夢から覚めれば変わらない日常が待っている。
 まじないのような、願いのような、思いを込めて瞼を閉じるのだ。



ありがとう



 パチパチと、火のついた薪が音を立てる。闇に浮かぶ、ぼんやりとした明かりを囲み、旅人達は休息を取っていた。アルベルトをリーダーとした一行は、日が沈む前までに町へは着けず、今夜は野宿をする事となった。交代で番をして、他の仲間は眠っている。
「ん…………」
 アルベルトは横で人が動く気配を感じて目を覚ます。横を見ると、ファラが座って何かをしていた。目を凝らすと裁縫をしているようであった。
「ファラ?」
 婦人の前だと欠伸を噛み殺し、彼女の名前を呼ぶ。
「あら、起こしちゃった?」
 身を起こしたアルベルトを見て、くすくすと笑う。膝の上に乗せて置いた物を避けると、そっと彼の髪へ手を伸ばす。
「寝癖、立ってるよ」
「こ、これは、元からの髪型です」
「そうだった?ごめんごめん」
 悪戯っぽく肩を竦めて見せた。


「ファラが今、番をしているのですか」
「ううん。当番さんは様子見で散策してるよ」
「持ち場を離れてるのですか」
 眠いのか、規律に厳しいのか、アルベルトの眉にしわが寄る。
「あたいが起きているから良いって言ったの」
「そうでしたか。ファラはどうして起きているのですか」
「やり忘れて事思い出して」
 そう言って、避けて置いた物を、また膝の上に乗せた。それは道具袋であった。
「ほら、ここ見える?解れちゃっているでしょ」
 角を持って、アルベルトに見えるように近付ける。
「縫っておこうと思ったの」
「ファラ」
 はぁ。アルベルトを額に手を当て、息を吐く。


「明日は早いです。縫うのは後にして、休んで置いた方が良いですよ」
「………………………」
 ファラの口元が僅かにきつく閉められた。
「今日の内に、やっておきたいの」
「しかしファラ、身体に悪いですよ」
 アルベルトは諭す。
「ちゃんと休むから。これは終わらせたいの」
「ファラ」
「駄目だったらっ」
 口調を強くするファラに、アルベルトは驚いた。


「明日、何が起こるかわからないでしょ」
「ファラ?」
「明日、来ないかもしれないでしょ」
 声が、僅かに震えているように聞こえる。
「どうしたのです?ファラ………私に教えてくれますか?」
「アルベルトにはわかんないよ」
 感情が高ぶっているのに気付き、ファラは視線を避けるように横を向く。
「なぜ私にはわからないのですか」
「お金持ちの…………貴族のアルベルトなんかにはわかんないよ」
 膝の上の道具袋を、スカートと一緒に握った。
「貴族にはわからない事なのですか」
「そうだよ。その日暮らしをしていた南エスタミルの貧民の事なんてわからないでしょ。何があるかわからないの。お金が払えなくなったり、突然家を追い出されるかもしれない。病気にかかったら治せないかもしれない。屋根の下で安心して暮らしていたアルベルトには、想像も出来ないでしょ」
「そう…………ですね………。そうかもしれません」
 沈んだアルベルトの声に、言い過ぎたのかもしれないとファラは横目で彼を見る。
「昔の私だったら、そうでした。私も突然、家と家族を失った身ですから。今でも思うのです。目を開ければ、元の生活に戻っているのかもしれないと。逃げ出したいという訳では無いのです。失い、取り戻せないものを、引き留めていたいだけなのかもしれません。しかし、それでもファラから見れば、私は甘いのかもしれませんね」
「ごめん」
「良いのです。それにファラは私の恩人なのですから」
「え?何それ?」
 ファラはきょとんとした顔になる。いつの間にか、身体を彼の方へ向けていた。
「どうすれば良いのか、彷徨い歩いていた私に“有難う”と言ってくれた言葉。私は自分を取り戻した気がするのです」
「あれは、アルベルトがあたいを助けてくれたから…」
「同時に、私も救われたのです」
 熱の篭った瞳で、力強くアルベルトは断言する。
 焚き火の熱か、顔が熱くなるのを感じた。しきりに前髪をいじり、ファラははにかむ。


「あたい、知り合い以外から感謝された事が無いから、照れるよ」
「私達は知り合いでは無いのですか」
「そういうんじゃなくて。あーもー、嬉しいから、それ以上は言わないで」
 道具袋をアルベルトの方へバタバタと扇ぐ。針が刺さっているので危なっかしい。
「そうだファラ」
 袋を捕まえ、意見する。
「私も袋を直すのを手伝います。そうすれば時間はかからなくなると思うのです」
「でも、これは1人でやるものだし」
「何でも言ってください。お手伝いします」
 さすがにアルベルトの熱意には、敵うはずも無く、ファラは押されてしまう。
「わ、わかったよ。じゃあ火が心配だから、木を足してくれないかい」
「はいっ」
「皆、起きちゃうよ」
 唇に人差し指を持ってくる。
「そうでした」
 手で口元を覆うアルベルトと目を合わせ、2人は声を立てずに笑った。










アルベルト、ファラの名前呼びすぎ。
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