言い訳



 静かに食器の音だけが鳴る。
 ジャミル、ダーク、ダウドの3人は食堂で朝食を取っていた。
 ナイフで切り、フォークに刺して、自分の口の中へ持っていく際、ジャミルは交互にダウドとダークを盗み見る。


 雰囲気が、昨日までと違う。


 ダークの記憶が戻ってからというもの、ジャミルとダウドから距離を置こうとした為、彼を恐れていても納得のいかなかったダウドと揉めた。それからというもの、事あるごとに喧嘩をし出すという険悪な関係になってしまった。ダークの冷たい言葉にダウドが1人怒り出し、喧嘩を吹っ掛けるパターンが目立つ。食事の時も言葉は交わさないのに、ギスギスとした重い空気が漂うほどだ。


 なのに、今日はそれが無い。


 無言なのは同じなのだが、重い空気は無い。それがないだけで、森林浴でもしているかのようにジャミルは清々しい。つい昨日も喧嘩を始め、収拾がつかず、困り果てていたというのに。
 何かあったのかもしれない。仲直りでもしたのだろうか。ジャミルは伺うように、2人を眺めた。


「どうしたの、ジャミル。おいらの顔に何かついているのかい」
 視線が気になって仕方が無かったのか、ダウドが目を合わせてくる。
「いや…………」
 否定しようとしたジャミルの脳裏に、昨夜の出来事が過ぎった。
「そういや、二日酔いしていないか」
「えっ」
 ダウドは一瞬目を丸くし、していないと小さく答える。
 昨夜、ダウドはダークと争った事にやけを起こして、慣れない酒を水のように飲んで荒れていた。心配で止めようとしたジャミルは追い出されてしまい、あの後ダウドがどうなったのかはわからなかった。
「俺がいた時であの量だぞ」
「でも、していないから。……すり、貰ったし」
「薬?」
 思わず聞き返す。
「いや、その………薬なんて、言ったっけ?」
「今、言ったばかりだろう」
「空耳だよ」
「はあ?」
 首を傾げるジャミルに、ダウドはナイフを細かく使い出し、いかにも食べるのに夢中という仕種を見せた。彼の言うように、二日酔いにはとても見えない。昨夜見た姿は夢かと疑うほどに、すっきりとした顔つきをしている。だが薬局にも、それほど効果の良い酔い覚ましなど売ってはいない。もしあったとしても、普段あまり酒を飲まないダウドが持っているはずはないのだ。ジャミルは原因を推測しようと、考えを巡らせる。
 特別調合の薬だとしたら、アサシンギルド現首領としての記憶を取り戻したダークならば、作れるのかもしれない。しかし昨日あれだけ喧嘩をした相手に渡すだろうか。よくよく思い返してみれば、あの時も怒っていたのはダウドの方で。ダークはただ受け答えをしている様子だった。その態度がまた、ダウドの気を立たせてしまうのだが。揺れ動くのはダウドの方。ダークはいつも平然と構えていた。
 距離を置いたのも、仲間を思っての理由も少なからずあるだろう。避けてはいるが、嫌ってはいない。情があるから、喧嘩にも乗るのだろう。ダウドが困っているのなら、手を差し伸べてもおかしくはない。


「ダークも、やってくれるねえ」
 ジャミルは喉で笑う。
「ダークがなんなの」
「ダウド、いちいち反応するな」
 黙々と食事を取っていたダークが口を挟んだ。
「なんだよ、それ」
 ダウドが口を尖らせてダークの方を向き、2人は顔を見合わせる。
「……………………………」
「……………………………」
 口は僅かに開かれるが、言葉は出る事無く閉ざされた。照れたように俯き、食事の方へ目を向ける。


