臆病者
深い森の中に建つ、古びた洋館。大雨が降り注ぐ夜、そこへ訪れた旅の一行がいた。ジャミル達である。町まではかなり距離があり、雨宿りする場所を探していた所、偶然この洋館を見つけたのだ。
まずリーダーであるジャミルが、ドアをノックした。ドアは大きく、細かな装飾が施されている。彼の後ろには仲間であるダウド、ダーク、バーバラ、エルマンの四人が控えており、皆雨でずぶ濡れであった。
何度ノックしても人は出て来ない。
「あのー、誰かいませんかー!?」
声を出して呼んでも出て来ない。
「人、いるんでしょうかね」
エルマンは上を向く。壁にはツタが覆い茂り、窓に明かりは見えない。暗くて良くわからないが、庭も手入れされていないようだった。
「これだけ呼んでも出て来ないんですもの。無人かもしれない。入っちゃいましょうよ。もし、人がいたら謝れば良いわ」
バーバラが意見を出す。反対する者はいない。空腹、眠気、寒さ。彼らは限界であった。
「んじゃ、入っちまうか」
ノブに手をかけて回した。鍵はかかっておらず、扉が鈍い音を立てて開き…………倒れる。扉の風圧で埃が舞い上がり、ジャミル達は咳き込んだ。
「謝っても、許してくれるかなぁ」
ダウドの呟きに、頭の中で素早くドアの弁償代が計算される。
「大丈夫!こんな時の商人さんだろ!」
ジャミルが豪快に笑って、エルマンの背を叩いた。
「頼んだよーエルマン!」
バーバラもエルマンの背に手を回す。
「あなた方は商人を何だと思っているんですか」
エルマンは重い溜め息を吐いた。
「誰も、いなさそうだぞ」
ダークが扉の先を指差す。風通しの良くなったそこは真っ暗で、目を凝らすとかなりの年月が経っているのか、家具は壊れて荒れていた。
「そうみたいだな」
安堵し、ジャミルはランプに火を灯して、洋館の中へ足を踏み入れる。床が軋み、暗さも相俟って不気味であった。はぐれないように背中に触れ、バーバラ、エルマン、ダーク、ダウドの順で後からついてくる仲間達。ダウドは蜘蛛の巣が引っ掛かり、振り払おうとすると手の甲に蜘蛛が落ちて来た。
「うわーっ!」
思わず上げた悲鳴に、何事かと後ろを振り返るエルマンの目の前にダークの顔が映る。暗闇の中で怖さを一層に増すダークと、驚いて開眼したエルマンに、お互い悲鳴を上げてしまう。
「おいおい、どうしたんだよ」
呆れた顔で振り返るジャミルとバーバラが見たものは、指を差し合うエルマンとダークであった。
「ダークさん、あなた怖すぎるんですよ」
「お前も、十分怖い」
そんな2人の後ろでは、ダウドが手に付いた蜘蛛と格闘を繰り広げていた。
廊下を進み、突き当りを曲がった先にあった扉を開けると、広間に出た。天井にはシャンデリア、豪華で長いテーブルとたくさんの椅子。埃を被っているが、敷かれているじゅうたんの柄は高級感が漂う。どうやら食堂のようだ。大きな窓があり、外は相変わらず雨が降っていた。降りが入る前より強くなっており、雷が鳴りそうな雰囲気である。
ジャミルはテーブルにランプを置き、椅子を引いて埃を軽く払い、腰をかけた。
「廊下より荒れてないな。今夜はここで休むか?」
足を組んで、仲間達の方を向く。
「そうしようよ。あー、疲れた」
ダウドは荷物を置いて、膝を床に付けた。
「今日は歩きましたねぇ」
エルマンはジャミルの隣に座る。
「魔物にもよく遭遇したよねぇ」
テーブルの端に寄りかかり、バーバラが言う。
「……………………」
立ち尽くすダークの腹が鳴った。
「お腹減った…」
「そうだな」
ジャミルとダウドは顔を見合わせる。
「ここが食堂なら、調理場も近くにありそうだね」
「食事当番はダウドさんでしたね」
「じゃ、頼むぜ」
バーバラ、エルマン、ジャミルは立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「え?ちょっ……どこへ行くの?」
ダウドも立ち上がり、呼び止めようと手を伸ばす。
「他にどんな部屋があるのか見てみたいじゃないか」
「金目の物もあるかもしれませんしー」
「飯時には帰ってくるよ」
「え………そ……そんな………でも………」
言い終わる前に彼らは行ってしまい、取り残されてしまった。
