陽炎



 両手で掬った水を朝日が反射してキラキラと輝いた。歪んだ水面に映るのはダウドの顔。
 かけるように顔に当て、上下に動かして洗う。
「ふう」
 濡れた顔を上げ、辺りを見回す。ここは宿屋の裏手にある井戸。水と同じように町並みも日の光で輝いていた。小高い丘から見下ろせる海は黄金の煌きを放っている。エスタミルを思い出させてくれるが、この町はエスタミルではない。遥か離れたドライランドの港町ノースポイントであった。波の音は心地よく、寝ぼけた意識を鮮明にしてくれる。一日の始まりを告げてくれるのだ。


 宿屋近くにある食堂で旅の一行は朝食を取る事となった。ダウドの隣にはジャミルとホーク、向かい側にはグレイとガラハドが座っている。皆、黙々と料理を食べている。いつもこのような感じであった。華もない、盛り上がりもない、男だらけの静かなパーティーである。それはそれで居心地が良いのかもしれない。
「そうだ」
 グレイが手を止め、ナプキンで口元を拭いながら話を切り出す。
「次はどこへ行くんだ?」
 グレイの後にガラハドが続いた。
「町に着いたものの、結局そのまま休んでしまったしな」
「船か草原か。はたまた砂漠……」
 ホークも手を止め、“迷うねえ”と呟いて唸る。
 六つの瞳は一人の人物へ向かい、答えを待った。
「え?ちょっと……」
 ダウドはきょろきょろと忙しなく瞳を動かした。
「どうして、おいらを見るの?」
 そう、六つの瞳はダウドの方を向いていたのだ。
「ジャミル〜」
 ダウドは隣のジャミルへ助け舟を出した。
「………………は――――っ」
 ジャミルは深い溜め息を吐く。そうしてダウドの方を向く。
「情けない声を出しなさんな。リーダーだろ?」
「リーダーって?」
 瞼を細かく瞬きさせ、聞き返すダウド。
「リーダーはリーダーだろ?ダウド兄貴」
 はー。ジャミルはまた溜め息を吐いた。


「は!?なにそれ!!」
 ダウドは思わず席を立った。彼の驚きとは裏腹に周りの反応は薄く、浮いてしまう。ジャミル達はダウドが騒ぐ理由がわからないとでも言うかのように、きょとんとしていた。
「おいらがリーダーってなに?リーダーはジャミルでしょう!?」
 ジャミルを見下ろして言う。動揺のあまり、声が大きくなる。
「ダウド?リーダーは初めからダウドだぞ」
 真顔で答えるジャミル。ダウドは汗が滲むのを感じた。こんな事、ありえるはずがない。
「みんなおいらをからかっているんでしょ?冗談やめてよ」
「からかう?なにをだよ」
 話に入り込むホークも真顔であった。向かい側のグレイとガラハドは顔を見合わせた後、ダウドを見て訝しげな表情をする。
「疲れているんじゃないのか?」
「そう急ぐ事もあるまい。休んでも良いんじゃないのか」
 気遣いまでされてしまっている。仲間たちは冷静で、ダウド一人だけが落ち着かない。異様な雰囲気に怖気がした。
 ダウドは頬に触れる振りをして摘まんだ。痛いような、痛くないような。摘まむだけではよくわからない。夢ではないと言うのか。
 痛みか混乱か、僅かに涙目でダウドは口を開いた。
「おいらは大丈夫。行き先も決めた、決めたから。砂漠にしよう。そこからローザリアへ行こう」
 もうどうにでもなれ。滅茶苦茶な案を出してやった。リーダーの器ではない事を示してやりたかった。しかし、希望はあっという間に崩れ去る。
「わかった。砂漠だな」
「え!?」
「砂漠かぁ。こうなりゃ陸地を這いずり回ってやる」
 ガタガタッ、ジャミルとホークが席を立った。
「こんな事なら髪を切っておけば良かったかな」
「お前は大変だなグレイ」
「ガラハド、皮膚には気を付けろよ。直接当たるんだぞ」
「いつか禿げたら覚えておけよ」
 グレイとガラハドも立ち上がる。彼らは意見も反論もして来ない。ダウドの意をそのまま受け止めている。仲間たちは荷物を持って店を出て行ってしまった。
 ガタッ。ダウドはテーブルに手をついた。一人残った中、顔面蒼白で愚痴を零している。遠くの方でジャミルの呼ぶ声が聞こえ、渋々店を出た。








