夜の赤



 アセルス一行はシュライクにある料理店で夕食を取っていた。
 酒が入れば浮かれて騒ぎ出す。最高潮に盛り上がり、仲間たちがジョッキを掲げて、もう何度目かの乾杯を行おうとした時、リーダーであるアセルスが立ち上がる。
 すると、時が止まったように仲間たちは動きを止めた。
「え………………?」
 固まる仲間たちを見回し、アセルスは顔を引き攣らせる。間が最悪だったようだ。
「ご、ごめん。私、先にホテルに戻ってる」
 変に声が通ってしまう。
「では、私も」
 白薔薇も席を立つ。
「良いよ、白薔薇は。ゆっくりしていて」
「ですが」
「良いから」
「そう、ですか」
 おじぎをするように彼女は席に座る。






 ホテルに戻ったアセルスは鍵を差し込み、今夜の自分と白薔薇の部屋の扉を開けた。
 中に入ってすぐにある、明かりのスイッチを押そうと手を上げるが、触れずに下ろして薄暗い部屋を歩く。月明かりが差し込む大きな窓を開くとテラスになっており、シュライクの町並みを眺める事が出来る。
 手摺りに腕を乗せ、その上に顎を置き、楽な体勢を取った。
「……………………」
 夜景をゆっくりと見詰める瞳は、ある場所で止まる。暗くても良くわかる、赤い屋根。アセルスの家だった建物だ。
 懐かしむ訳でも、振り返る訳でもない。ただ、目に映る時の流れを瞳に焼き付けていた。
「……………………」
 そうして、腕にこすり付けるように顔を伏せる。
 すると閉じられた闇の中で、微かにギターの弦の音を捉えた。
「あ」
 顔を上げ、聞こえた方を向くと、隣の部屋の照らすに見知った姿があった。
「よお」
 のんびりとした声で、軽く手を上げるのはリュート。なんとなく気恥ずかしくなり、アセルスは大げさに驚く振りを見せた。
「ここ、星が良く見えるな」
 片手に楽器を持ち、リュートは夜空を見上げる。
「そ、そうだね」
「前にもシュライクに来た時、この部屋にしたろう」
「そ、そうだっけ」
 手を後ろに組んで、つんとそっぽを向いた。
「ひょっとして、そっちの方が良く見えるのか?」
「ええ?」
 言い訳の言葉が浮かばず、詰まってしまう。
「行っても良い?」
「行く?」
 聞き返すアセルスの唇が、薄く開かれたまま硬直する。
 リュートは楽器を置くと手摺りの上に乗って飛び、アセルスのテラスへ着地した。乗った時によろけるのだから、肝が冷えてしまう。
「あまり変わらないなー」
 当たり前でしょう。心の内で言ってやった。
「赤い屋根だ」
 目ざといのか、痛い所を突くのが得意なのか、リュートは赤い屋根を凝視する。
「なに。どうかした」
「わ」
 僅かなアセルスの顔の曇りを逃さなかったのか、リュートは中腰になって彼女の横顔を覗き込んだ。


「どうもしない」
 視線を逸らすアセルス。根拠はないが、見透かされてしまいそうな気がした。
「そうかなー」
「そうよ」
「なんか、あるだろ」
「しつこい。酔ってるでしょう」
 夜風に混じり、微かなアルコールの匂いが鼻腔をくすぐった。思い返せば、食事の時にリュートは随分と飲んでいたような覚えがある。
「かもなあ。で、あれは何だ」
「……………私の昔の家」
 あまりにもしつこいので、答えてしまった。
「家?家って、家?」
 目を瞬かせて問うリュート。
「そう。昔、住んでいたんだけど、もう帰れないから」
「なんで」
「私が………。いいよ、人間のリュートにはわかんないんだ」
 突っぱねてしまえば、黙ると思った。だが相手はリュート。浅はかであった。
「またそう言う。半妖がなんだってんだよ」
「だから、リュートにはわかりっこないっ」
 つい口調が荒くなる。だが相手はリュート。びくともしない。
 あまり顔には出ないが、アセルスもアルコールを含んでいた。
「アセルスだって、俺の事わかんないくせに。俺は同じ人間の事さえわかんねえよ」
「どんなに苦しくったって人間は死ぬ。でも私は、ずっと変わらないまま、人間でもない、妖魔でもない、中間を生きなければならない」
「損だなー」
「そう、私は」
「ずっと生きているなら、もっと楽しく生きた方が良いんじゃないか」
「……………………」
 アセルスは拳を握り締め、俯く。
 それが出来たら苦労はしない。皆、リュートみたいにはなれない。
 口に出せたら楽になれるだろう。けれども、堪えなければ自分の中の何かが崩れてしまいそうな気がしたのだ。
「アセルスが苦しんでいるのはわかる。半妖はアセルスだけかもしれないけど、アセルスは一人じゃないだろ」
 肩に、リュートの手が置くのを感じた。
「なんとかなるさ」
 俯いていて彼の表情は見えない。けれど、笑っているみたいだった。
「ごめんなさい。少し言い過ぎた」
「俺の方もごめん。わからないけど、ごめん」
 顔をそっと上げると、やはり思った通り、リュートは笑っていた。
「じゃあ、俺戻るよ」
 背を向け、手摺りを掴むリュート。
「リュート」
「ん?」
「やっぱり。酔っていた、でしょ」
「さあなー」
 “お休み”を添えて、自室へ戻って行った。
 会話を終えると急に夜の寒さが肌を凍えさせる。戻ろうと振り向くと、そこには白薔薇の姿があった。


「白薔薇」
 名を呼ばれると、白薔薇は優雅に微笑む。
「戻っているなら、言ってくれれば良かったのに」
 部屋の中に入り、窓を閉めると口を尖らせた。
「お取り込み中に見えましたので」
「そんな事、全然無いから」
 ずかずかとベッドまで歩み、靴を脱いでシーツの上に転がる。
「アセルス様がお元気になられて、安心致しましたわ」
 枕の横に静かに腰を下ろす白薔薇。
「元気無いように見えた?」
「ええ」
「私は大丈夫」
「ええ」
 柔らかな笑みを浮かべる白薔薇の白い手がアセルスの頬に触れる。指は前髪、耳の横へと流れ、髪を撫でた。
 心地良さそうに、アセルスは半眼になる。
「お休み。白薔薇」
「お休みなさいませ、アセルス様」
 瞼を閉じるアセルス。今夜は良い夢が見られそうだった。
 彼女が完全に眠りに落ちるまで、白薔薇は髪を撫で続けていた。
 自分では治せぬ傷が、癒える事を祈って。










リュートならアセルスの悩みをぶっ飛ばしてくれるんじゃないかと。
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