「ダウド」
「ひっ!」
後ろからダークに声をかけられ、ダウドの肩が大きく上下する。
「調理場へ行くんだろう?」
ひょっとしたら付いて来てくれるかもしれないと、淡い期待が過ぎった。
「俺は掃除をする。早く行け」
「掃除って……」
「洞窟でもないのに、埃だらけの中で食事をする事も無い」
ダークは適当な布を拾い、雑巾代わりにしてテーブルを吹き始める。意外にも綺麗好きのようだ。しかし、このような汚れた場所では、誰もが清潔にしたいと思うかもしれないが。
「……………………」
「なんだ?何かあるのか?」
顔を上げてダウドを見る。
「ううん、何でもない」
荷物から食料を取り出して抱え、とぼとぼと重い足取りで、ダウドは歩き出す。入って来た場所以外にも扉があり、そこを抜けてみる事にした。扉を閉めて廊下を見ると、同時に雷が鳴って一瞬明るく道を照らす。この先は自分1人。孤独の寂しさと不安が胸を締め付ける。
無人の古い洋館。それに加えて夜と来れば“何か”が出るのではないかと勘繰ってしまう。“何か”とは、口に出すのもおぞましい、得体の知れない“何か”である。足を踏み出すと、最初に中へ入ったように床の軋む不気味な音がした。
一方その頃。この洋館へ、もう一組の旅の一行が訪れていた。グレイ、ガラハド、ミリアムの3人である。彼らもジャミル達同様に町へは行けず、雨を凌げる場所を求めてここへ辿り着いた。
「腹が減ったな…」
ガラハドは空腹を口に出す。
「減った減ったうるさいねぇ」
ミリアムはかなり気が立っている。
「私はまだ2回しか言ってないぞ。ミリアム、お前の方が言っているじゃないか」
「なんですって」
ガラハドとミリアムの視線の間に、微弱な電流が走った。
「お前らうるさいぞ」
2人の間にグレイが割って入る。
「眠いな……」
目はとろんと、虚ろであった。
「寝るな!」
「死ぬよ!」
バチン!ガラハドとミリアムのビンタが、グレイの両頬に炸裂する。
KOしかけたグレイであったが、何とか意識を失わずに気を取り直す事が出来た。背筋を伸ばし、腕を組み、洋館を見上げた。空からは容赦なく雨が降り注ぎ、濡れた前髪でほとんど顔が隠れてしまっている。
「さて。どこから入るか……」
グレイの呟きに、ガラハドとミリアムが頷く。彼らの立つ場所は屋敷の裏側であり、入るには入れない状況にあった。
「壁に沿って行けば、入り口に行けるだろう」
ガラハドの意見に、グレイとミリアムは“なるほど”という顔つきで、手を合わせる。
「じゃあ、それで行くか」
グレイ、ガラハド、ミリアムの順で壁に沿って進んで行く。
歩いている間、窓の中の様子を覗き見るが人が住んでいる気配は無かった。もういないのだと思う事にして、そのまま通り過ぎた、ある1つの窓。そこに丁度ダウドが通り、こちらを見ていたなどとは気付きもしなかった。
ゴロゴロゴロ………。
雷が鳴り、グレイ達のシルエットを映す。彼らはずぶ濡れで、グレイやガラハドなどは落ち武者のような姿であった。ダウドの顔にはくっきりと恐怖が刻まれ、引き攣る。
「は………は……はは……」
あまりの怖さか、硬直した口から笑い声が零れた。
彼は調理場へ行き、料理を作って食堂へ持って行く途中であり、手に持った皿がカタカタと音を立てる。駿足の速さで食堂へ走り、皿をテーブルに置いて、ダークの肩を掴んだ。彼は掃除を終え、椅子に座って一息ついていた所なので、目を丸くして驚く。
「………だっ………」
ダウドの顔は真っ青で、震えていた。
「…でっ……………」
「どうした?」
首を傾げた。
「ゆゆ、ゆ、幽霊だよ…!出たんだよ…!」
へなへなとその場に座り込む。
「ゾンビか!」
ダークのぼんやりとした目つきが変わり、身を翻して小型剣を構えた。
「いや、そうかもしれないんだけど、まだ人間っぽいというか…」
戦闘モードになったダークを落ち着かせようとする。
「ねえ、一緒に様子を見に行こう」
「雑魚なら良いが、戦力が分散している今、俺達で退治できるだろうか」
ぶつぶつとつぶやくダークの背をダウドは押して、2人は食堂を出た。テーブルには3人分まで食事が用意されており、あと少しで準備が整う所であった。
「ここから入れるな」
