お前が欲しい



 夜。宿の寝室でジャミルは一人ベッドに転がっていた。
 依頼を無事成功させて大きな報酬が手に入り、ジャミルの仲間たちは美味い食事を取って満足そうにそれぞれの部屋で眠りにつく。
 贅沢をしても、まだ貯金は残っている。明日も人数分の個室を取れそうだった。


 薄闇の中でジャミルの瞼が開く。
 瞳は何かを含んだように、数回瞬きをして身を起こした。
 立ち上がろうと床に素足がつくと、ギッと鈍い音を立てて軋む。
 ギッ、ギッ。静寂の中にジャミルの足音が妙に響いた。おもむろに歩み寄ったのは壁にかけられた鏡の前。
 鏡を見据え、己の姿を映すと襟元へ手を伸ばす。
 ぷつ。隠しボタンがはずれ、胸元が露になった。白い肌がぼんやりと浮かぶ。
 手はボタンをはずす度に下へと下りていき、布が刷れて上着がずり下がるように床へと落ちる。


「…………………………」
 裸の上半身を映し出すと、ジャミルの口の端が上がった。
 両腕を持ち上げていき、力を込めると筋肉が盛り上がる。
 旅をして、幾多の困難を潜り抜けた身体。身体は細いままだが、引き締まった筋肉に覆われていた。薄っすらと残っている傷跡もある。これは男の勲章とも呼んでも良い。
「どうだこの肉体」
 鏡の前で雄々しいポーズを取る。
「とうとう来るべき日が来た」
 今度は別のポーズを取った。一人だからこそ出来る奇行である。


 来るべき日。
 それはジャミルが愛しい弟分ダウドへ身体を捧げる記念日であった。
 エスタミルにいた頃のひょろひょろの身体ではなく、鍛え上げられた漢の肉体でダウドに抱き締められる――――秘められた野望。
 しかし、あくまでジャミルの個人的な想い。ダウドは野望の“や”の字も知らないうえ、ジャミルとダウドは相棒関係であり、恋人でもなんでもないし愛の囁きもない。
 何も知らないダウドをベッドまで誘い込む方法。簡単容易お茶の子さいさい、ダウドをその気にさせれば良い、ただ一つだと。ジャミルは思っている。
 その為には美しいまでに鍛え上げられた筋肉が必要なのだと。ジャミルは思っている。
 付き合いも長い、ダウドの行動パターンは大方読める。ジャミルは思っている。
 なにがなんでも上手くいく。ジャミルは絶対的な自信を抱いていた。
 そんな自信は一体どこから湧くのだろうか。ジャミル本人しかわからない領域であった。


 泊まるのは明日寄る予定の帝国首都メルビル二階・ロイヤルスウィート一点狙い。
 窓から宵闇に輝く町並みを眺めながら、微かな波の音が耳に届く熱い夜。…………を堪能する予定。
 ジャミルは一人恍惚し、斜め上を見上げて妄想にふける。
「待っていろよ、ダウド」
 くふふ。自然と笑い声を零していた。








