闇の底



 ダウドは目の前に広がる、煌びやかな世界を前に溜め息を吐いた。空を見上げると、真っ暗な空の上に満月がぽっかりと浮かんでいる。ここから一歩先は歓楽街。事の始まりは、町へ辿り着いて宿を取った後であった。くつろいでいる中、ふと外を見ると、仲間のダークが宿を抜け出すのを見つけ、後を追ってみれば、彼はこの中へ入って行ってしまったのだ。
 他の仲間だったら放っておけば良いのだが、ダークは記憶喪失中なので自由行動は禁物である。一体何を思ってこの歓楽街へと足を踏み入れたのか。ただ楽しみたいだけかもしれないし、何か記憶に関係するものがあるかもしれない。それを知る為には、ダウドも足を踏み入れなければならない。彼自身も承知済みだが気は弱い。こんな所へ入ったら良い様に鴨にされて、金をむしり取られるのが関の山である。


 こんな事ならジャミルと一緒に来ればよかった。


 ああ駄目だ駄目だ。頭に過ぎった事を振り払おうと、首をブルブルと横に振る。
 いつもジャミルにすがってしまうのは悪い癖だ。エスタミルを出る前に彼は、足手まといじゃないと言ってくれたじゃないか。かつての相棒の言葉を胸に、ダウドはダークを捜す為に歓楽街へと足を踏み入れた。


 昼のように明るく、色とりどりの光に囲まれた夢のような世界を、ダウドは歩く。おどおどしないように胸を張った。酒の匂いと女の匂い、つんと鼻につく化粧の匂い、いかがわしい店も目に入るが、そこで目を留めてはならない。ダークは見つからない。悪い客引きに引っかかって、室内に入られていたら厄介である。
「ダーク、どこにいるの……」
 ダウドの呟きは、誰に聞かれる事も無く掻き消えた。心細くてたまらなかった。




 大きな通路と細い脇道、分岐点でダウドは立ち止まる。1人で決める事ができず立ち尽くす。
「!」
 全身に鳥肌が立ち、思わず後ろを振り返った。さりげなく自分の背後を通った通行人に尻を触られた。偶然ではなく、あれは明らかに故意だ。変な人達がたくさんいる。もうこんな所嫌だ。ダウドは泣きたくなった。


「あっ」
 不幸中の幸いか、振り向いた先にダークを見つけた。彼はある店の前でぼーっと突っ立っている。
「ダーク」
 嬉々として名を呼び、小走りで駆け寄った。


「……………………」
 ダークはダウドの顔を見た後、また視線を店の方へ向ける。
「ダーク、帰ろ。ほら、早く」
 ダウドはダークの腕を掴み、引き寄せようとするが、動かない。
「……………………」
 何も言わずにダークは店の中へ入っていく。後を追おうとしたダウドだったが、看板を見て意志が揺らぐ。ラブホテルであった。しかも、マニアックな。だが立ち止まるわけには行かず、ダークを追う。




 洞窟をイメージした通路を通り、ごつごつとした石の階段を下りていく。ダークの手にはホテルの鍵がしっかりと握られていた。歩いている最中、何度もダークを引きとめようとしたが、聞く耳を持ってはくれない。
 ゆらめく蝋燭の炎だけで、道の先は暗くてよく見えない。ひんやりと冷たい感じがする。ダウドは抱き締めるように腕をさすった。ラブホテルなど入った事は無いし、ましてやこんな造りの店に入った事もない。その前に女性経験云々については、思考に入れない事にした。
「怖いのか?」
 ダークがダウドの横に並んだ。心なしか、口調がはっきりしているような気がする。
 誰の為にここまで付いて来ているのか、一言言ってやろうと口を開こうとした時。
「大丈夫だ」
 そう言って、ダークはダウドを抱き寄せた。
 記憶を取り戻しかけているのかもしれない。ダウドは口をつぐんだ。


