宿に一晩泊まった後の早朝、ガラハドは受付の場所でグレイとミリアムが来るのを待っていた。
リズムを作ってグレイが階段を下りてくる。
挨拶よりも先に出た言葉は
「ミリアムを怒らせた。ガラハド、何とかしてくれ」
という、勝手極まりない人任せな頼み事であった。
機嫌
いきなり私指名か!?
一体何をした!
お前が何とかしろ!
まず朝はおはようだ!
言いたい言葉が次々と浮かび、口を開こうとした時、ミリアムがやって来た。
わざと足を鳴らし、口の端は曲がっている。グレイの話す通り、怒っているようだ。しかも機嫌を直すにはかなり困難なように見えた。
「ミリアム…お、おはよう」
恐る恐るガラハドは声をかける。
「おはよう」
ぼそりとミリアムは呟く。
「随分、機嫌が悪そうだな」
当たり障りの無いように、怒っている理由を聞こうとした。
「うん、グレイがね」
やはりグレイか。ごくりと喉が鳴った。
「あたいの香水の瓶を割ったのよ」
「香水?あの奮発して買ったというアレか?」
「そう」
ミリアムはムッとした顔で頷く。
受付の場所で話し込んでも邪魔になるので、一行は外へ出て、歩きながらガラハドはいきさつを問う事にした。
「グレイ、わざとでは無いのだろう?」
グレイを横目で見て、ガラハドは問う。ミリアムは顔も見たくないらしく、1人先頭を歩いていた。
「……………わざと、じゃない」
間を作ってグレイは応える。その間に嫌な予感を感じずにはいられない。
「どんな物か、少し興味が湧いただけだ」
それが駄目なんだよ、それが!
思わず心の中でガラハドは突っ込んだ。
「そもそも、グレイとミリアムは別室ではないか」
言ってしまった後で、入り込んではいけない事を聞いてしまったような気がして、顔が熱くなる。変な汗も出た。幸い、気付かれてはいないようだ。
「忍び込んだ」
どこまでお前は絶対自由なんだ!
またもや心の中で突っ込まずにはいられない。
「普通に見せてくれ、では見せてくれないような気がしたのでな」
グレイはガラハドを見た。同意を求めるような視線を感じる。
その顔は“俺、ちょっと賢くないか?”と書かれている気がして、呆れてしまう。
「ミリアムに気付かれて、瓶を落としてしまったんだ。ヘルファイアを唱えられたが、避けた」
その声色に、自慢のようなものが見えて、今日は始まったばかりだというのに疲労が圧し掛かる。避けられて凄いですねなどと、常人が褒めるはずもない。グレイの性格にはついていけないものがあった。こうして共に旅をしているのは、ほぼ腐れ縁と言っても良い。
ガバッとミリアムが振り返り、捲くし立てる。
「眠っている時に、何か物音がすると思えばグレイが荷物を漁っているのよ!?大切な香水を割られるし、あたい怒って当然よねっ!ねっ!?」
息を吐いて言い終わると、また背を向けた。
怒るというか、もはや不法侵入やワイセツの罪で、然るべき場所へ連れて行っても良いのではないかと、神に仕える聖戦士は思う。けれどそこで怒るだけで済むのは情なのだと、しみじみとする。ガラハドも少しずれていた。真の常人とは、そういないものである。
「ん?避けたヘルファイアというのはどうなったんだ?」
ガラハドの質問に、グレイとミリアムの眉がピクッと動いた。
「宿を出てから早歩きのように感じるのは、気のせいか?」
「「気のせい」」
声を揃えて即答する。ガラハドは眩暈を覚えた。
ああ、エロールよ!お許し下さい!
胸に手を当てて目を閉じ、神に懺悔した。彼らに壁を弁償する金などは無く、このまま素知らぬ顔で逃げるしかない。ガラハドも共犯者の1人となった。
「グレイ」
グレイを肘で小突く。
「代わりの香水を買ってやったらどうだ」
「同じ香水を買う金は無いからな…」
顎に指を当てて、グレイは考え込む。
「ミリアム、それで機嫌を直してくれないか」
ガラハドがミリアムの背中に話しかける。
「香水をいじって落とすような男に、選ぶセンスがあるとは思えないよ」
チラリと後ろを見て、言い捨てた。最もな意見で、ガラハドは言い返す言葉も無い。
「俺に任せろ」
グレイの瞳が、ギラリと光る。その自信はどこから来るのか、仲間達にもわからない。だが。不思議と信じられるものを感じていた。
「ロレンジの香水はどうだ」
「ロレンジ?」
ミリアムの大きな帽子が揺れる。
「ロレンジの香りが好きだと言っていただろう」
「あたい、そんな事言ったっけ?」
「ああ、覚えている」
グレイはこくりと頷いた。
「ふうん……じゃあ、それで良いよ」
背を向けているので表情は見えないが、もう怒ってはいないようだ。
「約束」
腕を軽く上げて、肩の上に手をチラつかせ、小指を動かす。
安堵するのも束の間で、遠くの方から宿屋の店主の怒声が青空を伝って聞こえて来た。
絶対自由のグレイは永遠の少年。
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