ショコラ
夕闇に染まる深い森の中、轟音が鳴る。
そしてそれを中心に、多くの鳥が羽ばたいていった。
「ふう」
冒険者グレイは愛用の刀を一度振った後、鞘に納める。彼のすぐ隣には、大きな魔物が倒れて絶命していた。先ほどの音は、この魔物が倒れた事により、起きたもの。グレイは冒険を経て、腕をも上達させていったのだ。
「一丁あがり」
魔物の巨体を挟んで、グレイの連れの魔術師ミリアムは勝利を喜ぶ。魔物との戦いに、彼女の術も一役買った。
「あ」
ミリアムは目を瞑り、鼻をひくひくとさせる。
異形の生物の血の匂いに混じって、甘い食欲を誘う香りが近い場所から漂う。
「そろそろみたい。グレイ、戻ろう」
「承知した」
二人は魔物の身体をぐるりと回って合流すると、他の仲間たちのいる場所へと戻っていった。
他の仲間たち――――ガラハドとディアナは今夜の食事当番であり、料理を用意してグレイとミリアムを待っている。
焚き火の煙と匂いを追って仲間の姿が目に入ると、ミリアムは小走りで駆け寄った。彼女の素早さにグレイは苦笑するが、満更でも無い穏やかな表情を浮かべる。
「いい匂い!今日はなに?」
「献立はディアナが考えてくれた」
ガラハドの言葉に、ディアナが小さく頷いた。彼女は鍋で何かを煮込んでおり、そこからミリアムの気になる香りがする。
「チョコレートを煮込んでいるんです」
「チョコレート?溶かしちゃったの?」
ミリアムは目を丸くして“もったいない”とでも言うかのような顔になった。
鍋の中を覗けば、茶色いドロドロとしたものが煮立つ。チョコレートと言われれば、確かに香りは特有のものだとわかってくる。
「こうして溶かして温めたチョコレートに、パンや果実を絡めて食べるの。チョコレート・フォンデュです」
「こんな風にな」
ガラハドは皿を仲間が取りやすい場所へ持っていく。切り分けたパンや果実が載せられていた。
「美味しそう。ねえ」
ミリアムは後ろを見上げると、ようやく追いついたグレイと目が合う。
「そうだな」
無表情だが、興味を示している事は旅の仲間たちはわかっていた。
「いただきまーす!」
焚き火を四人で囲み、夕食を始める。空は闇の色に染まり、星が煌いていた。
「どれどれ」
さっそくミリアムはパンを一摘まみして、鍋の中のチョコレートに絡める。
「熱いので、気を付けて下さい」
「大丈夫だって。熱っ」
「ほら、言わんこっちゃない」
「うっさいわねー」
いかにもほれ見た事かとガラハドに言われ、ミリアムは口を尖らせた後、絡めたものを食べた。
「甘くて温かくて美味しーい!」
「そうか?」
ミリアムの感想を聞いた後、グレイも果物を取って鍋の中へ持っていく。
「何よあたしは毒見?」
「お前の反応はわかりやすいからな。ふむ、美味い」
視線は鍋に向けたまま、グレイは言う。
「ディアナ、好評なようだぞ」
グレイたちが談笑を交わす傍らで、フォンデュを摘まみながらガラハドが笑いかける。
「良かった。甘い物は疲れが取れると思って。チョコレートが手に入った時に思い出したんです」
焚き火を眺めるディアナの瞳は閉じられ、開いた中に僅かな闇を含んだ。
「フォンデュは良く家族と食べました。アルベルトは席を立ってまで果実を取ろうとして、何度言ってもやめなくて」
「……………………」
じっとガラハドは彼女の話に耳を傾ける。
「皆、好きでした。私も、好きでした。良い……思い出です」
「良い思い出なら、そんな顔をするな」
ぼそりと、彼は呟く。
「そう、ですね」
ディアナは沈みかけていた顔を上げ、仲間たちを眺めた。思い出の中の家族は笑顔に囲まれており、今の仲間たちも笑顔に溢れている。形は変わっても、彼女は笑顔の中にいた。失っても、終わってはいない。彼女の瞳に小さくも力強い炎が灯る。
「朝も早いし、力をつけなくては」
やる気を見せて食べ物を口へ入れるが、熱さにぎゅっと目を閉じる。
「ディアナ、気を付けろ」
「わたくしとした事が」
涙目になった彼女の口元は綻んでいた。ガラハドと目が合うと、彼はくすくすと笑う。
「どうしました?」
「口元に付いているぞ」
自分の口の横を指して、ディアナに知らせてやる。
「どこですか?」
「ここだ、ここ」
「ここじゃわかりません」
「ほら」
適当な綺麗な布を取って、彼女の口元にそっとあてた。あてた範囲が広かったのか、口紅も少しついてしまう。
「すまん、紅が」
「それくらいなら」
「いや、ずれて……」
「え?」
パチクリと瞬きするディアナの口紅は布をあてたせいで、擦ったような跡がついてしまった。
「ガラハド」
怒った素振りを見せるディアナだが、あくまで振りだというのは伝わってくる。
「すまないすまない」
「仕方がないですね」
二人は同時に微笑んだ。
笑顔を交わす中、心の安らぎを感じていた。
まるで甘く、優しい、チョコレートのような。
くさかったですかそうですか。
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