知ってしまった秘密。
 慣れ親しんだ地と大切な人との別れ。
 何が本当で、何を信じれば良いのか。
 どこへ行けば良いのか。何を成せば良いのか。


 運命の荒波は残酷で、身も心も押し流そうとする。


 耐えるだけの未練は無く。
 かといって流されて消えてしまうには悲しすぎる。
 揺れて乱され、引っ掻き回された心は停止を覚えた。


 もう何もしたくは無い。もう全てが嫌になった。


「私の事は放っておいて」
 そう一言残し、クローディアは宿屋の二階の部屋に一人篭ってしまった。
 皇女という運命。オウルとの別れ。森という故郷に居場所の無くなった彼女は、全てを放り投げる。
「クローディアさん」
 呼びかけるジャンが見た彼女の瞳は暗く、何も無い空虚を映していた。



開かずの扉



 クローディアが閉じ篭って五日が過ぎた。
 ジャンは朝、昼、晩の三回、食事を持って扉に話しかける。
「クローディアさん、お食事です。良かったらお召し上がり下さい」
 食事の乗ったトレイを扉の下へ置き、前の晩の分のトレイを持って階段を下りていく。
 クローディアは必要な時にしか扉を開かず、仲間には姿を見せない。食事は食べてくれているようで、食器は綺麗に空になっている。健康に別状は無い。ジャンはそれだけでも安心していた。


 宿の一階のロビーは広く、仲間のグレイがソファにどっかりと座っており、下りてきたジャンと目が合う。パーティーはブラウとシルベンが抜けてしまったので、クローディア、ジャン、グレイの三名のみだった。
「おい」
 しかめた顔で睨むグレイ。
「クローディアはどうした」
「大丈夫。完食だったぞ」
 空になった食器を見せてやる。
「そういう事じゃない」
「そうだったか?」
 とぼけて愛想笑いを浮かべるが、効くはずも無い。
「もう五日だ。いい加減にしろ」
「グレイ。クローディアさんは……」
「お前が出来んというのなら、俺があの扉を叩き壊してやる」
 横にかけた刀を取り、立ち上がった。
「待て!待ってくれグレイ」
 ジャンは慌ててグレイを押し止め、ソファに座らせる。
「ふん」
 仕方が無いというように、息を吐く。
「知らんぞ」
「大丈夫。あの方はきっと」
「違う。ジャン、お前が倒れても知らん」
 グレイはまた刀を持って立ち上がる。だが彼の向く方向は階段ではなく入り口であった。
 背を向けて、彼は口を開く。
「貯えも尽きるだろう。稼いでくる」
「グレイ」
 済まなそうにジャンは名を呼んだ。
「聞きたい。そこまでする価値のある国か?」
「俺の全てさ。バファルは」
「もう一つ。クローディアはお前にとって何だ?」
「わからないんだ。わからなくなったんだよ、グレイ」
 グレイは振り返ろうとするがやめた。
「俺はクローディアさんの悲しむ顔は見たくはない。だが俺はバファルの騎士だ。俺は」
「どうとでもなる。伝わるさ。最後、質問ではないが」
「ん?」
「ここはロビーだ」
「あ…………」
 背中越しでもジャンが顔を赤くする姿が容易に想像できる。
「行ってくる」
 宿を出るグレイの口の端は上がっていた。




 宿の部屋に一人きり。クローディアは床に座り、ベッドに頭を乗せていた。
 長く艶やかな髪が白いシーツに模様を描く。瞳はぼんやりとしており、気力は失せていた。
 何もしたくは無いし、誰とも会いたくも見たくも無い。
 なのに現実を繋ぐ扉は決まった時間に呼びかけてくる。
 声は一方的ではない。中にいるクローディアへ真っ直ぐに届いた。優しく、思いやってくれる声。温かさに満ちていた。
 持ってきてくれる食事も、栄養と好物を考えてくれている。
 声はあまりにも現実であった。
 運命との直面の存在そのものであった。
 逃げたいのに、呼びかけてくるのだ。性質が悪い。声もわかっているのだろう。憎たらしいくらいにめげないのだ。