 初々しいこった。
 浮かんだからかいの言葉を、ジャミルは食べ物と共に飲み込んだ。




 夜。その日の宿は個室を取った。ダウドは部屋を抜け出し、忍び足でダークの部屋の前へ立つと、軽くドアをノックする。
「ダーク、起きてる?」
「ああ」
 ドアの向こう側から聞こえる、くぐもった声。
「入っても良い?」
「好きにしろ。鍵は開いてる」
「お言葉に甘えるね」
 そっと開けて部屋の中を見ると、ダークがベッドに背を向けて寝転んでいた。
「話、良い?」
 背を向けてドアを閉めながら、ダウドは言う。
「俺は話す事など何も無いが」
「じゃあ、おいらの話を聞くだけで良いから」
「そうか」
 ダークは気だるそうに起き上がり、ベッドに座り込んだ。乱れた髪を手で簡単に整える。ダウドはベッドの端に遠慮がちに腰をかけた。僅かに身体を斜めに向けて、表情が見えない位置を取る。
「昨日は、有難う」
 ぽつりと、短く呟いた。


 昨夜やけ酒を飲み、ジャミルまでも追い出した後、案の定ダウドはアルコールでふらふらになり、宿にすらも戻れなくなるほど酔っていた。夜道をおぼつかない足で歩く途中、ダークに出会う。ダウドは無視を決め込み違う通路を進もうとしたが、そのままひっくり返ってしまった。ダークは見かねて起き上がらせようとするが、手を振り払おうと腕を上げれば嘔吐してしまう。挙句に背まで摩られてしまった。
 背中から伝わる温もりに、なぜだか無性に目頭が熱くなり、ダウドは泣き出し訳のわからぬ事を喚き散らす。何も言わずに背中を摩り続けるダークは、涙までも全て流そうとしているかのようだった。泣き終えて立ち上がると、やはり無言でダークはダウドの背に手を回し、休めそうな石階段の所へ移動させてくれた。座ると顔を抑えられ、布で涙と口元を拭われる。その姿は記憶を失っていた、ダウドと親しかったダークのようで、止まったはずの涙がまた零れた。
 温度を感じない瞳で、ダークは懐に手を入れて小さな小瓶を取り出し、ダウドの横に置く。
「これでも飲んでおけ」
 そう付け足して、去ってしまった。しばらく彼の行ってしまった方向を眺めた後、小瓶に手を伸ばす。
「っく…」
 べそをかきながら、中身を飲み干した。鼻が詰まっていたので味は感じない。言うならば、涙の味がした。宿へ戻り、朝目覚めてみれば、酔いはすっかり醒めており、そういう薬であったと知ったのだ。


「ダーク、甘いよ」
 ダウドは目を細め、瞳は悲しみに揺らぐ。
「突き放す気なら、優しくしないでおくれよ」
 堪えに堪えても、声は震えてしまう。
「済まなかった」
 ぽつりと、短く呟いた。
「…………………………」
「…………………………」
 2人は口を閉ざしてしまう。これ以上言葉を交わせば、こじれていくだけのようだった。だが、離れたくは無い。動くことが出来ず、時間だけが過ぎていく。
「ねえ」
 沈黙に耐え切れず振り返れば、そこにはダークの顔があった。同時に振り返ってしまったようだ。
「…………………………」
「…………………………」
 口を開きかけたまま、固まってしまう。朝の同じ状況を思い出し、何ら進歩しない姿に自嘲する。言葉はもはや、意味を成さなかった。一度目を合わせれば、逸らすことが出来ない。何に逸らせば良いのか、思考は飛んでいく。見えない引力に引き寄せられるように、見詰め合ったまま身体をずらして近付いていった。手が届きそうな距離まで身を寄せても、胸は苦しく、切ない視線を送るのみ。
「……………………ん…」
 ダウドは想いを堪えて、口をへの字に曲げたまま、ダークへ覆面越しに口付けた。目を固く瞑り、手の平から汗が噴きだし、身体が小さく震える。位置を上手く特定できず、口からはずれていた。ぎこちない、下手は口付け。それでもダークの心を揺さぶり、心臓を高鳴らせた。
 腰に手が回り、引き寄せられて、ダウドは目を開く。ダークの顔が本当に間近にあり、思い切った行為を羞恥し後悔をした。ダークは覆面をはずし、素顔を見せる。アサシンギルドでも、ごく僅かな部下にしか見せた事は無い姿。旅の間は何度か晒したことはあるが、記憶を戻し、改めて見せることが彼なりの誠意であった。


