ひんやりと涼しい、静かな空間に食器の音が響く。
練習を終えた裕太は金田と共にケーキ屋へ赴いていた。この店は駅から離れているせいか、雰囲気が落ち着いており、隠れたグルメスポットとなっている。
「不二は柳沢先輩か。俺は部長から」
二人席に向かい合い、先輩に誘われた話題をしていた。
「ごめん。カレーの方が良かったか」
申し訳なさそうな裕太に金田は首を横に振る。
「ううん。こっちの約束の方が先さ。それに俺、ここのケーキ食べてみたかったし」
「え?」
「だって不二、ここが美味しいって何度も言っていたじゃないか。あれだけ主張されたら気になるよ」
「そんなに言ってたっけ」
「うん」
裕太は言葉もなく、記憶を辿って赤面した。
「不二があれだけ言うほどあるよ。美味しいね」
裕太の口元が笑みを描いた。
ケーキを食べ終わると、金田は本題とばかりにテーブルの上で手を組み替える。
「不二。話があるんだろう」
「ああ」
紅茶を一口分含んで喉を潤し、裕太は語り出す。
「こないだ。兄貴から電話があったんだ」
金田は無言で頷き、相槌を打った。
先週。裕太の住むルドルフ学院の寮に、兄・周助から電話がかかってきた。
「元気?」
兄の声はいつも通り過ぎて、裕太は言い忘れたものをまた忘れてしまう所だった。
「兄貴、おめでとう」
「どういたしまして」
受話器越しから喉で笑うのが聞こえる。
兄の所属校、青春学園は全国優勝を果たした。裕太や他ルドルフ選手も観戦をしに行き、その中でも裕太は青学の超新人の記憶復活荒行事に協力したものの、閉会式終は兄に声をかけずに帰って来てしまった。なので、今初めての祝いの言葉を告げた事になる。
「あの日は家に帰って来てくると思っていたのにさ」
兄はいかにも残念そうな声を出してみせる。
「ごめん。なんかさ、胸がいっぱいになっちゃって」
あの日、あの奇跡の瞬間。裕太は輝ける希望と壮大な目標を得て、なんとも言えない気持ちになった。恐らく、会場に来ていた誰もが抱いた思いだろう。その上、兄の嬉しそうな様子を見てしまえば、言葉は掻き消えてしまった。こうして落ち着いたからこそ、言えたというものだ。
「裕太。本当は直接会って言いたかったけれど、聞いて欲しい」
兄の声色が張り詰めたものに変わる。
「わかった」
受話器を持ち替え、耳を澄ます。
「越前はアメリカへ行ってしまったんだ」
どくん。身体の体温が一瞬奪われたような感覚に陥る。
越前がアメリカへ。これはただの旅行ではないだろう。
「いつ?」
声が裏返りそうになりながらも問う。
「全国大会後から三日後……かな」
「そっか……」
この気持ちをどう表現すれば良いのかわからない。恐らく兄も同じ気持ちだろうと裕太は思いたい。
直接会わなくて正解だった。なにを言えば良いのかわからないのに、どんな表情をすれば良いのかなど、さらにわからないのだから。
「気まずくなったけれど、兄貴が上手いように話題変えてさ、終わったよ」
はー。裕太は長い息を吐いた。溜め込んでいたものを吐き出せたせいか、すっきりしている。
「不二」
「うん?」
「残念だったね」
「うん……」
項垂れるように裕太は頷いた。
裕太にとって目標はあくまでも兄の周助。だが、兄や天才などという劣等感から解放してくれたのは越前との試合があったからだ。すぐに追いつけるなどとは到底思っていない。だが高みを目指し成長した姿を、いつかあの超新人の目に焼きつけてやりたい思いがあった。まだまだだね、などと言わせない程までに。
裕太だけではない。同じ時代に生まれたものとして、越前は行き着く先の夢の象徴のようなものだろう。
「越前くんと勝負していた不二は楽しそうだった」
金田はくすぐったそうに肩をすくめてみせる。
「今でもよーく覚えている」
「そ、そう」
裕太もなんとなく、くすぐったくなってくる。
「たとえ越前くんが行ってしまっても」
裕太の顔を見据えていた金田の瞳が逸れた。けれどすぐに戻してくる。
「不二にはあんな風にテニスをしていて欲しいな。これからもさ」
「なんで?」
つい聞いてしまう。
「なんでって。元気が出るんだ。俺も頑張ろうって。だったら」
照れ臭そうに答える金田はすぐに話題を変えようとした。
「どうして俺にお兄さんとの話を俺にしてくれたんだい」
「なんでだろう」
真顔で言う裕太。
「観月さんは知ってそうだし、柳沢先輩だったら残念がってくれる気がする。他の先輩もそうなるかもな。金田なら……」
「なら?」
「こうして面と向かい合える気がしたんだ」
「他の人とでも出来るでしょ」
嫌な言い方をしてしまう。
「それはそうなんだけど。そうじゃなくてさ」
「別に、いいや」
回答に悩む裕太に金田は気にしない素振りをした。
「嬉しかったから、聞きたくなっただけだから」
そう言って、残りの飲み物を飲み干す。
後は簡単な雑談をしてから店を出た。
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