潮風がクローディアの長い髪をなびかせる。
一行はブルエーレ港から船に乗り、ヨービル港を経由してアルツールへ向かおうとしていた。ここは船の上。ブルエーレとヨービルの間を流れる海の上であった。
潮風
「……………………」
クローディアは忙しなく甲板の上を歩き回っては、手すりにしがみつく行動を繰り返す。顔色は蒼白であった。船酔いである。旅には慣れてきたものの、まだ船に乗る事は慣れない。大陸を行き来するなど、冒険をするまでした事は無かった。
初めて船に乗った事は苦い思い出だ。乗っている間ずっと吐きっぱなしで、当時ガイドとして共に旅をしていたグレイに背中をさすってもらった。誰の手を借りずとも冒険は出来ると思っていたら、この様であった。惨めであったと思う。そして今も惨めなままだと自嘲する。
「クローディアさーん!クローディアさんいますかー!あー!いた!」
ジャンの大声が頭にガンガンと響く。駆け寄ってくる足音に、さらに苦痛が増す。
「…………なに……?」
ギギギ……首を動かしてジャンを見た。声を出すのが精一杯であった。
「もうすぐヨービルに着くそうですよ!」
「そう……………」
良かった。助かる。蒼白のままでぎこちない笑みを浮かべる。
「あの……大丈夫ですか?」
「…………え?」
思わず聞き返してしまう。ジャンが中腰になってクローディアの様子を伺ってくる。ぼーっとしていたので気付かなかった。
「船、苦手ですか?大陸を回って行くコースの方が」
「すぐ向かい側にあるのよ。船で行った方が早いに決まっているじゃない」
これ以上喋らせないで。汗が浮かんだ。
「吐いてしまった方が楽じゃないですか?」
ジャンの大きな手がクローディアの背中に回る。さすろうとしてくれているのだ。しかし、クローディアにとっては迷惑な事であった。これでは冒険の初めと何ら変わりないではないか。
「やめなさい。もうすぐ着くんでしょう?」
「いえその………もうすぐと言ってもその………」
「どっちなのよ」
「………ヨービルが見えてきました。数分でしょう。降りる準備は私がしましょうか?」
「自分で出来るわ」
「そうですか…。私、ブラウとシルベンを呼んできますね」
そう言ってジャンは甲板を下りていった。音を立てないように、静々と歩く。
クローディアは膝を突いて、手すりを額に付けた。金属のひんやりとした感触が、心を落ち着かせる。またカリカリしてしまった。ジャンの気遣いを、どうして突っ撥ねてしまうのか。愛想を尽かされてしまう事ばかりしているのに、愛想を尽かされる事を恐れている。なんと矛盾したものか。きっと、ジャンに甘えているだけなのだろう。
「私が、ジャンに?」
口に出してみて、なぜそんな事を思ったのかを思い返してみる。よくわからない。
耳の後ろに髪をかけて、酔っていて弱気になっているだけなのだと自分に言い聞かせた。
ヨービル港へ到着し、地に足を付けるとホッとするが、気分の悪さはそのままであった。シルベンがクローディアを心配して擦り寄ってくる。そんなに具合悪そうに見えるのか。鏡があったら見てみたいものである。
「少し休んで行きませんか?」
「先を急ぎましょう」
先ほどの反省はどこへやら。またジャンの気遣いをクローディアは突っ撥ねてしまった。
「荷物、お持ちしますね」
肩へかけていた鞄が軽くなる。それに対しては何も言わない。このカリカリする気持ちは自分にしているのだろうか。情けなくなった。
町の外を出て、街道を歩いた。クローディアは蒼白な顔を見られたくないと大股で歩く。さんさんと降り注ぐ太陽の光が眩しい。額から、こめかみから、汗が流れて顎に集まる。
「…………っ………」
何かに引っ掛かり、よろけてしまう。振り返るとブラウが服の裾を掴んでいた。ブラウの後ろには、心配そうにこちらを見るシルベンとジャンの姿があった。
「そうね………休みましょう」
頭を垂れて、折れる。
街道から離れた大きな木の下。幹に寄り掛かるように座った。帽子を取って扇ぐと涼しい。
「暑いですね」
隣に座るジャンが話しかけてくる。
「そうね、暑いわね」
クローディアも相槌を打つ。
「あの」
「なによ」
「私の事、嫌いですか?」
「……………え?」
声が、変な所から出た気がした。ジャンの言った言葉が思考を停止させる。反射的にジャンの方を向いていた。すぐに言葉が見つからず、悲しそうな顔でクローディアは彼を見つめた。
「………じゃない」
「え?」
よく聞き取れず、ジャンは聞き返す。
「嫌いじゃない。嫌いじゃ、ない」
ふるふると首を横に振って訴える。
「あーっ、良かった!」
ジャンはカラカラと笑って、幹に頭を付けた。安心したのか、声が大きくなる。
「私はジャンの事、嫌いじゃない。そう思っていたとしたら、それは誤解だわ……」
膝を抱えて俯き、ぶつぶつとクローディアは呟く。
「まだあなたと冒険を続けられるんですね」
「冒険、楽しい?」
チラリと横目でジャンを見た。
「楽しいですよ。クローディアさんは?」
「楽しいわ」
「そうですか。良かった!」
「…………少し、音量下げてくれるかしら……」
「え?何か言いましたか?」
耳に手を当てて問うジャンに、クローディアは何も言わず首を小さく横に振る。その口元は、綻んでいた。
もどかしい感じに。
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