 素顔を見せるだけに止めたかったのだが、熱くなる身体と胸を突く鼓動が許してはくれない。鷹の爪のようにダウドの顎を捉え、腰に添えたもう片方の手を傾けて行き、ダウドをベッドへ寝かせた。顔に影が差しかかり、ダウドの鼓動が急速に高まっていく。早鐘のようになりすぎて、壊れてしまいそうなほどに忙しない。
「う」
 ダークの唇が触れたかと思うと、舌が入り込んでくる。歯を割って奥の方へ入り込んだ舌は、口内をたっぷりと味わう。滑って気持ちが悪いはずなのに、快楽が脳へ侵入し、ダウドは力を抜かれて酔いしれた。何度も角度を変えて交わされる口付け。なかなか解放させてはくれない。
「…………んんっ」
 低く呻いて、ダウドは身体をよじらせる。甘くとろけて、もどかしいのだ。そろそろ解放させようと、ダークが頭を上げた時に、ハプニングは起こった。




「ダーク、ダウド知らねえか?」
 バンッ。勢い良くドアを開け放ち、ジャミルが部屋の中へ入ってくる。当然、ダウドとダークは俗に言う“お取り込み中”の真っ只中であった。ダークがダウドをベッドに押し倒した姿で、2人はジャミルの方を向いたまま硬直してしまう。
「お前ら仲が悪いと思っていたら、そういう関係だったの?」
 ドアを閉めて頬を掻きながら、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。
「ち、ちがっ」
 カッと顔が熱くなるのを感じ、ダウドはダークの身体を押し退けて身を起こす。さすがのダークも動揺して、顔は真っ赤であった。
「違う?へー」
 棒読みで言い、適当な椅子に腰掛ける。言い訳を聞いてやろうじゃないか。ジャミルの悪戯心が囁く。
「何をどうしてあんな格好してたんだ?」
「喧嘩だよ喧嘩。おいらがまた、怒っちゃって」
「今回はダークが反撃してきたのか?珍しいな」
「え?は?…………ええと」
 ダウドはジャミルの問いが整理できずに混乱してしまう。ジャミルはダークが押し倒した姿を言っているのだ。
「そうだ。俺の虫の居所が悪かった」
 ダークがフォローを入れる。覆面でまた顔を隠していた。
「そう、ダークが押し倒して」
 本当の事を漏らしてしまうダウド。嘘の下手さにダークはギョッとするが、恥ずかしさについ言い返してしまう。彼の冷静さはとっくに失われていた。
「先に仕掛けたのはお前だろう」
「そうかもしれないけど、ダークがあんな事するから…!」
「自分の世話も見れない奴は迷惑だ」
「なっ……な……………!」
 雰囲気が普段と同じ険悪な空気へと変わっていく。すっかり仲裁役となったジャミルが席を立ち、止めに入る。
「ダウド、ダウド、落ち着けって。遅いし寝た方が良いって」
「…………わかった……」
 ダウドはムスッとした顔で頷き、立ち上がろうとした。
「「「あ」」」
 ダウドの腰布がするりと解けて、ダークに愛撫された際にずり上がった上着から覗く、脇腹が丸見えになってしまう。腰布の一部が、ダークの手の下に置かれており、引っ張られてしまったのだ。手を浮かせるとダウドは素早く腰布を回収して、大股で部屋を出て行く。
「あちゃー」
 ジャミルは頭に手を当てた。
「悪かったな」
 ベッドに座っているダークを見下ろす。
「これで良かったのかもしれない」
「またそういう事言いやがって」
「ふ」
 ダークが笑ったように聞こえた。










ツンデレ×ツンデレ。
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