 次の日、ジャミル一行は町を出て夕方にはメルビルに到着した。旅は順風満帆、今日のジャミルの気合は一味も二味も違うのだから。
「あーっ。やっと着いたぜ、つっかれたー」
 だるそうに伸びをするジャミルだが、異様に顔のツヤが良い。
「さて、と」
 くるっ。振り返り、仲間たちを見た。
 メンバーはダウド、エルマン、ホーク、ガラハドの男臭い編成であった。女と若い男はジャミルが屁理屈をこねて別々の道を辿らされた。持ち前の高い知識の成せる技を、ここぞとばかりに駆使させてもらったのだ。
 許せ、この日の為だったんだ……!
 頭の中で去っていったかつての仲間に詫びを入れるが、表情はこの先にある溢れんばかりの希望でにやけていた。
 頭を軽く振り、中を替えて話を切り出す。
「今日の宿はどうすっか」
 表面上は仲間の意見を優先させたような振りをし、彼らが何かを言う前に先手を打つ。
「まだ金に余裕もあるし…………」
 ぽりぽり。癖のように頬を爪で掻いた。
 仲間たちは顔を見合わせ、ホークが軽く手を上げる。
「じゃあ酒場でパーッとやるかぁ!」
「「「さんせーい!」」」
 ぱちぱちぱち。ぱち。エルマンとガラハドが賛同し、僅かに遅れるダウド。
 獲物を狙ったようにジャミルが眼光を放つ。
「待て待て」
 手で静粛に、という合図を取るジャミル。
「ダウド、こないだ酷い酔いだったよな。懲りてるんじゃないか?」
「え?おいらは」
 ダウドは痛い所をつかれ、俯いて言葉を濁す。せっかくの雰囲気を壊すようで、肩を竦めた。
「確かにそうだったな」
 ガラハドが頷く。
「実は俺も今日は酒の気分じゃないんだ。なにもどこまでも仲間一緒じゃなくても良い。ここは別行動を取ろう」
「それもそうですねー」
 エルマンが頷く。
「ダウド、せっかくだ。二階宿の高い部屋でも泊まって見るか」
「二階は初めてだね。うん、良いよ」
 ダウドは今、“良いよ”と言った。
 お前はものわかりの良い奴だ。よーしよし。ジャミルは内心、彼の頭を撫でてやりたかった。
「じゃあこれで決まり……」
 手を合わせ、ダウドを横目で見て話を纏めようとするジャミル。
 だが、そう簡単に物事が進む程、このマルディアスは単純に出来てはいない。


「ジャミルさん」
 エルマンのにこにことした表情から、鋭い瞳が開眼する。
「なにか…………企んでません?」
 彼の一言に、ざわっと風が吹いて空気が変わった。ジャミルに集中する仲間たちの視線。
「エルマン」
 ジャミルは咳払いをし、ゆっくりと彼の元へ歩む。
 疑問を抱かれるのも想定の内であった。
「その…………なんだ……」
 腕を伸ばしてエルマンの手を取り、両手でぎゅうっと包むように握り締める。
「これで一つ」
 鋭い瞳が念を押すようにエルマンを射抜く。
「いやー、変な事言い出して申し訳ありませんでした。ゆっくりと休んで下さい」
 エルマンの瞳が細くなり、笑顔に戻った。
「エルマンもゆっくりしろよ」
 ジャミルは手を離し、ダウドと共に大階段へ上っていく。
 離されても、エルマンの手にはジャミルの温もりがまだ残っていた。主に外側ではなく内側に。
 誰にも悟られぬように、そっと手を開く。中には金が握り込まされていた。




 二階へ上がったジャミルとダウドはさっそく宿屋へ向かい、ジャミルが受付を済ませる。
「ろ、ろ、ロイヤルスウィート……」
 後の方が消え去りそうな声であったが、底に眠る熱い魂を主人は感じ取っていた。
「はい、ロイヤルスウィートですね。かしこまりました」
 微笑み、彼らを案内する。
 案内された部屋は煌びやかで、ダウドは入るなり感嘆の声を上げた。
「すげー」
 立ち尽くし、周りを見渡している。一方ジャミルはというと。
「ロイヤルスウィートと呼ばれるだけあって、見事なもんだなー」
 棒読みで適当な感想を言い、視線はベッドに釘付けであった。頭の中もほぼベッドで埋め尽くされている。
 歩調を速め、靴を脱ぎながら向かう。そうしてベッドへ飛び込んで、足をバタつかせたあざといアピールをしだした。
「ベッド気持ち良いなー」
 チラッ、チラッ。ダウドの反応をいちいち伺いながら言う。
「よっ」
 座り直して身を起こし、襟元に手を伸ばす。見せ方は昨日の内にシミュレートしておいた。
「今日は戦い続きで参ったよな。あー、つ・か・れ・た」
 はらり。胸元を開いて肌を露出させる。
「…………………………」
 チラリ。ジャミルはダウドを見ると丁度、目が合った。
「…………………………」
「…………………………」
 沈黙する二人。
 さあ、ダウド。存分に俺に喰らい付き、抱くが良い!
 ありったけの眼力を籠めてダウドへ訴える。


 ぞわっ。
 ダウドは身震いをした。
 なんだろうこれは……恐怖?それとも武者震い?
 朝から薄々感じていた殺気のようなものは本物だったのかもしれない。
 何か怒らせる事でもしたのだろうか。だったらどうしてロイヤルスウィートへ?
 ダウドにはわからない事だらけであったが、これだけは察していた。
 本気で立ち向かわなければ、世界が崩壊する!