 ノースポイントの西に広がるカクラム砂漠。太陽は一層眩しく、熱気で景色が揺れる。これが夜になると凍える寒さになるのだから自然の驚異は侮ってはならない。
 ダウドをリーダーとした旅の一行はローザリアを目指して歩んだ。砂に靴跡がつくが、流れて消えていく。ダウドはしっかりとした足取りなものの首は落ち着かず、不安そうに辺りを見回していた。それというのもリーダーだからといって先頭にされてしまったからだ。普段ジャミルの後ろをついて行ったダウドには荷が重過ぎ、プレッシャーが半端なく圧し掛かる。横目で後ろにいる仲間を見た。彼らはダウドを信じてついてくる。その目には疑いは映らない。
 しかも仲間はホーク、グレイ、ガラハドと一見いかつい連中なので、親しいものの怖さが残る。ジャミルがいてくれる事が唯一の救いであった。
「ダウド」
 ガラハドがダウドの名を呼んだ。
「なに!?」
 身体を大げさにびくつかせて振り返る。
「宝がある。どうする?」
「宝?」
 ガラハドの指す方向に、砂で埋もれた宝箱があった。
「あ、開けよう。開けようね」
 ガチガチに固まりながらダウドは宝箱の前まで行き、しゃがんだ。どうやら罠がかかっているらしく、ダウドは罠の解除を始めた。仲間たちはダウドを囲むように開けるのを待つ。プレッシャーがさらに圧し掛かるのを感じた。心なしか胃が痛い。心臓は緊張に緊張を塗りたくったように固められていた。
 手が震える。失敗するかもしれないという弱さが胸を締め付ける。
 どうしよう。どうしよう。ダウドは恐る恐る見上げ、ジャミルを見た。ジャミルはただじっとダウドを待っていた。ダウドがなにかをしでかしそうな時、いつもジャミルは勘が働いて助けてくれる。無いという事は大丈夫な証。ジャミルの、仲間の信頼に応えようとダウドは宝の罠をはずす。
「開いた……」
 蓋を開けて、ダウドは尻餅をついた。中には金銭が入っていた。気が抜けて、もう宿で休みたくなるがそうもいかず、砂漠の横断は続いた。


 ざっ、ざっ。歩いても歩いても無限に広がる砂漠の海。まだまだ先は見えない。
「ダウド」
 今度はホークが名を呼んだ。低い声だが良く通る。
「なな、なに!?」
 大げさに驚いて振り返り、数歩下がった。
「魔物、出たみたいだ」
 ホークの指す方向には魔物がおり、雄叫びまであげている。既に他の仲間は臨戦態勢に入っていた。
「俺たちも行くぞ」
「ん、うん!」
 もんどりうって頷くダウド。二人は細剣を抜き放ち、戦闘に加わった。
 砂漠は足場が悪く、懐に入り込むのは危険が伴う。五人はじりじりと魔物を追い込むが、決め手が無いまま長引いていた。
 痺れを切らしたグレイが舌打ちをして叫んだ。
「ガラハド!背中を貸せ!」
 目で合図をし、ガラハドは意味を理解する。ガラハドが前に出てグレイが後ろに下がり、勢いをつけて走り出す。グレイは飛んでガラハドの背に足をつけて、さらに高く飛び上がった。振り上げた刀が太陽に反射して鋭い光を放つ。狙うは魔物の脳天。勝利への確信に口の端が上がり、振り下ろされた。だが――――
「なっ!」
 カンッ!グレイの刃に何かが当たり、軌道が逸れる。刀は魔物の肩に突き刺さるが致命傷にはならない。もう片方の腕でグレイを払おうとする。だが既の所でホークが手斧を投げつけ、その隙にグレイは魔物から離れた。刀は刺さったままで、倒した後に回収するしかない。
 グレイは不満と怒りを含んだ瞳で、攻撃を邪魔した対象を睨む。それはジャミルの弓であった。丁度二人の狙った場所が重なり、相殺してしまったのだ。不穏な空気にダウドは彼らを交互に見るしか出来ない。
 魔物は遠距離からの地道な攻撃の末に勝つ。倒れる轟音の中でグレイは無言でジャミルへ歩み寄り、胸倉を掴んだ。ジャミルは引かずに睨み返した。ダウドは慌てて駆け寄り、仲裁に入る。
「待って。喧嘩したって疲れるだけだよ」
 グレイの手を引き剥がすべきなのだが、腫れ物を触るように手が出せない。
「グレイ」
 ガラハドが拾った刀をグレイへ放り投げる。グレイの手が離れ、刀を受け止めた。鞘に納め、踵を返す。
「ジャミル、大丈夫?」
 口元に手を添えて囁く。ジャミルはネックを整えながらグレイの背を眺めた。
「ああ。心配されるまでも無いけどな」
 あっけらかんとした返事に気苦労がどっと押し寄せる。少し離れた場所でホークは腕を組んでおり、欠伸をしていた。恐らく興味がないのだろう。彼にとっては他人事と割り切っているに違いない。
 このパーティーは纏まりが無さそうに見えて本当に無い。いつ分裂するかわからない危うさがあった。だがそれでも結束をすれば何者にも立ち向かえる絶大な力になる。そして結束をさせるにはリーダーの存在が必要不可欠であり、ダウドは改めてジャミルの凄みを知った。


