Chapter 2 : さよならの季節に
平和が戻った雷門、そして稲妻町は穏やかな日々が流れていた。エイリア学園に破壊された建物も修復が済み、操られた者たちの後遺症も癒えている。けれども、肝心の救世主であった雷門中サッカー部は沈みきった影を残していた。フットボールフロンティア優勝、エイリア学園も倒したが、得たものに対する代償はあまりにも大きかった。
特にキャプテンの円堂の落胆は大きく、あれからあんなに好きだったサッカーは身に入らないらしく、練習の指示は鬼道任せ、サポートは木野に任せ、終わりの時間になればすぐに帰ってしまう。
「じゃ、俺行くよ。またな」
誰よりも早く制服に着替えた円堂はひらひらと手を振って部室を出て行った。残された仲間たちは別れの挨拶を交わすだけでなにも言わない。
バタン。扉が閉じ、間を置いてから音無が言う。
「まだ、信じられないです」
「……………………………」
仲間たちは顔をしかめた。歯がゆい空気に息が詰まりそうになる。
「まるで、悪い夢をずっと見ているみたい」
夏未がロッカーに手を置く。そこは風丸ものもであった。
「ひょっこり、帰ってきそうなのに」
「風丸くんは遅刻しなかったじゃない」
音無の例えばの話に木野が水を差す。静まりそうになったところを、壁山がわざとらしく菓子の袋を大げさに開け、演技たっぷりに松野が一口もらった。
その頃、円堂は帰路に通じる河川敷で足を止め、斜面の草の上に腰を置く。あれから毎日、ここで時間を潰す機会が増えた。思い浮かべるのは風丸の事。彼と語り合った思い出を反芻する。今日は、いつかの手について語った記憶を呼び起こす。
己の手を開閉させ、風丸の言葉を浮かべる。
――――俺は、思うんだよ。円堂はいつか……掴むって。
「俺は掴めたんだろうか」
開いた手を握り締め、拳を作る。手の話をしたのは中一だった。風丸が言った通り、必殺技が使えたり、仲間もたくさん出来た、フットボールフロンティアにだって優勝が出来た。絶対に勝てないと思われた相手にも勝つ事が出来た。しかし、言葉通りにはならなかったものもある。
――――俺はその時の瞬間が見たいって思う訳よ。
「見てくれるんじゃ……」
なかったのかよ。こみ上げた思いに呟きさえも掠れて声にならない。
円堂はわからなくなってしまった。どうすれば誰も傷付かずに、風丸を失わずに済んだのか。悔やんでばかりであった。後悔の底の深さに未来が見えず、見たくもなかった。サッカーはずっと大好きだったが、取り返しもつかない過ちを犯したのだ。好きなだけではボールを持つ資格がないと思い込んだ。かといって辞めも出来ない。これ以上なにも失いたくなかった。
「俺、どうしたらいい?わかんないよ」
膝を抱えて顔を埋める。悩んだ時、風丸がいつも相談に乗ってくれた。だが、彼はもういない。
「あら、円堂くん?」
不意に呼ばれて振り向けば、道路から女性が見下ろしている。彼女は風丸の母親だった。
「円堂くん、よね」
「はい、円堂ですっ。今行きますっ」
円堂はすぐに立ち上がり、鞄を持って風丸の母親の前に飛んできた。
「久しぶりね」
愛想笑いで返す円堂。風丸の葬式以来であった。
「部活はどう?サッカー部は来年も優勝頑張ってね」
「はい……」
「実は丁度、円堂くんの家に行くところだったの」
「えっ?」
目を白黒させる円堂に、風丸の母は微笑むだけであった。
「そのね、突然なんだけれど。あのね、来月に引っ越す事になったの」
「え…………」
円堂の表情が愛想笑いのまま固まる。急にごめんね、と風丸の母が詫びる。
「……ねえ円堂くん。貴方が良ければなんだけれど」
風丸の母は円堂に提げていた紙袋を差し出す。
「俺に?」
彼女が頷くのを見てから袋の中を見れば、落としてしまう。そこから入っていた中身――靴が覗いた。
「すみません……驚いたもので。これは、風……一郎太くんの?」
「ええ。この靴、あの子がサッカーの大会で優勝した時に、履き潰してしまったから新しい靴が欲しいって、買ってあげたものなの」
「そう……なんですか」
