう。君の行動で君が消えたら、未来が変わった証拠になるでしょう。しかし、風丸くん……君に出来るのですか。罪滅ぼしと、自虐的になってはいませんか』
『やるしかない』
『本当に、いいんですか』
『いいさ……もう、円堂や皆にはお別れをしてきた。サッカーしなかったら、あいつらとも仲間にはなれないだろうし、な。俺一人で未来が変わるとはとても思えない。だが、俺一人で変えなきゃいけないんだ』
風丸の揺るがない決意は迷いのない動きで目金へ打ち込まれていく。
『そうまで言われてしまったら、僕はもう君を止められない。もっとも、送り出すしか出来ない』
『有り難う。こんな俺を信じてくれて』
『それは、もうやめにしませんか。さよならも、やめにしましょう。変わった未来で僕と風丸くんが出会わなくても、君の人生が幸せである事を願います』
『行ってくる』
『行ってらっしゃい』
別れの挨拶を交わし、風丸はノートパソコンの蓋を閉じた。
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