雪に覆われた極寒の地。その名はバルハラント。
 特に吹雪の荒れる雪原の一帯では、動物はおろか魔物さえも姿を見せはしない。
 だが、その中を横断しようとする一つの団体があった。



日の出



 足跡一つ無い雪の底から、飛び出す一本の人間の腕。腕が曲がり、身体を支えるようにして雪の中から脱出する。
「危うく、顔も覚えていないお袋に会う所だったぜ」
 長い耳と顔の半分を隠す長い前髪。名をジャミルといった。
 愛用の帽子を出てきた穴から取り出して、辺りを見回す。
 吹雪で周りは白の世界で覆われ、耳は風の音しか届かない。鼻は寒さで機能を成さず、体温と体力を奪われていく。正に絶望的な状況。
 しかし彼――――いや彼らには、成さねばならない目的があった。
 ジャミルは呼びかけるように何も無い雪原で叫んだ。
「おーい、皆生きているかー!!」
 生きているかー。
 生きているかー。
 声は遠くまで木霊するが、空しく広がるのみ。
 ジャミルはもう一度叫んだ。
「点呼よ―――――いっ!!!いちっ!!」
 すると彼の声に反応して、周りから手が次々と飛び出す。
「にっ!!」
「さんっ!!」
「……ぃっ!!」
「ご!!」
 ジャミルの時と同じように、上がった腕から姿を現した。


「はぁっはぁっ」
 息切れして呼吸を整えているのは二番目の仲間であり、ジャミルの弟分のダウド。
「今回ばかりは駄目かと思ったな」
 科白とは裏腹に落ち着いた口調なのは三番目の仲間、ホーク。
「いやー、私も同感です」
 生死の境だったにも関わらず、のんびりと相槌を打つのは四番目の仲間、アルベルト。
「…………………………」
 起き上がったものの力尽きて突っ伏すのは五番目の仲間、グレイ。
 どうやら全員無事の様子で、リーダーであるジャミルは一安心だ。
 胸の錘が無くなったせいか、急にジャミルは今立たされている状況に怒り出した。
「だいたいよ、誰だよバルハラントにある山の頂上で日の出が見てみたいなんて言ったコンチクショウは」
 四つの指が素早く同時にジャミルを指差す。
「う、頭痛が」
 仲間の視線を避けるように額に手を当てて俯く。
「…………………………」
 けれども誰も突っ込まず、沈黙が辛かったのか顔を上げて彼は言った。
「ダウドが“おいら日の出が見たい〜”って言ったから可愛い弟分の頼みだ、しょうがねえと俺様がな」
 ダウドの口真似をして、この期に及んで悪あがきをする。
「おいらバルハラ…………」
 バルハラントの山とは言っていない。
 責任を擦り付ける兄貴分に呆れながらも修正しようとしたダウドだが、途中でアルベルトが突っかかった。
「ダウドさん!あなたって人は……!どうしてこんな……!」
「アルベルト真に受けないでよ!いい加減慣れてって!ジャミルの言い訳なんて九割が嘘っぱちなんだから!」
 いや、せめて七割にしてくれ。
 少し傷付いたジャミルだが日頃の行いが悪い。
「誰が言い出したとかどうでもいい。こんな所に突っ立っていると体力を削って共倒れだ。休める場所を探すぞ」
 ホークは荷物を肩にかけ、歩き出す。
 アルベルト、ダウド、ジャミルは固まって彼の背に視線を集中させた。
 あんた、意外と常識人なんだな。
 彼らは互いの顔を見合わせて頷き、とぼとぼと後をついていく。






