屋根のある室内で休めたのは久しぶりだった。
 中に入れてくれた女は、白い肌と、浮き上がるくらいに真っ赤な唇とドレスが瞳に焼き付く。
 開かれた胸元も白いのに、骨ばり、痩せていたが、柔らかい乳房ばかりに目がいった。
「ほら、来て」
 湿ったベッドに乗りかかれば、鈍い音が軋む。
 引かれるままの少年の身体は、固まったままであった。
 幼き、あどけない顔は困惑して、愛想笑いの口元が糸で引っ張ったようにぎこちない。
「見て」
 女は長く細い小枝みたいな指を見せる。
 指よりも太く、はみだしそうな大きな指輪がはめられていた。
「綺麗、だね」
 少年は素直な感想を吐く。
「でしょう?でも、ね」
 半身を起こし、あぐらをかく女。足に引っ掛かったドレスは邪魔そうにベッドの外へ追いやった。
 ほら、と女は宝石をもう片方の手で覆う。
「宝石は、光がない場所では光らないのよ」
「本当だ」
 指の間から覗き込んだ。
「ねえ坊や」
 濡れた声で呼び、気だるそうに少年にもたれかかった。
「どんなに大きな宝石でも、どんなに着飾っても、光がなければ輝けないの」
 この町に、光はないわ。
 そう女が言う、彼女の後ろの窓に映る月を少年は見据えた。
 影の場所で女の手が少年の中心を布越しに触れる。
「あ」
 ぶるりと震えて、少年は目を瞑った。




 夜が明けても夜が待つ。行き場の無い、闇の底。
 痛みは全身を行き来して、広がって、貫いて、やがてどうでも良くなった。
 いつになったら終わるのか。気が済むのか。ぼんやりと終わりを待っている。


「おい、大丈夫か」


 上から別の声がして、少年――――幼き日のダウドは意識を取り戻す。
 瞼が重く、僅かに開けて声をかけてくれた人物を見上げた。酒でも飲んだのか、顔の赤い男だった。
「手酷くやられたな。なにやったよ」
 呂律は回っていないが、だいたい言いたい事はわかる。
 ダウドは殴る蹴るの暴行を加えられて、裏路地の地べたに転がっていた。口の端には血泡がこびりつき、中も血の味がして、息を吸えば全身に痛みが走る。衣服も赤が滲んで、茶色に変色しかけていた。瞼が重いのも、腫れ上がっているからである。
「んー……お姉さんに誘われたら…………いきなり男の人が入ってきてね。追い出された……」
 ぼそぼそとした、聞き取り辛い声で答えた。
「しょうがねえな。見つけた時はよ、死んでるかと思ったぜ」
「死んではいないけど……」
 瞳だけを動かして、建物の細い隙間にある夜空を眺める。
「…………生きるって、なんだ」
 吐息のように、呟く。
 すると、男が笑い出した。
「生きるも何も、俺たちは生きてもいねえ」
 吐き捨て、次には持っていた酒を飲む。
「地獄に、存在するだけさ」
「そっか」
「だがな、地獄よりも怖いものもある」
「そっか」
 唇を微かに動かしながら、ダウドは相槌を打つ。


 では、そんな命はなぜ生まれてきたのだろうか。
 生まれても、生きてはいないからか。
 一人自問自答をして、目を瞑る。
 たとえ星空の下でも、この場所に光は届かない。
 何をしても、輝けはしない。
 例えるなら、闇のかごの中の世界なのだから。




 夜が明けると、ダウドは汚れたい服を町に流れる川の水で洗う。
 地平線から顔を出す朝日は、刺すように鋭く、目を閉じる。
「うっ」
 だが、その一瞬の光の中に、何かが見えたような気がして、開けてみると隣に気配を感じた。
 見れば少年が背を屈めて手を洗っていた。恐らく近い年だろう。あの瞬間でどうやって来たのか。建物から大きく跳んだように見えたが定かではない。
 だがそれよりも、気になる事がある。少年は随分と派手で煌びやかな衣服と装飾類を身に着けていた。
 昨晩の女の言葉を思い返す。宝石は、光がない場所では光らない。
 ここでは輝けはしないのに、何をあの少年は足掻こうとしているのだろう。馬鹿馬鹿しいとさえ思える。
 それとも何か。自ら光を生み出し、輝けるとでも言うのか。
 そもそもなぜ、こんな事を考えるのか。
 ダウドは知らぬ間に少年を見つめていた。
「なんだ?」
 少年はダウドの視線に気付き、背を起こして彼の方を向く。
 交差する視線。沈黙が走った。
「酷い顔だな」
 痣だらけのダウドを見て、少年は苦笑する。
 だがその後で、少年は内心驚いた。彼を見て自然と笑ってしまったからだ。
 少年の名はジャミル。
 まだ相棒とも知り合いとも呼ばれる前の、初めての接触であった。










出会いというより、初めて見かけた時というか。
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