「…………んんっ」
 低く呻いて、ジャンは目を覚ました。
 手の甲を額に当てて、息を吐く。昨日は羽目をはずして飲み過ぎてしまった。
 横目で部屋を見回すと、宿の壁と、端に置いてある旅の荷物が見える。ベッドはふかふかと気持ちが良い。だが朝を告げる鳥のさえずりは、早く起きろと急かしているようで、身を起こそうと肘に重心をかけようとした。


「?」
 何かが当たった気がして、確かめた時、ジャンの血の気が一気に引く。
 見慣れた長い髪に、見慣れた緑色の服……クローディアが眠っていた。ジャンの隣で、クローディアが眠っているのだ。
 冷や汗がどっと溢れ、震える手で布団を持ち上げ、自分の衣服に乱れは無いかを確かめた。緊張のあまり、指の感覚はほとんどない。幸い、無かったが、だからといってそれで済む話ではない。何をどうしてこうなったのかを、必死で思い返した。


 昨日の夜、ジャン、パトリック、テオドール、ラファエル、そしてクローディアは酒場で飲んでいた。テオドールとパトリックが盛り上がる中、クローディアはしきりに眠そうに眼をこすっていた。彼女は森にいた頃、早寝早起きの生活をしていたので、夜更かしは苦手であった。隅の方でちびちびとアルコールの高い酒を飲んでいたラファエルが、そんなクローディアの様子に気付いて、テオドールとパトリックの間に挟まれていたジャンを呼んだ。ラファエルと何かを話した気がするが、内容は覚えていない。ただ、酔った顔がさらに熱くなったのは覚えている。
 うとうと舟を漕いでいるクローディアを負ぶって、酒場を出た。月が綺麗な夜。足音だけが、耳に届いていた。彼女の部屋に行ってから、自分の部屋で眠った……と、思っていたのだが、この現実からしてこの記憶は間違っているらしい。そういえば、彼女の部屋には行ったが、彼女を下ろしたという記憶が欠けている。


 経緯はわかった。だがしかし、どうしたものか。ジャンはクローディアを見つめた。
 少女のあどけなさを残す、無防備な寝顔。安らかな寝息を立てている。柔らかな輪郭と、白い肌と赤い唇のコントラストに女を感じ、胸の奥から鼓動が突き出そうであった。美しく、愛しく、唯一の存在。僅かに触れている肩から伝わるぬくもりに、染みる何かを感じた。好きで、好きで、仕方が無い。泣きたくなるぐらい好きだった。男なのに、情けないかもしれない。けれど、情けなくなるほどまでに、愛おしかった。
 閉鎖された空間。ここには2人しかいない。彼女は今、俺だけの物。そう思うことぐらい、罰は当たらないだろう。


 コンコン。
 突然のノック音に、ジャンの肩は大きく上下する。
「ジャン、起きているか」
 ノックの主はパトリックであった。
「朝はお早いクローディア様が起きていらっしゃらないのだ。準備を整えて、受け付けの所まで来るのだぞ」
「は、はい!」
 裏返りそうな声で返事をする。
 クローディアが起きて来るはずが無い。隣で眠っているのだから。彼女の部屋を強行突破する前に、何とかせねばならなくなった。


「……………………」
 溜め息を吐いて、もう一度クローディアを見ると、ばっちりと目が合ってしまう。
「!」
 ジャンは目を丸くするが、クローディアは表情を変える事無く、彼を見つめていた。どうやら、さっきのパトリックの声で起きてしまったようだ。
「あの…………クローディア、さん………」
 ゆっくり、ゆっくりと、自分に言い聞かせながら、ジャンは事情を説明しようとする。
「眠ってしまったあなたを部屋に送ったはずだったのですが…………どうやら、下ろさずに自分の部屋に戻ってきてしまったみたいで………」
 しどろもどろではあるが、なんとか要点は言う事が出来た。
「ドジね」
 赤い唇が薄く開いて、呟きが漏れる。
「まったくです」
 ジャンは頭を下げた。


「どうするの?」
 クローディアは身を起こし、乱れた髪を整える。その時に偶然動いた足がジャンの足に当たり、心臓が飛び出そうになる。こんなにも鼓動を高鳴らせていたら、心臓に悪いような気がした。
「私なりに考えた事ですが」
 落ち着かないのか、しきりに髪をいじりながらジャンは言う。
「まず、私が部屋を出てパトリック様達の気を引かせます。その隙に、クローディアさんは戻ってください」
「そうね、それで行きましょう」
 こくりと頷いた。無意識にジャンの視線は彼女の衣服へ向いてしまう。寝ていたので、少々乱れているそれは色香を放っていて、顔が熱くなった。新たな面を見る度に、心を揺り動かされるものを感じた。
「で、では行って参りますっ」
 手を額へ持って来て敬礼をし、ジャンはベッドを降りて躓きそうになりながら、部屋を出る。


 1人になり、クローディアは膝を抱えた。顔がみるみる赤く染まっていく。
 目が覚めたら、すぐ隣にジャンがいて、心臓が飛び出そうであった。なんだか、いつもの彼とは違って見えて、色気すらも感じた。平静を保つ事だけで精一杯で、感情を表に出せる程、器用では無い。それは損なのだろうか。何か、リアクションを取れば良かったのか。今、思った所で遅いが。
「バカね」
 自嘲の言葉が、吐息混じりに零れた。









お互いにドキドキしていたら良いな。
Back