森の中の木々を抜けると、川が見えた。
せせらぎ
「目的地にはまだ距離があるし、少し休んで行きましょう」
パーティーのリーダーであるクローディアはそう言って、荷物を下ろした。
「いやー、随分歩きましたね」
ジャンはブーツを脱ぎ、ズボンの裾を撒くって川の中に足を入れる。彼の真似か、ブラウも川の中に入った。シルベンは身を屈めて水を飲む。
「クローディアさん。水、気持ち良いですよー」
手を振ってクローディアにアピールした。ジャンの本当に嬉しそうな顔を見れば、様子はすぐにわかる。クローディアは苦笑して、靴を脱いでほとりに座り込み、素足を水に付けた。
「よっ、と」
ジャンはクローディアの隣に腰掛ける。4つの足が並んだ。
「少しと言わず、もうほんのちょっと、休んでいきませんか」
クローディアの足の先に視線を落として言う。水の中でも赤くなっているのが見えた。
太陽の光が水面に反射し、彼女の足の白さが浮かんで、ジャンの心臓がどきりと脈打つ。
「そうね、さすがに疲れたわ」
帽子を脇に置いて伸びをした。
「喉も渇いた…」
喉に手を当て、その手を川の中へ入れて掬い、僅かに溜まった水に口を付ける。今度は両手で掬って飲んだ。
「何?」
視線に気が付いて、クローディアはジャンの方を向いた。
「え?あ………いや、美味しそうだなって………はは」
いつの間にか見入っていたようで、苦しい誤魔化しをする。
「美味しいわよ」
「わ、私も飲んでみようかなー…っと」
飲むと言ったくせに、熱くなった顔を冷まそうと水をかけて顔を洗う。
「あ、魚」
「え?」
クローディアの声に、ジャンは顔を上げた。彼女の言う通り、魚が泳いでいた。
「ブラウは魚を獲るのが上手いのよ」
ブラウとシルベン、オウル、そして森の事を話す時、クローディアはとても嬉しそうで、ジャンも嬉しくなる。
「熊ですもんねぇ」
「………………」
失言であった。クローディアにとってブラウはただの熊ではなく友人なのだ。不機嫌な彼女の気配をビリビリと感じた。
「わ、私も川で魚を獲るのは、結構得意なんですよ。小さい頃は友人達と迷いの森まで行って………あ………」
また失言だ。ジャンは口を手で塞ぐ。
「知ってる。子供達がよく迷いの森へ来る事」
「………………」
口を塞いだまま、横目でクローディアを見た。彼女は川を眺めたまま続ける。
「あの森は大の大人でも迷うから迷いの森と呼ばれているのに、どうして来るのかしら。迷子保護も番人の仕事の一つだったわ…」
「そこです。大人でも迷うからですよ。あそこへは散々行くな行くなと言われてましたが、禁じられれば禁じられる程、興味が湧くのが子供でしょう」
「そういうものなの?」
「川遊びや虫取り、度胸試しもやりました。楽しかったぁ。でもいつの間にか行かなくなりましたね。そうして…」
「迷って、魔物に追いかけられたのね」
「はい。あの時は本当に助かりました」
「「……っふ……!」」
顔を見合わせて、2人で声を上げて笑った。
「思い出したわ、私もオウルが駄目って言って隠していたお酒を、内緒で飲んだ事があった」
「クローディアさんもやりますね」
「もちろん見つかって叱られたわ。わぁわぁ泣いて、シルベンが慰めてくれたの」
当時を思い出して、クローディアはシルベンの背中を懐かしそうに見つめた。その横でジャンは幼い頃のクローディアを想像する。
「そうだ」
ジャンはほとりに生えた草を一本抜き、舟を作って川へ流した。
「よく競争したものです」
「競争するのね」
流れて見えなくなった舟の方を向いて、クローディアは呟く。
「考えもしなかったわ」
同じように草で舟を作って流してみせる。いつも1人で遊んでいたので、考えもしない事であった。迷いの森で遊ぶ子供達の姿を、いつも木陰から見ていた。何をしているのかは遠くからでよく見えないけれど、とても楽しそうだったのはわかる。本当は一緒に遊びたかったかもしれないと、昔を振り返る。
孤独であったと表に出てから知った。少し心が物悲しい。じっとほとりを見つめていると、草と共に生えている花に目が行く。そっと優しく抜いて、編み出した。
「何しているんです?」
「冠」
ジャンが覗いてくるのも気にせず、黙々と指を動かした。
「私作れないんですよ」
「ジャンが作れたら、ちょっと気持ち悪いわ」
「そう言わずに教えてください。どうやって作るんですか?」
「まず、こうして」
「はぁ」
少しだけ、クローディアの方に身を寄せた。
「こうするの」
「ほー」
「でね、ここをこう…」
クローディアも良く見せようとジャンの方に身を寄せる。少しずつ、少しずつ、2人の距離が近くなり、密着していく。
「この順序でやっていくの。この続き、やってみて」
冠になりかけているものを渡され、ジャンはクローディアに教わったようにやってみせる。
「そうじゃない。良い?ここを………」
「………………」
2人は息を呑んだ。
「………………」
「………………」
指先が触れていた。
何かに引かれるように顔が向き合う。息がかかる程まで近寄っていたなど、今の今まで気が付かなかった。開かれた瞳に、互いの姿が映る。何かを言おうと薄く唇が開くが、何も言う事が出来ない。
愛しい気持ちが溢れる。好きで好きでたまらない。止め処なく溢れては湧き出す想い。もっと近付きたい、触れたいという気持ちが強くなって行く。
しかし、ジャンの理性がそれを引き止める。
「あー……こうするんですね」
視線を逸らし、冠に向けた。クローディアがじっとこちらを見てくるが、気付かない振りをした。彼女はきっと、とても悲しそうな顔をしているだろう。裏切られたと思われるかもしれない。なぜそうされたのか、きっと彼女はまだ知らない。
クローディアは帝国皇女、ジャンは親衛隊の一兵、この先は決して許されない行為であった。
愛し、愛され、それでも愛し合ってはいけない。2人は、愛し合ってはならない。
出会った時から決まっていた。名を教えられた時から決まっていた。
たとえ、一目会った時から、2人恋に落ちていても。それは許されなかった。
川は静かに流れ続ける。
せせらぎが、心を砕いていく音に聞こえた。
仲良しなのに…な2人。
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