 しばらく雪原を進んでいくと、運良く洞穴を見つけ出せ、ジャミル一行は中で冷え切った身体を温める事にした。
「ヘルファイア」
 木の屑と布に火術を放ち、暖を取る。
「あー、生き返るー」
 仲間たちは火を囲んで手をかざした。
「さて、どうするかですね」
 アルベルトは先ほどまで歩いてきた外の吹雪を入り口から眺める。進むにしても戻るにしても、再びあの中へ入らなければならないかと思うと気が滅入るが、避ける術は無い。
「身体が温まったら、すぐに出るぞ。日の出に間に合わないからな」
 リーダー・ジャミルは迷いの無い言葉を放つ。
 ぱちっ。引火した木屑が音を立てた。
「…………………お前」
「…………………あなたって方は」
「…………………まだこの期に及んで見に行くんだ」
 呆れを通り越して感心をも通り越し、結局呆れるには変わりなくなったホーク、アルベルト、ダウドは重々しく呟く。士気はどん底へ沈み込む一方だ。
「ここまで来て引き返すなんて出来るか」
 うん、そうだね。心の中で適当な相槌を打つ。
 身体が表面から温まっていき、心地よさに無言になる。風の音と火の揺らめきが流れた。そんな沈黙の中、ホークが口を開く。
「…………ところで、何か忘れている気がするんだ」
 火を見据え、ぽつりと言う。
「奇遇だ。俺もそんな気がする」
 ジャミルも頷いた。
「そう。確か…………グ、の付くものだった」
「ああ、それだ。…………グ……グ……」
 ホークとジャミルは目を瞑り、思い出そうとする。
「おお……グ……!なんて懐かしい響きだ……!」
 続いてアルベルトが天井を仰いだ。


「グレイだよね」


 ダウドが真実を告げる。
 グレイも共に山頂を目指したが、洞穴に入ったのか記憶が無い。そもそも、そこへ行くまでの道でさえも会話した記憶が無い。
 まさか。誰もがそう思わずにはいられなかった。
 まさか。入り口から見える吹雪は白く激しく、先が見えない。
「ねえ……どうするんだい」
 ダウドは仲間に視線を送った。
「グレイさん……良い人でしたね……。嫌いじゃなかった……」
 俯き、自嘲的な笑みを浮かべるアルベルト。
「あいつさ、無愛想だし何考えているかわからないし、意外にケチだけど、嫌いじゃなかったぜ」
「そうさ、グレイ。俺だって嫌いじゃなかったんだ。俺の酒を勝手に飲んだ事だって綺麗さっぱり忘れてやらぁ」
 グレイを過去の人にし出す非道な仲間。
 嫌いではないというのは、特に好きでもないという意味ではないのか。
 口出しをする気もダウドには失せていた。
 ちなみにダウドにとってグレイは普通である。
 おいらがやらねば誰がやる。決意を胸に立ち上がった。
「おいらが探しに行くよ!」
 ダウドの意志に三人は見上げて注目する。
「ダウド。この吹雪じゃ」
 ジャミルは立ち上がり、首を横に振った。
「でも、おいらは信じてる。グレイは……グレイは……」
「お前…………強くなったな…………」
 弟分の成長に目の奥が染みて、摘まむようにして拭う。旅が長いせいか、涙脆くていけない。
「じゃあ」
 拭って見える視界には、既にダウドは背を向けて吹雪の中に飛び込もうとしていた。
「おい!ダウド!」
 落ち着けと引きとめようとして、踏み込んだ足が焚き火を蹴ってしまい熱さに飛び上がる。
「熱っ!誰か、ダウドを止めてきてくれ!あいつの考えなしは相変わらずだな」
 ホークとアルベルトが立ち上がると同時に、どこからか返事が聞こえた。
「わかった」
 目を瞬きさせて声のした方向を追い、正体を知ると三人の絶叫が洞穴全体に響き渡った。
「ぎゃああああああああ―――っ!!!」
 俊足の速さで彼らは壁にへばりつく。
 声の正体とは、入り口の横でしゃがんでいるグレイ。ふさふさの髪は水分を吸い込んで凍りつき、鋼のように硬そうであった。小刻みにぶるぶる震え、顔色はすこぶる悪い。
「ど、どうしたんだよ」
 足が熱かったのも忘れ、ジャミルはグレイを指す。
「さっきからいた……」
 消え去りそうな、か細い声だがかろうじて耳に届く。
「どうして一緒に暖まらなかったんですか」
「場所がなかった。タイミングも失った。ふっ」
 ニヒルな笑みを見せるが、何もかもが虚しく見える。
「グレイよ。入れてって言えば良いんだぞ」
「今度から、そうする…………」
 グレイはやおら身を起こし、のろのろと焚き火の前に近付いて座り込んだ。
 無事で良かった、と穏やかな空気が包み込もうとする一方で、また何かを放置しているのではないかと脳裏を過ぎる。
「…………ところで、何か忘れている気がするんだ」
 焚き火の元へ戻りながら、ホークは一言呟いたのだった。
 さもデジャヴのような、同じ一言。
 繰り返される筈も無くグレイの回復後、彼らも洞穴を出る。