 再び歩き出す一行。ダウドは背中を気にしていた。戦いを終えた辺りから、グレイの視線を感じるのだ。
 ジャミルとのいざこざに割り込んだのが気に入らなかったのかもしれない。文句があるのなら言って欲しかった。いやそれは怖いので避けたい。どうすればこの窮屈さから抜け出せるのか、ダウドは考えを巡らせていた。
「ダウド」
 グレイが呟くように名を呼んだ。怖くて振り返れない。聞き取り辛かったので、聞こえない振りを決め込んだ。
「おい」
 ダウドの肩を掴もうと手が伸びる。
「なななな、なな、なに!?」
 触れる前に振り返り、高速で下がって身構えた。構えすぎである。
 グレイはまたぽつりと呟く。
「ジャミルがいない」
「ジャミルが!?」
 目を丸くさせて仲間を見た。グレイ、ガラハド、ホーク。確かにジャミルがいない。
「ジャミルがいないな」
「どこ行った?」
 ガラハドとホークも辺りを見回す。けれどもジャミルの姿は見えない。
 ダウドの顔が不安一色に染まった。ドクドクと嫌に心音が気になり出す。その中でグレイはしごく冷静に意見を述べた。
「魔物を倒した後に嵐ほどではないものの、視界が遮られた風が吹いただろう。あれではぐれたんじゃないか」
「じゃあ、ジャミルは後ろにいるか前にいるか、それとも見当違いの場所にいるって事?」
「そうだな。下手に歩き回ってないと良いんだが」
 どうしたものかとホークは顎に手を当てる。
「まず戻ろう。倒れているかもしれない」
 ダウドは走り出さんばかりに行った道を引き返した。
「待て」
 ガラハドが呼び止め、躓きそうになりながら足を止めるダウド。
「ジャミルは見つかる。俺たちは信じている。ジャミルも見つけられる事を信じているだろう」
 彼の横でホークとグレイが頷いてみせる。
「うん」
 ダウドも頷いた後、鼻を啜った。仲間がいる。その温かさと力強さが改めて胸へ染み込んでいった。


 一面の砂漠の中で仲間は仲間を捜す。魔物に見つかるのも構わずに、名前を叫んだ。
 ジャミル。
 ジャミル。
 呼び続けた。
 声は遠くまで響き、砂の中へ溶けていく。一方通行で、返って来はしない。
 声は響いた。どこまでも響いた。声は音となって広がった。遠く、遠くなって、山彦のように返ってくるような感覚がする。音は別の言葉となって返ってきたような気がする。
 ダウド、と。
 熱のせいか、ぼやけた意識の中でそう聞こえたような気がする。
 耳からか、頭へ直接か、しきりに訴えかけてくるのだ。
 ダウド、と。
 もしかしたら、呼ばれているのはおいらなのかもしれない。そう気付いたのはいつからだろうか。
 瞳が空を映していたのはいつからだろうか。




「ダウド」
 呼び声が直接的になる。顔に影が差し、逆光を受けて見えるのはジャミルであった。
「大丈夫か」
 伸ばされる手をダウドは握り返す。引っ張られるように起き上がると、そこには仲間たちがいた。
「おいら、一体……」
 軽い眩暈がして、頭に手を当てる。ホークが苦笑を浮かべて教えた。
「お前は一人、はぐれちまったのさ。恐らく風が原因だろうな」
「はぐれた……。おいらが……?」
 まだ状況を掴みきれていない。
「見つかって良かった。なぁ?」
 ガラハドはグレイに同意を求める。グレイは軽く咳払いをして、ダウドの前に歩み寄った。
「さっきのは暑さでやられていたようだ。気にしないでくれ」
「さっき?」
「ほら、あれだ。いや…………もういい」
 グレイは踵を返すがガラハドとホークに“よくはないだろう”と突っ込まれていた。様子を眺めるダウドの横にジャミルが立ち、帽子を脱いだ。そうしてわざと音を立てるように砂埃を払う。
「本当に、見つかって良かったよ。ああ、良かった」
 視線を合わせずに彼ははにかむ。
「ジャミル」
「ん?」
「おいら、夢を見ていたみたいだ」
「ふうん。どんな夢だよ」
「もう忘れかけているけれど、ジャミルは凄いって思った。いつも大変じゃない?」
 二人は自然に顔を見合わせると、ジャミルはダウドのターバンを前にずらしてちょっかいをかける。
「うわっ、なにするんだよ」
 直して見えた先にあるジャミルの姿は、手を腰に当てて笑みを浮かべていた。
「心配されるまでも無いけどな」
 どこかで聞いた覚えのある言葉は、未来の声であった。










ダウドをしあわせにし隊の暑中お見舞い企画へ投稿させて頂いた作品です。サクライ様の所へお送りされました。
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