「ジャミル」
「んっ?」
 反応するジャミルの声は裏返りそうであった。
「おいら、他の部屋も見てくるね」
 お願い。心の準備をさせて。
 弱々しい瞳は、そんな事を訴えていた。
「そうか。せっかくだしな」
 手をパタパタと振り、別室の扉が閉まる音が聞こえると手も止まる。
「ちっ」
 舌打ちをするが、まあ仕方が無いのだと思い直した。
 そんなダウドを好きになったのだから、仕方が無い。これさえも想定の内である。
 そう、伝家の宝刀は最後の最後まで取って置くもの。
 ジャミルはダウドが行ってしまった扉に背を向け、懐を探ってある瓶を取り出した。
「くく…………」
 怪しげな笑みを浮かべ、持ち上げて振ってみせる。


 これぞ極秘裏に調合してもらった秘薬中の秘薬。
 ミイラの薬スーパーならぬ、媚薬スーパーであった。
 これを使えばダウドだろうとイチコロ。当然、ジャミル自ら飲むのだ。
「見てろよ」
 躊躇い、後悔などは毛頭無い。瓶の蓋を開け、ぐっと一気に飲み干した。
 喉の奥からカーッと熱くなり、うずくまって苦さに顔を歪ませる。
 丁度その時に扉の開く音が耳に届いた。ダウドが戻ってきたのだ。


「ジャミル?」
 ジャミルの異変にダウドは駆け寄り、ベッドに上がって抱き起こそうとする。
 顔が近付き、ダウドはジャミルだけを見ていてくれる。
 ああ、この時をどれだけ待ち望んでいたのだろうか。思い返そうとすると、胸が少し痛む。
 今、ここでなら殺されても良い。そう美しく締めたい所だが、なすべき事をしない内は死んでも死にきれない。
「大丈夫?」
 心配をするダウドの口元が霞んで見える。
 ぼやけて、身体が徐々に熱を持っていく。媚薬が効いてきたのだろう。
 そう思いたい所だが、何かがおかしかった。
「…………………………」
 ジャミルの口元が弧を描き、声を発さずに大丈夫だと伝える。
 今の俺は究極に美しいだろう。そんな余裕も無くなってきた。
 視界と共に、頭の中までぼんやりと霞がかかってきたのだ。
 身体が動かない。力が入らないのだ。瞼が酷く重い。
 俺はひょっとして死んでしまうのだろうか。けれども死へ誘われる感覚とは違う。
 認めたくは無いが、これは俗に言う強烈な眠気だ。


 これは媚薬のはずだ。なぜだ、薬局…………!
 眠気と戦いながら、ジャミルは薬局へ調合を頼んだ時の事を回想していた。
 確かに頼んだ。
 夜も眠れぬこの想いを晴らせるものを作って欲しい。そう頼んだはず。
 人に言えない病の悩みを打ち明けられているだろう薬局なら、わかってくれると信じていたのに。
 薬局としてはそりゃ無茶だと答えるだろうが、ジャミルの知った事ではない。


 俺が欲しいのは媚薬!ダウドと幸せになる為の媚薬!媚薬なんだよ!
 睡眠薬なんぞ欲しくもねえ!!!
 俺のダウドが!ダウドの胸板が!ダウドの温もりを返せ!!


 ありったけの思いを心中で絶叫すると、ジャミルは睡魔に敗北した。
 人形のように力を失い、身体が重みを増す。
「ジャミル!」
 ダウドは悲しみに満ちた声でジャミルの名を呼ぶ。
「ジャ…………」
 寝息が聞こえ、声を止めた。
「本当に、疲れていたんだ」
 安堵の息を吐き、体勢を変えてジャミルの頭を膝に乗せる。
 先ほど感じた事はただの思い過ごしで、悪い事をしたとダウドは心の中でジャミルに詫びた。
「お休み、ジャミル」
 ジャミルの長い前髪を撫でるようにすいて、呟く。
 ダウドの指先が、一瞬ではあるがジャミルのまつ毛をかすった。










ホラーでした。
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