グレイ達は入り口を見つけ、中へ入る。水が滴り落ちて、床に零れて小さな水溜りを作った。
「ん?」
ミリアムが鼻をひくひくと動かす。
「何か良い匂いがする…」
「まさか。…………ふむ、言われて見ればそうだな」
「誰かいるのか?」
くんくんくん。食べ物の匂いに引き寄せられるままに、グレイ達は廊下を歩いた。彼らも空腹で、臭覚が異様に冴えていたのだ。扉に突き当たり、開けてみるとそこは別世界であった。
「「「こ、こ、これは!」」」
3人は驚愕する。外観や廊下から想像も出来なかった、綺麗に整えられた食堂。豪華なテーブルの上に置かれているのは、3人分の食事。誘うようにスープが湯気を立てているではないか。“さあ食べて下さい”と言わんばかりに、セッティングされていた。
「幻!こんなの幻だよ!」
ミリアムは首をぶんぶんと横に振り、ガラハドの手の甲を摘まむ。
「罠だ……これは罠だ……。サルーインの手先の仕業に違いない。そうだろ、グレ…」
ガラハドの振り返る先に、グレイの姿は見えない。
当のグレイはというと、ちゃっかり椅子に座り、どこから取り出したのかナプキンを胸に付けていた。
「「なっ!」」
ガラハドとミリアムはグレイの両手を拘束する。彼の手は、既にナイフとフォークが握られていた。
「グレイ!気は確かか!」
「ちょっと待ちなよ!」
グレイは静かに目を閉じ、開き、ゆっくりと口を開く。
「ガラハド、ミリアム、良く聴け。もし、これが罠だとする。だが、罠だとしても、この料理を食べずにいられるか?」
「荷の中の非常食にすれば良いだろう」
ふっ。ガラハドの言葉に、グレイはクールに笑う。
「手持ちの飯より、目の前のタダ飯……だ」
「「!」」
ガラハドとミリアムの背後に電撃が走った。
こいつ………どうしようもない馬鹿だ………。
ただ、我慢が出来ないだけだろう。
突っ込みたい気持ちを抑えて、2人も席に座る。背に腹は変えられない。馬鹿も一緒なら、怖くは無い。
「グレイ、たとえ毒が盛られていたとしても、死ぬ時は一緒だ」
「毒でも、夢を見させてくれるのなら本望さ」
「あんた達、黙って食べなさいよ」
「「はい」」
ミリアムにぴしゃりと言われ、男達は肩を竦める。
一口、料理を放り込むと、上手さが口の中に広がり、じんと染みた。罠などどうでも良くなり、黙々と食べ続けた。
グレイ一行が食事をしている上の部屋は寝室となっており、丁度ジャミルとエルマンが物色をしている最中であった。ジャミルが見つけ、エルマンが鑑定をする役割である。
「エルマン、これはどうだ?」
恐らく銀だったと思われる、黒くくすんだブレスレットを手渡した。
「んー、こう暗いと良くわかりませんが……手入れ次第で何とかなるかもしれませんねー」
「それってここにある全部に当て嵌まるとか?」
「……………………」
「そうだよなぁ、やっぱり」
ジャミルは項垂れる。
盗賊稼業からは足を洗ったものの、やはり金目の物を目にすると血が騒いでしまう。癖なのか、習慣なのか、褒められたものではない。
「おっ?」
顔を上げた先にドレッサーが見えて、開けようと歩み寄った。
だが、床が抜けて一階の天井を突き破ってしまう。
しがみ付き、思わず見てしまった下の景色。そこには食事を平らげて、休んでいたグレイ一行が座っていた。バッチリと目が合ってしまい、硬直する。お互い面識は無く、彼らの中でそれは未知の“何か”に認識された。
「ジャミルさーん、大丈夫ですか?」
のんびりとした声で、エルマンが手を差し伸べる。ジャミルの顔は蒼白であった。
「なんだい、こりゃ」
食堂へ戻って来たバーバラはその崩壊ぶりに、唖然として立ち尽くす。
グレイ一行はというと、脱兎の勢いで洋館を飛び出し、雨をも吹き飛ばして町へ向けて疾走して行った。そして合流したジャミル一行は、ジャミルとダウドが“幽霊!幽霊!”と口を揃えて言い出し、ダークは魔物を警戒して殺気立つ始末。エルマンは金品の物色報告をし出し、どうしたものかと1人バーバラは頭を抱えていた。
ジャミルとダウドは怖くて眠れないよ、きっと。
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