相槌を打ちながら拾い上げる靴はぼろぼろに履き潰されている。
「エイリア学園との戦いの時に電話で話していたのよ。もっと速くなりたい、円堂くんたちの力になりたいって。私、サッカーは詳しくないけれど、この靴を見ればあの子がどれだけ好きだったか、一生懸命だったかわかるわ」
「いいんですか、こんな大事なものを俺に」
円堂は俯き、靴から目が離せない。
「そう思ってくれる円堂くんだからこそ、貰って欲しいの。きっと、あの子の本望だろうから」
「……有難う、ございます……」
一度顔を上げ、深々と頭を下げた。
「私の方こそ。一郎太の友達になってくれて、有難う」
会釈をして去っていく風丸の母。遠くなっていく彼女の背中に、円堂は一歩足を踏み出し、声を上げる。
「あ、……あのっ」
「なにか?」
振り向かれるが、円堂はなにも言い出せず頭を下げた。とうとう行ってしまった風丸の母に、円堂は口に出せなかった言葉を飲み込んだ。葬式の時も、今も、結局言えなかった。風丸がもしかしたら自分を庇って撃たれたのかもしれないと――――。
確信はない、今更どうなるものでもない、いっそ恨まれたいのか。どれでもあり、どれでもない感情の渦が胸に回り続け、喉元に出掛けては引っ込む。そんな時、いつも蘇るのは最期に目を合わせた瞬間。あの滲むように揺らいだ瞳が忘れられない。
風丸はなにを思ったのか。なぜあんな行動に出たのか。円堂は直接彼の口から教えて欲しかった。そして、文句の一言くらい言わせて欲しかった。庇って俺の命を繋げても、お前がいなくなったら意味がない。なんの為に戦い抜いたのかと――――。
円堂は風丸の靴を入っていた紙袋に包んで帰宅した。そうして、自室の机の下にしまった。取り出して眺める事はなく、ただふとした瞬間に存在を感じながら時を過ごす。
しばらく経って風丸の家族は稲妻町を出て行き、季節が過ぎていった。サッカーと風丸への思いに向き合えずに冬が過ぎて新しい春が訪れる。
円堂は三年生になった。フットボールフロンティアがまたやって来る。今年は吹雪のいる白恋中、昨年は欠場した大海原中も参戦し、激戦が待つ。雷門は今回、王者として攻めではなく守る立場にいる。強い選手を従え、構えてはいるが不安な要素は唯一つ、円堂だ。
新学期に入るなり、円堂は染岡に本校舎屋上に呼ばれた。染岡はフェンスに指を引っ掛け、景色を眺めながら言う。
「円堂。フットボールフロンティアだ。お前はどうするつもりだ」
「どうって?」
「俺は勝つつもりだ。円堂、お前は……お前も、勝つだろう?」
「あ……うん」
がしゃ。フェンスが揺れて音を立て、手を離した染岡が振り返って円堂の肩を掴む。
「なんだよその返事は!お前はどうしちまったんだよ!俺たちにサッカーやろうぜって言ってくれた円堂キャプテンは!」
「……ああ……」
「円堂!お前がそんな調子続けたって、なにも変わらねえ!勝てよ円堂!風丸だって望んでねえよ!俺たちで掴んだ勝利を逃そうとすんなよ!」
はぁ……はぁ……はぁ。力の限りの言葉を叩きつけた染岡は息を乱して円堂を見据える。今にも泣き出しそうな顔なのに、真剣に射抜いてくる。対する円堂は視線をそらし、唇を噛んでいた。屋上にいた他の生徒たちは注目していたが、円堂のように視線をそらして去っていく。
「染岡」
「なんだよ」
「風丸が望んでないって、所詮……想像だろ。風丸が本当はどう思っていたかなんて、俺たちがわかるはずも」
「当たり前だろ!」
ごり。骨の当たる衝撃に火花が散る。引っくり返った視界に映った染岡の背中。円堂は殴られたのだと悟った。
――――わかっているよ、染岡。
放課後、夕日に染まる帰路を歩みながら、円堂は心の内で染岡に言えなかった言葉を思う。
――――わかっている。このままじゃいけないって。
――――わかっている。わかっているんだ。
円堂の足は家の方向から変わり、別の場所へ向かう。鉄塔広場に辿り着いていた。特訓に励んだタイヤが吊るされた木の元へ歩んでいく。
「よ、久しぶりだな」
タイヤに手を置き、旧友のように声をかける。
「ロープ、今度取り替えるよ。また世話になるかもしれないから」
