雨の日、裏路地の屋根の下。それは、偶然の出来事であった。
ほんとはね?
その日、南エスタミルの天気は雨であった。洪水の心配はないが、住民は室内に入る以外の雨を避ける術がない。暗い空に、町は活気を失い、静かに水が降り注ぐ。
「はぁ……」
裏路地の屋根の下で吐かれる息。ダウドは雨宿りをしていた。走って住処へ戻ればいいのだが、濡れるのはなるべく避けたかった。着ている服は一張羅。濡らしてしまえば風邪をひくか、干して表に出られなくなるか。どちらも良い選択ではない。止むのが一番だが、どうも空にその気はないようだった。
カツッ。足音が聞こえる。直感的に女性だと感じた。徐々にこちらへ近付いてくる。雨だというのに、普通に歩いて来る様子だった。不思議と気になり、僅かに頭を出して覗く。赤いローブが見えるが、それ以外は良くわからない。相手は帽子を被り、顔も隠れてしまっている。かろうじて女性だとわかり、自分の予想が正しかったと喜んだ。住処へ戻った時に、相棒への土産話にしようと考える。
カツッ。女性が横切った。ずぶ濡れで、表情が無く、まるで幽霊のようであった。だが、このままにしてはいけないと、思わず伸びた手が彼女の腕を掴んで屋根の下へ引き寄せた。女性はとても驚いたようで、睫毛の長い、くっきりと存在を感じさせる瞳を丸くする。
サアアアア…。一瞬、時が止まったような気分であった。雨音が、妙に気になり、耳の中へ入り、浸透させていく。
「ごめんよ」
ダウドは手を離した。彼女が動こうとする前に続ける。
「ずぶ濡れだね。少し、雨宿りをして行けば」
普段、ファラ母娘以外の女性に声はおろか、ロクに話した経験もないのに、なぜかすんなりと誘う事が出来た。
女性はダウドの顔をじっと見つめる。ぞくりと、寒気のような震えのような感覚が全身を通過する。顔が半分以上隠れていてもわかる。絶世の美女であった。このような美女は今まで見た事も無い。
だがそれだけで、胸は高まるどころか、冷たく沈み込む感じがした。
「おいらダウド。君は」
「シェリル」
「良い名前だね」
「あなたも同じ事を言うのね」
シェリルと名乗った女性の瞳は、憂いを秘めて細められる。
「同じ?」
意味がわからず、様子を伺おうとするダウドの視線を避けるように、シェリルは頭を横に振った。
「駄目。あなたも不幸になる」
「なんで。シェリルが不幸だと思うからかい?」
「そうじゃない…」
瞳を閉じ、呟く。苦しいように見えた。
「私といると、不幸になる。聞こえるわ、あなたを失って悲しむ人の泣き声が」
悲しむ人の声。そう聞いて、ダウドの脳裏にジャミル、ファラ、ファラの母親の姿が過ぎって、消えていく。
「そりゃ生きていれば死ぬし。でも悲しんでくれる人がいるなら、不幸じゃないよ」
「…………………………」
シェリルは何度も瞳を瞬かせる。ダウドへ言うべき言葉を探しているようであった。
「おいら、何も無かったから、今は幸せだよ。今悲しいのは、シェリルが辛そうに見える事。何が君に悲しい事を言わせるの」
屋根の下へ引き込んだ時と同じように、手が自然と伸びて、彼女の帽子を上げさせようとする。謎の引力に惹きつけられていた。
「やめて」
ダウドの手を払うシェリル。その指に嵌められた宝石が、曇りの中でも煌きを灯していた。
「うわ」
宝石の素晴らしさに、思わず声が上がる。
「凄いね、それ。君の?………って、付けているんだから当たり前か」
何を言っているのか、ダウド自身にも良くわからない。
「宝石ってね、人を豊かにするんだ。外見も、生活も、心も、豊かにするもんなんだ。ジャミルが言ってた」
「ジャミル?」
「おいらの相棒。おいらにとって、一番の宝石みたいなもの」
自信たっぷりに、嬉しそうにダウドは胸を張った。
「シェリルはそれだけ凄い宝石を持っているんだから、きっと豊かになって、幸せになるよ」
「…………………………」
シェリルは指輪を胸元に持って行き、もう片方の手で包み込み、祈る姿をする。横に立つダウドも、同じような真似をしてみせた。
雨が、少しだけ治まったように思えた。
「何を祈ったの?」
横目で見るダウドが問う。シェリルは答えない。
「そっか。願い事は言ってしまうと叶わないんだって。今がチャンスみたいだから、おいらは行くよ」
「慌ただしい人」
「おいら、いつもはもうちょっと落ち着いているよ。じゃあ」
嵐が過ぎ去るように、ダウドは言うだけ言って走って行った。
腕を下ろすシェリルの手で輝く宝石は、静かに輝きを灯し続ける。まるで、生命でもあるかのように。
数年後。彼女の持つ宝石、ダイヤモンドはダウドの指の上で煌いていた。
闇の神殿でシェリルの幻影を追い続ける中、独り言のように呟く。
「本当は、不幸になるって言われて、怖くなったんだ」
「ダウド?」
声に気付いたジャミルが振り返る。
「ジャミル。シェリルの悲しい言葉を聞くと、そんな事無いって言いたくならない?」
「言いたくなる」
「おいら達、シェリルと会って不幸になったかい?」
「そんな幸せでも無いが、そう不幸でも無いな」
「でしょう?」
「おいおい、急にお喋りになりやがって。怖気づいたか?」
ジャミルは立ち止まり、腰に手を当てた。
「違うよ。大丈夫」
「なら良いんだけどよ。行くぜ」
恐らく最後と思われる扉に手を当てた。
重々しい轟音と共に開き、闇の奥へ2人と仲間達は入っていく。立ち止まらず、振り返らず、待ち構えるモノの元へ向かった。
雨の日の偶然って好きなんです。
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