 ダウドはというと雪原の中、いない人物を探していた。
 グレイ。呼ぼうにも吹雪が酷くて口が開けない。
 雪を踏んだ足跡はすぐに埋められてしまう。
 孤独、あての無さ、寒さという最悪の状況をダウド一人が背負い込んだ。
 いつもなら、昔なら、逃げていただろう。
 逃げるなら、どこの時点で逃げていただろう。
 吹雪の中へ飛び込む事。
 それとも山へと登る事だろうか。
 いや、バルハラントへ。
 その前を辿れば。もっともっと辿っていけば。
 エスタミルを出る事だっただろうか。
 どうしてこんな遥か遠い場所へ逃げずに来られたのだろうか。
 ただジャミルに付いてきた。悪く言えば流され続けた結果だろうか。
「くっ……」
 ダウドは歯を食いしばり、一歩一歩、確実に進んで行く。
 例えどんな理由であれども、この歩もうとする意志は確かなものだと信じたい。
 グレイ、待っていて。
 絶対に見つからない人物を探し続けていた。


 歩いて、歩いて、歩き続けて。
 温めたはずの身体はすっかり冷え込んでしまい、芯をも凍ってしまいそうだった。
 急に力が失せて、ダウドは膝をついて手を雪にめり込ませる。限界はとっくに超え、気力で持っていたものも突き抜けてしまったようだ。
「……は……」
 項垂れ、吐かれる息は白くは染まらない。
 ここまでか。もう駄目かと諦めようとした。
「あれ?」
 顔を上げ、辺りを見回す。心なしか吹雪が大人しい気がした。それに今、指の形に跡のついた雪が煌いたように見える。
 最後の力を振り絞り、立ち上がると覆っていた雪混じりの風がさっと引いた。
 刹那、広がった景色は――――
「すげえ」
 立ち尽くし、感嘆の声を漏らす。
 壮大な白銀の世界。山々の間から顔を見せようとしているのは間違いない。朝日であった。
 光が雪に反射して、輝きはまるで星の光のよう。いや、朝なのだから宝石と例えた方が良い。
 神秘的で美しい。この感動を形容する言葉は思いつかない。
 どうやら山頂へ辿り着いてしまったらしい。
 朝の光はダウドを歓迎するかのように彼を照らしていた。ついさっきまでの疲労は嘘のように消え失せている。


「ダウド」
 背後から名を呼ばれて振り向いてみれば、ジャミル、ホーク、アルベルト、そしてグレイが立っていた。
 ダウドは目を丸くさせて、グレイを指差す。
 グレイは肩を竦めて落としてみせる。おっちょこちょいな奴だとでもいうのか、心配無用という合図なのか、恐らく両方なのだろう。
「どうやら間に合ったみたいですね!」
 アルベルトはダウドの横を通り、出来るだけ前の方で朝日を眺めようとする。
「おいおい、現金な奴だな。下は谷なんだから気を付けろよ」
 ホークは苦笑し、ダウドの肩を軽く叩いてアルベルトの横に並んだ。
「たまにはこういうのも悪くは無いな」
 グレイも朝日をよく見ようと歩み出る。
「合流できて一安心だ」
 腕を組み、安堵の笑みを見せるジャミル。
「そうだね」
 頷くダウドに、ジャミルは頬を掻く。果たして本当の事を言っていいものか。
「一時はどうなるかと思った。ダウド、エスタミルから出て運が良いようじゃねえか」
「そうみたい」
 嫌味ではあるが、否定は出来ない。
「随分と素直なこった」
「ジャミルよりは素直だと思うよ」
 嫌味を嫌味で返してやる。
「そうだなあ。そういう事にしてやる」
 組んだ腕を解き、腰に手を当てて朝日に視線を移す。
 ダウドも身体の向きを変え、朝日を見た。


 バルハラントの雪原にある一つの山の頂上。白銀に、五つの長い影が刻み込まれる。
 形は統一がなくいびつではあるが、不思議と調和が感じられた。










ダウドをしあわせにし隊のお年賀企画へ投稿させて頂いた作品です。時田様の所へお送りされました。
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