頭を傾け、額にあてた。ひやりと冷えて、ゴムと土の匂いが鼻孔をくすぐった。
「……………………………」
目を閉じ、細い声で一人呟く。
「風丸」
歪みそうになる唇を戻し、続けた。
「いつも相談相手になってくれたお前が困っている時、俺はなにもしてやれなかった。もっと、話をしなきゃって思ったんだ。そう思いながら俺はエイリア学園と戦ってた。けど、さ、こんなのってないよな。俺はどうこの気持ちと向き合えばいいのか全然わからない。もう三年生になるのに、全然見えないんだよ」
顔を上げ、鞄をベンチに置いてからタイヤを抱え込む。
「だけど、このままなんかじゃいられないよな。フットボールフロンティアで負けたら、せっかく俺たちで勝ち取ったものがなくなっちまう。それだけは嫌だってわかっている。今年も今年で強敵だらけだ。風丸、俺に力を貸してくれよ!」
タイヤを力の限り押して、遠心力をもって跳ね返ったところを受け止める。
「っ痛う〜っ。身体がすっかり鈍っているな。取り戻していかないと。もう一度……」
再び押し返そうと手首の位置を変えかけて、息を呑む。
ざあっ。春特有の強めの風が吹き、木々を揺らした。
「!」
気配を感じて後ろを向くが誰もいない。しかし瞬きさせた中に一瞬、人影を見たような錯覚を覚える。
目を擦って凝らして見据えた。視線の先の木の横でなにかが流れる。青く柔らかな、長いものが――――。風丸の髪に似ていると直感した。
「風丸っ?」
急いで駆け寄るが誰もいない。ありえるはずもないのに期待をした反動で、落ち込みながらタイヤの元へ戻ろうと踵を返す。
「おい」
耳元で声がして、無意識にタイヤを見やれば少年が立っていた。
長く青い髪、丸くて大きな瞳、雷門の学生服。目をいっぱいに見開いて立ち尽くす円堂に、少年は放つ。
「なんだよその顔は。俺の事、忘れちゃったのか?」
首を傾げてから、わざとらしく肩を竦めて見せる。
「か……っ……、か…………」
ゆっくりと利き腕を上げて、震える人差し指を少年へ向ける円堂。
「か?その先は?」
「……かぜ……か……かぜ……」
「あともうちょっと。頑張れ」
「風丸!」
「はい、正解」
少年――風丸は微笑む。けれども円堂の足は竦んだように動かない。幽霊かもしれないという警戒ではない。姿も声も風丸ではあるが、この風丸は少し違う気がするのだ。第一、あれだ――――。
「円堂、久しぶりなのに冷たいぞ。もしかして、これか?」
首の後ろへ手を持って行き、髪を流す。彼は髪を結っていなかった。結っていない髪は風丸の持つもう一つの姿を連想させる。
「髪……さあ、まとまらないんだ。ほら、こうふわふわとして」
手で髪を結ぶ仕草をする風丸。風は吹いていないのに髪の先が浮いていた。
「あれのせいだよ、エイリア石」
「エイリアっ?もうないはずだろう?」
予想通りの反応だったのか、口の端を上げる風丸。
「あるよ、そこに」
胸の中央を軽く手で叩き、円堂を指差す。
「円堂の心の中にさ」
「俺の、心?」
「エイリア石の力を持った選手たちと戦ってきた円堂の心には、強かった記憶が色濃く残っている。円堂は力を求め、俺の助けを求め、やって来たんだよ」
エイリア石と風丸――――二つの存在に違和感の真実を悟る。彼は風丸であっても普通の風丸ではない、ダークエンペラーズの風丸(以下DE風丸)なのだ。
「やって来たって……どこからなんだよ」
「言ってもいいのか?はは……それより、明日から特訓だ。今年もフットボールフロンティアを勝ち抜こうぜ」
DE風丸が笑えば風が吹き、思わず閉じた目を開けば彼はいなくなっていた。
「風丸……一体、どうして……」
円堂はDE風丸が頭から離れず練習は身に入らないと判断し、切り上げて帰宅する。食事や風呂の時も、どうして彼が現れたのか不思議で考えてばかりだった。けれども布団に入った時に、疑問は不安に変わる。夢の中では風丸が撃たれて倒れる瞬間が何度も繰り返され、うなされた。
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