 期待には答えられない。諦めて欲しい。何度思った事か。
 その一方で、呼びかけてくれるのを待っている自分がいる。それもそれで憎たらしい。


 少し眠って意識を覚ますと。
 トントンと、扉を叩く音が聞こえてきた。小さな音であった。その音に紛れ、食器の揺れる音が鳴る。
 もしも眠っていたら、起こさないようにそっとしておいてくれるような音。
 次に聞こえるのは人の声。一番に言う言葉は決まっているのだ。
「クローディアさん」
 ほら来た。クローディアはシーツに顔を埋めた。声は名前を呼んでくるのだ。
 次に続く言葉を想像しながら耳を澄ます。
「調子は如何ですか」
 気分は最悪だけど普通。
 心の中で答えた。
「あなたが立ち上がる事を、私は信じています」
「……やめ…………て」
 呟くがか細く、聞こえてはいないだろう。
「あなたがお望みなら、私は」
「やめてっ」
 クローディアの悲鳴に近い制止に、声――――ジャンは途切れる。
「やめません。私はあなたがお望みなら、剣にでも盾にでもなりましょう。命をも捧げましょう。お護りします」
「なによ私に助けられたくせに」
「……………………………」
「なによ一人だけで。そういうのはやめて。あなたが」
 いてくれるだけでいい。
 最後の方は声にならない。
「クローディアさん」
「夜には出るわ。支度を整えておいて」
「はっ」
 扉の前でジャンは敬礼をし、食事を置いて自室に戻っていった。
「…………う…………」
 声を堪えながら、シーツを握るクローディア。
 我慢していた涙がとめどなく溢れる。今の内に全て流してしまおうと思った。
 運命と、ジャンの意志と優しさの悲しみを、今の内に嘆いた。
「………………く………ぅ」
 長いまつ毛を涙が濡らし、頬と髪とシーツに滲む。
 きっと酷い顔をしているのだろう。それでも気にせずに泣いた。




 夜。涙に濡れた顔を洗い、旅の支度を整えたクローディアは扉を開ける。
 開けた先にはジャンが同じく支度を整えて待っていてくれた。
「久しぶりね」
 そう言うクローディアの口元は弧を描いており、ジャンは安堵して笑みを形作る。
「グレイもそろそろ…………。来ました」
 壁に寄り道を開けるジャン。外から戻って来たグレイがジャンの話を聞いて、階段を上がってきた。グレイはそのままクローディアの元へ歩み寄る。
「クローディア」
 呼ばれるままに、彼女はグレイの顔を見上げた。


「っ」
 クローディアは数歩よろけるようして後ろへ下がる。
 頬を押さえ、叩かれたのだと認識した。
「グレイ!」
 ジャンが叱咤する。グレイは鼻を鳴らし、彼を横目で見た後クローディアに言い放つ。
「お前は仲間に迷惑をかけた。当然の報いだ」
 背を向け、“行くぞ”と残して階段を下りていく。
「クローディアさん。グレイにはよく言っておきます」
 ジャンはクローディアの身体を支え、心配そうに頬を眺めた。
「いいの。あなたも怒って良いのよ。仲間……なんだもの」
「仲間でしたら…………頼って……下さい」
 目を細め、俯く。
「そうね。ごめんなさい」
 クローディアが下りる後ろを、ジャンは付いていった。




 宿の外に出ると、グレイが腕を組んで待ち構えていた。夜風が彼の髪を柔らかに揺らしている。
「遅い。よりにもよってなぜ夜だ。俺たちは昼間ずっと動いていたんだぞ」
「すぐにでも動きたかったのよ」
 しゃあしゃあとクローディアは言う。
「全く。勝手にも程がある」
「グレイ、お前には言われたくないだとよ」
 ジャンが口を挟んだ。
「行きましょう」
 先頭に立ち、クローディアは歩み出す。
「はい」
 返事をするジャン。普段の明るさ、それ以上に彼は夜の闇にも負けない輝きを醸し出していた。
「元気なことだな」
 欠伸を一つし、グレイも二人を追う。のんびりとした歩みに“遅い”と急かされる。


 クローディアの旅は再開し、運命はまた廻りだした。










実は一番初めに思いついたジャンクロ話です。
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