願い
「クローディア」
オウルは幼いクローディアを見下ろした。
木漏れ日が、2人の姿を神秘的に輝かさせる。魔女オウルの一声は迷いの森全体に振動し、それは楽器を奏でているかのようであった。
杖を取り出し、クローディアの目の前にかざす。
「良い子にしていた褒美に、何か願い事を叶えてやろう」
「ほんとう?」
クローディアは嬉しそうに微笑み、喜んだ。
「ああ。何でも願いを叶えるこの杖で」
杖を小さく回し、聞いた事のない言葉を低い声で呟く。
「ただし」
杖の動きを止めた。
「一度だけ」
「いちど?」
オウルを真っ直ぐに見上げて、聞き返す。
「一度だけ。良く考えて、願ってみよ」
「うー」
後ろへ下がったかと思うと、適当な木の後ろに隠れて、顔をチラチラと覗かせる。
「どうした」
「まって、オウル。わたしよくかんがえる」
「おお、そうか。良く考えるのだぞ。一度だけだからな」
「うん」
頷いてみせると、森の奥の方へ駆けて行った。
オウルが耳を澄ますと、動物達に相談しているクローディアの声が聞こえる。庵の中へ入り、紅茶を啜った。くつろいでいる間も、まだクローディアの声を聞き続ける。引き受けたバファルの皇女は、いつしか実の娘のような存在となっていた。大切な身内、愛すべき家族。
紅茶のカップに手を添えると、じんわりとした熱が伝わってくる。熱いものには、いつか冷めゆく時が来る。娘とは、いつか離れる時が来る。手の届かぬ場所で、運命と戦わねばならないのだ。悲しみ、傷付く事だろう。
オウルは願う。未来に負うであろう娘の悲しみが、どうか癒えるようにと。
数年後。クローディアは美しい女性へと成長していた。
迷いの森を抜け出し、各地を旅している。傍らには1人の男性がいた。バファル親衛隊のジャンである。皇女と騎士は運命によって出会い、一度は離されたが、再び出会い、共に行動をするようになった。
クローディアの意見で、森の中を通って目的地へと向かっていた。ふと彼女が足を止めると、同時にジャンも足を止める。
「思い出したわ」
ジャンの方を向き、古びた杖を取り出す。それはオウルの形見であった。
死期の近いオウルに呼ばれ、看取った後に受け取る事にしたのだ。
「この杖は、不思議な杖なのよ」
そう言って、杖をジャンの目の前にかざす。彼は目を白黒させるばかりであった。
「一度だけ、何でも願いを叶えてくれるの。オウルが言っていた」
「それは凄いですね。クローディアさんは何を願ったのですか?」
「私?」
驚いた素振りを見せるが、すぐに落ち着いた表情に戻り、ゆっくりと杖を下ろす。
「願わなかったの」
目を細め、地を見つめた。
「一度だけだからって、良く考えたの。みんなにも相談したの。考えて、相談して、考えて……いつの間にか、忘れてしまっていた」
「そう、なのですか…」
我が事のように、ジャンも顔を曇らせる。
「ねえ」
クローディアは一度目を瞑り、開いた後、ジャンの顔を見上げた。
「ジャンは、何を願いたい?」
「私は、ですねぇ」
上を見上げ、考える素振りをしたかと思うと、すぐに戻した。まるで願いなど初めから、決まっていたかのように。
「クローディアさんが、元気になりますように」
そう言って、微笑んだ。
クローディアはオウルを失い、出生の秘密を知り、悲しみ、悩んでいた。たった一人の育ての親を失った悲しみは、計り知れないものであろう。バファルの皇女という運命も、バファルの親衛隊であるジャンは彼女の選択を待つ事しか出来ない。踏み込めぬ場所を前に立ち尽くす彼が願うのは、ただ1つ。
彼女の悲しみが、どうか癒えてくれる事であった。
「なによ」
クローディアは不快を露にし、ジャンを睨みつける。
「こんな時、だけ。冗談は下手だし、面白くないし、言って欲しい時に言わないし。最低、だわ」
喉が絡まり、上手くいう事が出来ない。目の奥が染みて、潤んでしまう。
「馬鹿、ですね。あなたの気持ちが見えたら、良いのに」
一歩大きく前に出て、触れるようにそっとクローディアの後ろ髪に手を添える。ジャンの胸がクローディアの鼻に付かない所まで、彼女を抱き寄せた。
ジャンの温もりと、顔を見られずに済むという安心感に、クローディアの胸は温かくなり余裕が生まれる。
「願い事、1つ浮かんだわ。ジャンが私をさん付けしませんようにって」
「クローディアさん、それは…」
「2人とも馬鹿ね。もっと大きな事を願えば良いのに」
顔をジャンの胸に埋め、両手を彼の背に回した。
オウルの願い、クローディアの願い、ジャンの願い。
遠くもあり、近くもある未来に、叶う日が訪れる可能性を秘め、杖にはめられた宝玉は何年の月日を経ても輝きを失わず、煌きを灯していた。
ジャンクロはバカップルで良い。私が許す。
あと杖に関しては捏造設定でも、オウルの子供だましでも、どちらでも捉えて頂いて構いません。
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