 牢屋をイメージした格子付きの扉を開けると、ダウドは思わず目を覆ってしまった。
 手錠に鞭、張り付け台に三角木馬。俗に言う拷問用具が飾られていた。SMプレイ用の部屋である。
「か、かか、帰ろうよぉ……」
 ダウドはガタガタと震えてダークの手を引く。強引にでも部屋に入る前で、帰らせれば良かったと後悔しても遅かった。
「……………………」
 ダウドの掴んだ手はするりと抜け、ダークは部屋の周りを回って拷問道具を眺め出す。
「何か…………何か………思い出せそうなんだ…………」
 手で掬い上げた鎖が金属音を鳴らした。


「お、おお、お、思い出すなら、早くしてよ、早く、早く」
 ダウドは一番ましと思えた真っ白なシーツの敷かれたベッドに座り込み、縮こまる。


「子供の頃、厳しい環境で育ったと話しただろう」
 ちらりとダウドを見て、ダークは語り出した。
「そうだったね」
「そこではルールがあって、破ると罰を与えられたんだ」
 カツカツとダウドのいるベッドへ歩み寄ってくる。
「ふうん」
 ダウドは相槌を打つ。
「ほら」
 ガシャッ。ダークは手に持ったものをベッドへ投げ込んだ。


「ひっ」
 体がびくりと震える。
 ベッドに転がったのは手錠と麻縄であった。
「こうして」
 ダークはダウドの前に立ち、手錠を取って、彼の腕にはめてやる。
「手首を囚われて、閉じ込められた事もあった」
「そうなんだ」
 引き攣った笑みで相槌を打つ。早くはずして欲しかった。
「暗くて、怖かったな……」
 横に座って、手錠をまじまじと眺める。


「待てよ」
「え?」
「手錠じゃない」
「は?」
 ぽかんと口を開けるダウドをよそに、ダークはいそいそと手錠をはずす。


「麻縄だ」
 麻縄を掴んでダウドに見せる。見せられた方は眩暈がする。
「こう結び付けられたんだ」
「痛っ、痛いよ、ダーク」
 ぐるぐると巻かれて、麻が肌に擦れてダウドは痛がった。


「そうだ」
 カッと目を見開き、顔を上げると目が合う。
「そうやって痛がった。やめて欲しいと懇願した。だが、逆らえなかった…」
 顔を歪めて項垂れるように、麻縄に視線を落とす。
「じっと痛みに耐えた後は、はずしてくれた」
 手馴れた手つきで麻縄をはずす。ダウドの手首には赤い縄の後が付いていた。


「こういう、痕がついたものだ」
 懐かしそうに目を細め、縄の痕を指でなぞった。


 どくっ。
 ダウドの胸の奥から、何か高鳴るものが押し上げる。


「ダウド」
 鋭い瞳が貫いてくる。いつもの何かを思い出そうとしている、ぼーっとしたダークではない。その瞳は、はっきりと意思を持っていた。恐怖さえ感じ、ダウドの瞳は揺れる。
「怖いか」
 ダークの細く冷たい指が顎に触れ、顔を向けさせられる。金縛りにあったように動けず、体が小さく震えて止まらない。
「怖いだろう」
 真っ直ぐとダークの瞳はダウドを射抜いてくる。瞳の奥の方の、心の奥までも見透かされているようだった。体が周りから冷えていくのに、中心は燃えるように熱くなっていく。心臓の音が聞こえそうなくらい、せわしなく脈打つ。
「わかるぞ、俺と同じ目をしている。あの時と同じ目だ」
 顎に触れていた指は上へ上がってきて、目尻のすぐ横まで来ていた。
「懐かしい…………」
 恍惚とした表情で、ダークは笑う。


「帰るか」
 スイッチが切れたように、ダークは手を離した。口調はまた、ぼんやりとしたものに戻っていた。
 ダウドは力が抜けて、ベッドの上に投げ出されるように倒れる。
「待ってよ」
 転がったまま、立ち上がるダークを見上げて呟く。
「長居は無用だ。ジャミルが待っている」
「そうだけど………」
 震えがまだ治まらない。どくどくと脈打つ心臓も止まらない。
 何か、変なものに目覚めさせられたような感じであった。
「さあ」
「うん…」
 ダークが手を差し伸べる。おどおどとダウドは腕を上げて、手を握った。










多重人格のダークたんは天然ときどき鬼畜で。
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